第22話 三段スイッチバックの怪
標高が上がるにつれ、山肌を幾重にも覆う霧が一段と濃くなってきた。
キハ120形は、喘ぐようなエンジン音を響かせながら出雲坂根駅の構内へと滑り込む。
ここには、鉄道史における先人たちの知恵の結晶、三段スイッチバックが存在する。
あまりにも急激な山の斜面を登るため、列車は一度ジグザグに前進と後進を繰り返し、高度を稼ぎながら坂を登り切るのだ。
しかし、ダンジョン化した現代において、この構造は最悪の防衛トラップと化していた。
「魔力反応が急上昇している……!鉄平、これは何だ!?」
フロントガラスから前方を見つめていた玲奈が、緊張で声を強張らせた。
レールの交差するポイント付近の大気が、禍々しい紫色の光を放ち、激しく渦巻いている。
「スイッチバックの折り返し地点には、高濃度の龍脈が集中する。そこを狙って魔力を逆流させ、列車を脱線・大破させるための罠だ。しかも、お目見えのようだぞ」
鉄平の視線の先。上の段のレールから、錆びついた車輪の軋み音を響かせ、一台の影が降りてくる。
それは、かつてこの地を走っていた旧型気動車の残骸が、怨念と魔力によって融合した怪異、亡霊気動車・キハ52だった。
ライトの代わりに二つの赤い眼光を妖しく光らせ、こちらの線路へ向かって猛スピードで逆走してきている。
鉄平は、正面から迫る赤い眼光を見つめながら、自身の頭脳をフル稼働させていた。かつてギルドの訓練校で学んだ戦闘教科書には、「敵の突進に対しては盾を構えるか、回避行動をとるべし」としか書かれていなかった。しかし、線路という一本の軌道の上で、かつ一両編成の列車に乗っている状態で、どうやって回避しろというのか。通常の探索者ならば、ここでパニックに陥り、無理な急ブレーキをかけて脱線するか、正面衝突して粉砕されるかの二択だ。
だが、鉄平の思考は冷徹そのものだった。彼にとって、この状況は「ダイヤの乱れ」に過ぎない。乱れたダイヤは、適切な「遅延」と「順序変更」によって正常化できる。かつてギルドのダイヤ調整課で、どれほど複雑な運行遅延が発生しようとも、冷静にスジを引き直して運行を管理してきた。その時の経験と、鉄道への絶対の責任感が、彼の脳を氷のように冷やしていた。一秒の遅延が多くの乗客の足を止め、信頼を損なう。その遅延を憎む心が、彼に人間離れした演算能力をもたらしていた。
「うおおおおお亡霊列車だ!」
「しかもスイッチバックの構造上、逃げ場がねえぞ!」
「ジグザグの行き止まりで挟み撃ちにされたらキハ120ちゃん粉砕されるだろこれ!」
「早く逃げろ!」
「ここで解説しよう!三段スイッチバックとは、まず列車が駅(一段目)に入り、次に方向転換してバックで坂を登り(二段目)、さらに方向転換して前進で山を登っていく(三段目)という非常にトリッキーな構造だ!つまり、一度入ったら必ず行き止まりで折り返す必要があるんだ!」
「解説鉄ニキありがとう!でもそれって、袋小路で挟み撃ちにされたら絶対に逃げられないってことじゃん!」
「キハ120が坂を下る亡霊列車と正面衝突するのは時間の問題だな……」
「おいおい、あのFランクの兄ちゃん動いてないけど諦めたのか?」
「玲奈ちゃんだけでも逃げてくれ!」
「逃げない。ここで逃げたらスジが乱れる」
鉄平の目は、驚くほど冷徹だった。
「玲奈、出雲坂根駅の第一折返線に入る。キハの進行方向を逆にするぞ。俺が合図したら、列車の後方――いや、進行方向が変わるから前方になるな。そこに構えろ」
「了解した!」
鉄平は運行端末の画面を叩き、スキルを発動した。
「ユニークスキル「始発の改札口」――遅延制御、発動」
瞬間、逆走してくる亡霊気動車の周囲の時間軸が目に見えて引き伸ばされ、その動きが極端に遅延された。
しかし、それだけでは足りない。スイッチバックのポイント(分岐器)を切り替える瞬間、大地の魔力の逆流がキハ120形の制御系を直撃しようとする。
「魔導徐行運転」
鉄平が静かに宣言する。
キハ120形の周囲に淡い青色の魔導結界が展開し、レールの接合部から伝わる衝撃と魔力の逆流を、制限速度「時速十五キロ」で完全に相殺・吸収した。
ガタン、とポイントが切り替わる。金属同士が擦れ合う鈍い音が山陰の静寂に響いた。
鉄平はすかさずキハのギヤをバックに入れ、エンジンを全開にした。
「ノッチ戻し、バック全開!玲奈、今だ!」
列車の進行方向が急に逆転し、今度は坂を登りようにして後退を始める。
その瞬間、亡霊気動車が遅延から逃れ、かつて自分たちがいた線路のポイントへと突っ込んできた。二つの列車が、並行する上下のレールですれ違う。
玲奈は後部運転台の窓を開け、風が吹き荒れる中、その引き締まった体を外へと乗り出した。
「はあああっ!」
彼女の体は、キハ120の後退速度を吸収しつつ、すれ違いざまに亡霊気動車の側面へと躍り出る。
放たれたのは「特急・雷鳥十文字」。
十字の雷光が亡霊気動車の錆びた車体を十文字に引き裂いた。大爆発と共に、亡霊列車は光の粒子となって霧散する。
「よし、第二折返線に到達。もう一度進行方向を戻す。これでスイッチバックは突破だ」
鉄平が端的にダイヤを書き換えると、キハ120形は再び力強く前進を開始し、険しい出雲坂根の坂を登り切った。
「すげえええ!スイッチバックの減速と切り替えを完璧に利用しやがった!」
「亡霊列車の進路を読んで、すれ違いの刹那に仕留めるとか、息が合いすぎだろ!」
「ダイヤ調整課のスキル、戦闘でこんな風に使えるのかよ……」
「鳥肌たった。まじで神ダイヤだわ」
「でもさ、これ一歩間違えたら大惨事だったよね?」
「鉄平の「魔導徐行運転」が分岐器の魔力暴走を抑え込んだからできた芸当だぞ。あのスピードで後退ギアに入れるとか、普通ならトランスミッションが吹き飛んでる」
「Fランクプランナーとか言ってた奴ら、息してる?」
「ただのオタクだと思ってたけど、この冷静さは戦士のそれより遥かに恐ろしいぞ……」
「玲奈ちゃんの超スピードと鉄平の頭脳、これ最強の組み合わせだろ!」
配信画面は、奇跡的な突破劇に歓喜のコメントで埋め尽くされていた。
しかし、鉄平の視線は、スイッチバックの頂上にあるあるものに釘付けになっていた。
大地のレイラインが美しく収束する、かつての給水所跡。そこから湧き出る水が、青い神秘的な光を放っている。
「あれが……木次線の結界を維持する霊泉か」
鉄平は静かに呟き、次の作戦のための計算を始めていた。




