第21話 魔導気動車険しき山を登る
深い山々を縫うようにして、錆びついた二本のレールが伸びている。
木次線。
かつて島根県の宍道駅から広島県の備後落合駅までを結んでいた、実在の超ローカル線だ。
五年前の大崩壊、グレート・ディレイ以降、この山陰と山陽を繋ぐ霊的境界は完全に遮断され、一帯は高濃度の魔力に包まれた。今や狂暴なモンスターが徘徊する危険度SSSの野生ダンジョンと化し、人間の立ち入りを頑なに拒んでいる。
かつては奥出雲の美しい木々や渓谷を車窓から眺める観光路線として愛され、トロッコ列車がのどかに走っていた平和な日々は、今や遠い過去の神話のようだった。
その急峻な山道を、エンジンの咆哮を響かせて進む小さな影があった。
ステンレス製の小柄な車体。一両きりの編成。
魔導気動車(キハ120形)だ。
電化された都市部の路線と違い、頭上に電力を供給する架線は存在しない。この過酷な非電化路線において、列車は自車の床下に搭載された魔導ディーゼルエンジンを唸らせ、軽油と魔力を混焼させながら自力で進むしかないのだ。
車内は、独特の軽油の匂いと、大気の魔力が焦げる金属的な臭気に満ちていた。ガタガタと激しく横揺れする一両の車体は、まるで大波に立ち向かう小舟のようだった。
運転席の後ろに立つ八雲鉄平は、眠そうな目をこすりながら、手元のスマホ型魔導運行端末に視線を落としていた。
かつて彼が所属していた探索者ギルドのダイヤ調整課では、戦闘スキルのない者はゴミ同等に扱われた。測定された戦闘力ランクは最低のF。お前のような戦闘力のないオタクは現場の足引っ張りにしかならない、と罵られて追放されたのは半月前のことだ。
だが、彼ら戦闘至上主義の連中は知らなかった。
鉄平が持つユニークスキル「始発の改札口」が、大地のレイラインと同期し、完璧な運行スジ(ダイヤグラム)を描き出すことで、魔物の出現パターンすら完全に先読みできるということを。
そして、この不採算ローカル線を繋ぎ直すことこそが、日本を覆う大崩壊の結界を再起動する唯一の鍵だということを。
鉄平は、窓の外を流れる荒れ果てた線路際を見つめながら、かつてギルドの冷たい会議室で受けた仕打ちを思い出していた。戦闘力がないというだけで、人間の価値すら否定するような言葉の暴力。しかし、鉄平にとって鉄道とは、単なる移動手段でもなければ、強さを示すための道具でもない。乗客の命を預かり、目的地まで安全かつ正確に送り届けるための、尊い約束の結晶なのだ。だからこそ、たとえ追放されようとも、この錆びついたレールを繋ぎ直すという自分の信念だけは、決して曲げるわけにはいかなかった。
「鉄平、前方より飛行型の魔力反応あり!急速に接近中、数は三!」
運転席の助手席側に立つ六甲玲奈が、腰に帯びた魔導日本刀「天羽々斬・改」の柄にすっと手をかけた。
透き通るような白髪を列車の振動に揺らし、青い瞳でフロントガラスの先を鋭く見据える。彼女が纏う白とゴールドの軽量魔導甲冑が、薄暗い運転室の中で淡い輝きを放ち、計器類を照らしていた。
玲奈は東日本ギルドの最高幹部一族の娘であり、Sランク認定を受けた天才剣士だ。しかし、尋常ではない方向音痴であり、関西の梅田地下ダンジョンで迷子になっていたところを鉄平に助けられて以来、行動を共にしている。
「慌てなくていい、玲奈。あれは赤名トンネル付近の龍脈の澱みから湧いた黒嘴鴉だ。こちらの速度は時速三十五キロ。敵は上空から旋回し、三秒後に列車の右側へ並行するように追い越しをかける。そこがちょうど防衛障壁の薄いエアポケットだ。そこを叩く」
鉄平は画面をフリックしながら、淡々とナビゲーションを行う。
ローカル線は都市部に比べてレイラインからの魔力供給が薄い。そのため、無駄な戦闘で魔力を浪費したり、急な加減速を行ったりすることは、エンジンの過熱や燃費悪化、ひいては列車の立ち往生に直結する。
鉄平の脳内には、最小限のエネルギーで最大の障壁出力を維持するための省エネ運行スジが完璧に引かれていた。
黒嘴鴉は、大気中の高濃度魔力を体内に取り込み、超音速に近い速度で突進してくる凶悪な怪鳥だ。その硬いクチバシは軽装甲車の装甲をも貫くと言われている。しかし、鉄平の脳内演算は、それら怪鳥の羽ばたきによる気流の乱れから、次の移動軌道をミリメートル単位で予測していた。
「指示通りに……!ふっ!」
玲奈が運転席の窓をスライドさせ、走行する列車の風圧の中に身を乗り出した。
鉄平の指示通り、三秒後、右側の斜面から巨大な、烏の頭部を持つ醜悪な怪鳥が三羽、列車の窓ガラスを突き破ろうと肉薄してきた。
だが、その瞬間にはすでに、玲奈の刀が青い雷光をまとって半円を描いていた。
閃光が一瞬、木々で遮られた暗い山道を白く照らす。
――「新快速一閃」の局所応用。
刹那の間に放たれた三連の突きが、怪鳥たちの額にある赤い魔力核を寸分の狂いもなく射抜いた。
鳥たちは悲鳴を上げる間もなく、黒い霧となって消滅した。弾け飛んだいくつかの魔石が、カラカラと線路脇のバラストの上に転がっていった。
「よし、撃破確認。これで列車右側の空気抵抗と魔力障壁の摩擦が消えた。キハ、ノッチ進段。時速四十キロまで加速」
鉄平が操作盤の魔導レバーをカチリと一つ進める。
キハ120の魔導ディーゼルエンジンがドオオオと力強い低音を響かせ、上り勾配のレールをしっかりと噛んで進み始めた。
「玲奈ちゃんの戦闘きたああああ!」
「やっぱりSランクの玲奈ちゃんマジ最強!」
「しかし列車が一両ってマジかよwww」
「都市部を走ってた223系新快速のド派手なバトルと比べて、あまりにもローカルすぎてシュールwww」
「てかこの錆びだらけのレールの上を走るの怖すぎだろ」
「新快速は新快速障壁で中級モンスターごと踏み潰してたけど、このキハ120ちゃんじゃ正面衝突したら一発で脱線しそう」
「低燃費ながらパワーある気動車ならではの渋さよ」
「というか非電化区間の気動車ってのが地味にアツいな」
「解説しよう!キハ120形はJR西日本のローカル線で主力として活躍する小型気動車だ!床下にコマツ製などの小型高出力ディーゼルエンジンを搭載し、架線がない山岳路線でも自力で力強く登ることができるタフな車両だぞ!」
「出たよ解説鉄オタwwwでもサンキュー、分かりやすいわ」
「つまり電車じゃなくてディーゼルカーだから、電気が通ってないダンジョンでも動けるってこと?」
「その通り!魔力と軽油のハイブリッド混焼機関にカスタマイズされてるから、大地のレイラインが細いローカル線での単独攻略にはこれ以上ない最適な選択肢なんだよ」
「なるほど、だからナビの兄ちゃんはこれを選んだのか。ただのオタクかと思ったら、編成のチョイスからしてプロすぎるだろ……」
「漏れもローカル線でのんびり旅したいわ(モンスターいなければ)」
「信号が青だからって油断できない野生ダンジョンだな」
「低速でも確実に進むのがローカル線の美学だな」
「でもナビの兄ちゃん、なんで敵の軌道を秒単位で予測できてんの?」
「ダイヤプランナーって戦闘技能皆無のゴミ職ってギルドで言われてなかったっけ?」
「いや待て、今のナビのおかげで玲奈ちゃん一歩も動かずに仕留めてないか?」
「敵が勝手に玲奈ちゃんの剣の軌道に飛び込んできたように見えたぞ……」
「気のせいじゃない。あのナビの男、大地のレイラインの乱れを計算して、列車の周りの風のヨレまで利用して敵の動きを誘導してる」
「え、それただの元ダイヤ調整課のFランクができる芸当じゃなくね?」
玲奈が配信している探索者チャンネルのコメント欄が、もの凄い速度でスクロールしていく。
都会の派手な攻略チーム(ブルー・ライナーズ)などを見慣れた視聴者にとって、このローカル線の一両列車での進撃は奇妙に映るようだが、鉄平のナビの精密さにはすでに気付き始めていた。
「ふふん、当然だ。鉄平の引くスジは完璧だからな」
玲奈は窓を閉めて前髪を整えると、ふんぞり返って得意げに笑った。
「玲奈、あまり調子に乗るなよ。次の出雲横田駅から先は、木次線最大の難所であるおろちループとスイッチバックが控えている。ここにはシャドウ・ラインが仕掛けた呪式が残っている可能性がある」
鉄平はスマホの画面に表示される、魔力供給が途絶した不気味な黒い警戒路線図を見つめながら、警告した。
大地のレイラインがとぐろを巻くようにして歪む地。
そこには、かつて人間が敷いた「勾配を克服するための知恵」を逆手に取った、悪質な魔術的罠が仕掛けられているはずだった。
キハ120形は、山陰の深い森を切り裂きながら、エンジン音を響かせてさらなる高みへと坂を登り続ける。行く手には薄い霧が立ち込め始め、大気中の魔力濃度が徐々に高まっていくのを、鉄平の運行端末が静かに捉えていた。




