第20話 降臨する信号無視
キハ百二十形は、激しい戦闘の痕跡を車体に残しながらも、出雲坂根駅の静かなホームへと無事に滑り込んだ。
駅の周辺は、未だに不気味な魔力の霧が漂い、周囲の山々は枯れた灰色に沈んでいる。ここが木次線の霊的な心臓部であり、山陰と山陽を繋ぐ龍脈の結節点だ。
「鉄平、早く! あそこです!」
玲奈が駅舎の中にある、古びたみどりの窓口の跡地を指した。
そこには、埃を被った古い発券端末と、魔力を失って錆びついた改札制御装置が佇んでいた。鉄平は一歩一歩踏みしめるように近づき、右手に握りしめた魔導ICOCAを、改札機の青いセンサー部分へと静かにタッチした。
ピッ――。
澄んだ電子音が静まり返った山間に響き渡った。
その瞬間、ICOCAの内部に保存されていた西日本全域のダイヤグラムデータが、大地の龍脈へと一気に流し込まれた。
ズズズズズ……!
地鳴りのような音が響き、改札機から強烈な青い光の柱が天に向かって立ち上った。光は駅舎の屋根を突き抜け、ドーム状の半透明な結界となって急速に広がっていく。
青い光が通過した瞬間、周囲を包んでいた禍々しい灰色の魔霧が一瞬で霧散し、立ち枯れていた山々の木々が芽吹き、鮮やかな深緑の自然へと蘇っていった。線路を覆っていた魔木の枝は縮み、錆びついていた二本のレールは、まばゆい青い光を放つ霊的な軌道結界へと修復されていく。
宍道駅から備後落合駅まで、木次線全体のレールが一本の美しい青い光の線で繋がった。
スマートフォンのSUNTRAS画面では、山陰地方の赤い警告表示が次々と青い平常運転の文字へと変わり、近畿エリアの結界強度も一気に百五十パーセントまで跳ね上がった。山陰の龍脈が再起動したことで、日本崩壊の危機が防がれたのだ。
「すごいです……。灰色だった山が、こんなに綺麗な緑に……!」
玲奈が窓の外の景色を見つめながら、その美しさに息を呑んだ。
だが、驚くべきはそれだけではなかった。
結界が完全に展開された直後、出雲坂根駅の改札口から、けたたましい足音とともに人々がなだれ込んできた。
「安全化成功を確認! 不動産開発チーム、ただちに進入して区画整理を開始しろ!」
「避難民救済物資を積んだ後続列車が到着します! ホームの確保をお願いします!」
それは、二人の配信を見て安全化を確信したギルドの設営部隊と、臨時政府の国土開発局の先遣隊だった。彼らは手慣れた様子で駅の周辺に魔法障壁のテントを建て、土地の測量を始めた。
スマートフォンの経済ニュースアプリが、激しい通知音を鳴らす。
「山陰・木次線復旧により周辺地価が一時比で一千倍に高騰!」
「JR西日本関連の魔導企業の株価がストップ高を記録!」
「出雲坂根駅周辺に、数万人規模の避難民を受け入れる新規ニュータウン「出雲ニュータウン」の建設が決定!」
ギルド近畿支部のオフィスでは、鉄平を追放した黒崎課長が「信じられん……」と頭を抱えていた。
「木次線が繋がっただと!? あの不採算路線が、数万人を救う大動脈に生まれ変わるなど……! しかも、開発権の多くが八雲の個人名義になっている!?」
上層部からは「なぜ八雲のような英雄を我がギルドは手放したのだ!」という叱責の電話が鳴り止まず、黒崎は自身のクビが飛びかけるほどの惨状に震えていた。まさに完全なざまぁの瞬間だった。
設営部隊のリーダーが満面の笑みで鉄平の元へ駆け寄ってきた。
「八雲アドバイザー! 素晴らしい功績です! あなたが木次線を繋いでくれたおかげで、この一帯は関西から最も安全な避難先として生まれ変わります。そこで、ギルド総本部と政府の合意により、あなたをこの新街の初代名誉駅長に任命することが決定しました!」
「は? 名誉駅長?」
「ええ! 実質的なこのエリアの最高責任者――つまり、領主のようなものです! 今後のインフラ開発や税収の一部は、あなたの口座に直接振り込まれます!」
突然の莫大な権力と富の譲渡に、鉄平は開いた口が塞がらなかった。ただスジを繋いだだけで、一国の領主のような立場に祭り上げられてしまった。
配信のコメント欄は、この前代未聞の成り上がり展開に最大級の熱狂を見せていた。
「名誉駅長(物理領主)就任きたああああ!」
「Fランクが木次線救って街の支配者になるとか、夢がありすぎるだろ!」
「不動産無双がマジで一瞬で始まって草」
「八雲さんのICOCA、もはや国宝だろ」
「玲奈ちゃんも名誉駅長夫人(?)として移住だな」
「おい、最後のコメント誰だよ! でもお似合いだわ」
コメントの最後のほうを読んだ玲奈が、顔を真っ赤にして配信端末をひったくった。
「な、何を言っているんですか視聴者の皆さんは! 私はただの護衛で、鉄平をサポートしているだけで……!」
慌てる玲奈のポンコツぶりに、周囲のスタッフやスレ民から笑い声が上がる。
*
駅のプラットホームの脇には、古くから湧き出る霊水、延命水の湧き口があった。
鉄平は水筒にその冷たい水を汲み、玲奈に手渡した。
「ほら、これを飲んでみろ。ただの水じゃないぞ」
「わあ、冷たくて気持ちよさそう!」
玲奈がごくごくと延命水を飲み干した瞬間、彼女の瞳が驚きで輝いた。
「すごい……! 水がとってもまろやかで、飲むだけで体の中に吸い込まれていくみたいです! 戦いで消費した魔力が、どんどん満たされていきます!」
【魔導グルメバフ獲得:出雲坂根の延命水】
【効果:最大魔力+30%、魔力回復速度+150%(効果時間:2時間)】
鉄平はさらに、持参していた保存食の出雲蕎麦の乾麺を取り出し、延命水で茹で上げ、冷水でキュッと締めて即席の割り子蕎麦を作った。
素朴な黒い蕎麦の上に、もみじおろしとネギをのせ、濃いめの出汁ツユを注ぐ。
玲奈は箸で蕎麦をたっぷりとたぐり、一気にすすり込んだ。
「んむっ! コシがとっても強くて、蕎麦の芳醇な香りが鼻に抜けます! 冷たい延命水で締められているから、のどごしも最高よ!」
玲奈は割り子のお皿を次々と空にしていき、大満足の笑みを浮かべた。
「疲れたな……」
「お疲れ様でした、鉄平。でも、これでまた一歩、日本が繋がりましたね」
玲奈が赤みを残した顔で隣に座り、優しく微笑みかけてきた。
「ああ。だがこれで終わりじゃない。木次線を繋いだからこそ、シャドウ・ラインの次の狙いも見えてきた」
二人は駅の新しいベンチに腰掛け、澄み渡った山陰の青空を見上げた。空気は冷たいが、どこか清々しい。新しく動き出した列車の心地よい鼓動を、二人は静かに噛み締めていた。




