第19話 牙を剥くスイッチバック
キハ百二十形は、木次線の最難所である出雲坂根駅の急勾配へと差し掛かっていた。
標高差を克服するため、列車は前進と後退をジグザグに繰り返す「三段式スイッチバック」を行う。一本の線路で行き止まりに入り、運転台を切り替えて逆方向に走り、再び別の線路に入って前進する。この緻密なスイッチバック運行は、運転士である鉄平の極限の集中力を要求した。
突如、周囲の気温が急降下した。
山間に不気味な黒と赤の霧が立ち込め、ヘッドライトの光を遮る。
「鉄平、この霧は……魔力の質が違います。野生のモンスターじゃありません!」
玲奈が天羽々斬・改を抜き、油断なく周囲を警戒する。
霧の奥から、黒いフードを深く被り、赤く光る紋章を身に纏った人影が数人現れた。彼らの放つ殺気は、これまで戦ってきたどの怪異よりも冷酷で生々しい。
大崩壊を引き起こし、日本列島のレールを破壊して原始の魔界に戻そうとするテロ組織、シャドウ・ラインの工作員たちだ。
「愚かな鉄路の守り人よ。人類の利便性が生んだ鉄の呪縛を、我らが大地から剥ぎ取ってくれよう。この地脈の怒りを受けよ」
中央の工作員が杖を掲げると、線路脇の龍脈が赤黒く暴走し、破壊のエネルギーへと変換された。
ドガァァァン!
凄まじい爆発音が響き、スイッチバックの要である第二折り返し点の分岐器が吹き飛ばされた。砕け散るレールとバラストの破片が夜空に舞う。
「ポイントが完全に破壊されたわ! このままでは脱線して崖下に転落する!」
玲奈が叫ぶ。時速三十キロメートルとはいえ、ブレーキをかけても車輪が砕けたレールの端を越えれば、キハ百二十形は中国山地の深い谷底へと真っ逆さまだ。衝撃で列車の魔導エンジンが爆発すれば、不屈のバフがあったとしても無傷では済まない。
崖っぷちまであと十メートル。車輪がレールを外れ、ガタガタと激しく跳ねた。車体が大きく前方に傾き、谷底の暗闇が視界に広がる。玲奈の顔が恐怖に強張り、刀を握る手が微かに震えた。
誰もが死を覚悟するような絶体絶命の瞬間。だが、鉄平の脳内クロックは限界を超えて加速していた。
「終わらせない。俺が引いたスジの上で、脱線事故など絶対に起こさせない!」
鉄平は脳内の始発の改札口を限界突破でオーバードライブさせた。スマートフォンの画面が激しく発光し、鉄平の周囲に無数の光るスジ(運行線)が三次元のホログラムのように展開される。
「遅延制御――最大出力!」
鉄平が叫んだ瞬間、空間の物理挙動そのものが歪んだ。
崖下に向けて真っ逆さまに落下しかけていたキハ百二十形の巨体が、まるで見えない重力クッションに受け止められたかのように、その運動速度を極限まで遅延させた。時速数センチメートルという、超スローモーションのような緩やかな降下状態へと強制移行したのだ。
「な、何だこの現象は……!? 列車の質量そのものを遅延させただと!? このような魔法、ギルドのデータベースには存在しないぞ!」
シャドウ・ラインの工作員が驚愕の声を上げる。
「玲奈、今だ! あいつらを叩け!」
「はいっ!」
重力から解放されたかのように、玲奈が列車の先端から飛び出した。
彼女は空中で姿勢を制御し、青い雷光を全身に纏わせる。
「新快速一閃!」
空中から放たれた目にも留まらぬ速さの一撃が、工作員たちの結界を紙のように引き裂き、その胴体を両断した。工作員たちは悲鳴を上げる暇もなく、黒い煙となって霧散していく。
だが、まだ列車は崖に引っかかったままだ。遅延制御の効果時間はあと数秒しかない。
「鉄平、ポイントが壊れたままです! 着地しても線路に戻れません!」
「これで繋ぐ!」
鉄平は運転台から飛び出すと、懐から自分の魔導ICOCAを取り出し、砕け散ったレールの隙間に直接叩きつけた。
「振替輸送――回路接続!」
鉄平のICOCAから眩い青い魔力ラインが走り、破壊されたポイントの代わりに、空中に「魔力で形成されたテンポラリ・レール」を描き出した。
遅延制御が切れた瞬間、キハ百二十形は重力を取り戻し、その魔力のレールへと着地した。
ゴツン!
激しい衝撃とともに、列車の車輪は無事に逆方向の正規レールへと戻り、ゴトゴトと静かに走り出した。脱線回避。完全な定時運行の軌道への復帰だ。
「バカな……脱線事故の運命すら書き換えたというのか……!」
霧の奥にいた残党の工作員が、恐怖に満ちた声で呟き、闇の中へと逃げ去っていった。
「おいおいおいマジかよ!」
「列車の落下速度を遅延させて、魔力のレールで繋ぎ直したぞ!」
「これがスジ屋の神……いや、もう運行の支配者だろ」
「解説鉄オタ:今のはサントラスの予備魔力を分岐にバイパスする裏技だ。Fランクがやっていい芸当じゃないぞ!?」
「配信見てて心臓が止まるかと思ったわ」
「黒崎課長、今すぐ八雲さんに土下座して復職を懇願しろwww」
コメント欄が狂喜乱舞し、同接数も一挙に二十万人を突破する中、鉄平は泥だらけになった膝を払い、震える指先でICOCAを回収した。冷や汗でジャケットが背中に張り付き、魔力の急激な消耗で眩暈がする。
玲奈が駆け寄り、心配そうに鉄平の身体を支えた。
「マスター、無茶をしすぎです! でも……ありがとうございます」
「いいよ。俺はただ、自分のスジを守っただけだ」
鉄平は玲奈の支えを借りて運転台に戻り、しっかりと前を見据えてマスターコントローラーを握り直した。
「玲奈、怪我はないか」
「はい! 大丈夫です。でも、鉄平……今の本当に凄かったです。私、本気で死ぬかと思いました」
玲奈が少し震える手で鉄平の袖を掴んだ。
「俺が言っただろ。引かれたレールがある限り、絶対に誰も死なせない。さあ、この先が出雲坂根駅のホームだ。あそこを安全化すれば、木次線最大の関所は突破だ」
「はい!」
俺たちは破壊されたポイントの残骸を越え、勝利の光が待つ出雲坂根駅のホームへと滑り込んでいった。




