第11話 ブルーライナーズ
車窓の外を高速で流れる景色は、かつての長閑な兵庫県の街並みではない。ひび割れたアスファルトの隙間から不気味に脈動する紫色の魔力茨が伸び、放棄された住宅街を覆い尽くす廃墟群だ。
時速百三十キロメートル。
魔導装甲を全身に施した二二三系新快速は、金属的な重低音を響かせながら複線のレールを疾走していた。車体を包む鮮やかな青い光膜――「新快速障壁」が、線路脇から飛びかかってくる中級モンスターたちを火花とともに容赦なく弾き飛ばす。この障壁は、列車の速度が上がれば上がるほどその硬度を増す特性を持っている。
だが、その防衛線も限界に近づいていた。
「鉄平! 前方に高エネルギー反応! 線路の上に何か巨大なものがいる!」
運転台の隣に立つ六甲玲奈が、白い魔導日本刀「天羽々斬・改」の柄に手をかけながら叫んだ。彼女の透き通るような青い瞳が、緊迫した光を宿している。
俺、八雲鉄平は、スマートフォンの画面に表示された「SUNTRAS」の運行監視画面を見つめたまま、冷静に頷いた。
「わかってる。明石駅の手前、二見付近の龍脈が激しく歪んでるな。あれは単なる野良のモンスターじゃない。このエリア一帯の魔力を吸い上げているボス級の個体だ」
スマートフォンの画面では、明石駅へと続く軌道ラインが真っ赤に点滅していた。このままでは魔力詰まりによる「運転見合わせ」が発生する。そうなれば、新快速の障壁は消え去り、俺たちは数千匹の凶悪なモンスターの群れに無防備なまま飲み込まれることになる。
「玲奈、戦闘準備。正面から来るぞ」
「了解。いつでもいける!」
新快速の強力なヘッドライトが、薄暗い闇の奥に潜む巨大な影を照らし出した。
それは、複線の線路を跨ぐようにして立ち塞がる巨大な怪異だった。黒錆にまみれた踏切の遮断機と、漆黒の軟体動物が融合したかのような醜悪な姿。八本の太い触手がのたうち回り、その先端には赤く点滅する警報機が埋め込まれている。
一巻の中ボス、「踏切の怪人」だ。
奴が頭部の警報機を激しく点滅させると、鼓膜を直接揺さぶるような不快な警報音が周囲の空間に響き渡った。
カン、カン、カン、カン――。
その音が大気を伝ってきた瞬間、俺の身体が鉛のように重くなった。身体の全関節がガチガチに固定されたかのように、指先一つ動かせなくなる。
「くっ……体が……動かない!? 魔力が練れない!」
玲奈が苦悶の声を漏らし、その場に膝をつきそうになる。彼女の身体から立ち上っていた青い闘気が、急速に霧散していく。
踏切の怪人の固有アビリティ「一時停止」。警報音が鳴り響く範囲にいるすべてのプレイヤーの運動能力と魔力循環を、強制的にロックする極悪なデバフだ。
だが、俺の頭脳は凍りつくように冷えていた。
「玲奈、焦るな。踏切の警報音には物理的な周期がある。点滅と音の間隔は一定だ。俺の合図に合わせて一瞬だけ魔力を爆発させるイメージを持て」
俺は脳内でユニークスキル「始発の改札口」を展開する。西日本の全路線図と、現在走行している路線の魔力流動軌道が脳裏に浮かび上がり、踏切の怪人が発する不規則な魔力波形と同期していく。
カン、カン、カン……。
「三、二、一――今だ!」
俺のスキル「遅延制御」が発動した。
踏切の怪人が次の警報音を鳴らそうとした瞬間、その魔力発信のタイミングが「三秒」遅延する。警報音の連続性が途切れ、一時停止の呪縛が一瞬だけ緩んだ。
「はあああ!」
玲奈の体が弾かれたように動いた。彼女は新快速の屋根の上に飛び出すと、天羽々斬・改を上段に構える。
しかし、踏切の怪人もさるもの。遅延から立ち直ると、無数の触手を新快速に向けて叩きつけてきた。防壁がバリバリと音を立てて悲鳴を上げ、車体が激しく左右に揺れる。
「このままじゃ押し切られる! 鉄平、何か手はない!?」
「明石駅に滑り込む。あそこはまだセーフティエリアが生きてる。玲奈、あいつを引きつけてろ!」
俺は運転席のマスターコントローラーを握り、魔導エンジンの出力を限界まで引き上げた。新快速は唸りを上げて加速し、踏切の怪人の触手を擦り抜けながら、明石駅のプラットホームへと滑り込んだ。
キィィィィン!
激しい金属音を立てて列車が停止する。駅のホームを覆う半透明の魔導結界が、追ってきたモンスターの侵入を防いだ。
「ふぅ、一時退避成功だな。玲奈、少し休め。バフをかける」
俺は額の汗を拭いながら、ホームに設置された臨時物資集積所――ギルドが管理する「駅弁コーナー」へ走った。
セーフティエリアである明石駅には、ダンジョン攻略を支援する特殊な「ご当地グルメ」が存在する。
ガラスケースの中に鎮座していたのは、茶色い素焼きのタコ壺を模した容器に入った有名な駅弁だった。
「あった。「拘束の明石オクトパス飯」だ」
俺はすかさずそれを購入し、息を切らせて玲奈の元へ戻った。
「玲奈、これを食え。強力なバフ飯だ」
「えっ? こんな緊迫した状況でお弁当を食べるんですか!?」
玲奈は目を丸くして驚きつつも、俺が差し出した素焼きの壺の蓋を開けた。
その瞬間、甘辛い醤油の香ばしい香りと、温かい出汁の湯気が一気に吹き出し、俺たちの鼻腔をくすぐった。壺の中には、旨味を含んだ茶色い醤油味のご飯の上に、ふっくらと煮込まれた大きなタコの足が丸ごと一本、そして柔らかそうな穴子、椎茸、筍が美しく盛り付けられている。
「すごく、美味しそう……!」
玲奈は箸を取り、タコの足を一口かじった。
「んんっ! 信じられないくらい柔らかいです! 噛むたびにタコの濃厚な旨味と、甘口の秘伝タレがじゅわっと口の中に広がります! ご飯にもタコの出汁が芯まで染みていて、箸が止まりません!」
玲奈の頬が幸せそうに緩み、みるみるうちに彼女の体から立ち上る魔導オーラが濃くなっていく。その全身を、無数の触手のような揺らめく影が覆い始めた。
システムログが脳内に表示された。
「獲得バフ効果:明石オクトパス飯。効果時間三時間。近接攻撃ヒット時、十パーセントの確率で敵の足をタコの触手で縛り付ける拘束アビリティを付与」
その頃、玲奈が配信している「ダンジョン実況チャンネル」のコメント欄は、驚愕と興奮で埋め尽くされていた。
「おいおい、ボスの目の前で駅弁食い始めたぞ!」
「でもあのタコ飯、マジで美味そうだな。明石のひっぱりだこ飯か?」
「ていうかあのナビゲーターの男、何者だよ? 一時停止のデバフをスキルで解除したぞ?」
「あれ遅延制御スキルだろ? 普通は数秒しか稼げないのに、ボスの行動ダイヤを完全に予測してピンポイントで割り込んだぞ……神業かよ」
「スジ屋(ダイヤ屋)のプロじゃねえの? 動きに無駄がなさすぎる」
「よし、これで準備は整った。玲奈、あの踏切の怪人を仕留めるぞ」
「はい! お腹もいっぱいになりましたし、負ける気がしません!」
玲奈は力強く頷き、天羽々斬・改を構え直した。
新快速は再び発車し、明石駅の安全結界の外へと勢いよく躍り出た。
待ち構えていた踏切の怪人が、激怒したように遮断機を振り回し、再び警報音を鳴らそうとする。
「同じ手は二度も食わない!」
俺は「始発の改札口」の出力を最大にし、怪人の魔力運行ルートを書き換えた。
「列車遅延、十五分! お前の攻撃ダイヤは完全に崩壊している!」
怪人の警報音が奇妙に歪み、完全に沈黙した。ダイヤが乱れたことで、奴のスキル発動シーセンスが強制終了させられたのだ。
「そこだ、玲奈! いけ!」
「新快速一閃!」
玲奈の体が青い新快速の疾走速度を乗せた稲妻と化し、列車の屋根から弾丸のように飛び出した。
彼女の放った鋭い一閃が、踏切の怪人の巨大な胴体を深く切り裂く。
その瞬間、明石オクトパス飯のバフが発動した。切り裂かれた傷口から半透明の霊的なタコの触手が無数に噴き出し、踏切の怪人の巨体をがんじがらめに縛り上げる。
「ギギギ、ガガガ……!?」
身動きが取れなくなった怪人は、ただ恐怖に身を震わせるしかなかった。
「これで、終わりです!」
玲奈は空中で華麗に刀を反転させ、雷光を纏った十文字の斬撃を叩き込んだ。
「特急・雷鳥十文字!」
眩い青白い閃光が炸裂し、縛り上げられた踏切の怪人は、断末魔の叫びを上げる間もなく光の粒子となって消滅した。
その直後、明石から姫路へと続く線路の魔導結界が一気に修復され、青い光のラインとなって前方へと伸びていった。
スマートフォンの画面に「運行再開」の文字が躍る。
「やましたね、鉄平!」
「ああ。これで姫路までのスジは繋がった。新快速、運転再開だ」
俺たちは勝利の余韻に浸りながら、再び加速する新快速の揺れに身を委ねた。だが、この時の俺たちはまだ知らなかった。この防衛戦の様子が、玲奈の配信を通じて関西中に、そして世界中に中継され、大バズりを巻き起こしていることを。




