第10話 激震のコメント欄
ガシャァン!
強化ガラスが砕け散ると同時に、鋭い爪を伸ばした架線の死神が車内へと首を突っ込んだ。
だが、その瞬間にはすでに、玲奈の日本刀が死神の首筋へと吸い込まれていた。
バチィッ!
青い電光が炸裂し、魔物は喉を鳴らす暇もなく光の塵へと還っていった。
「流石ね、マスター! 完璧な予測よ!」
玲奈は砕けたガラスの隙間から、列車の屋根へと軽々と飛び乗った。時速百三十キロメートルの猛烈な強風が、彼女の白銀の髪を激しくなびかせる。
「玲奈、屋根の上の風圧は時速百三十キロメートルだ。まともに動けば吹き飛ばされる。だが、列車の周囲三センチメートルには随伴流の魔力膜がある。そこに自身の魔力波長を同期させて足を固定しろ」
「ええ、やってみるわ!」
彼女がレールの魔力と自身の足元の魔力を同期させると、驚くほど安定して屋根の上で立つことができた。
しかし、試練はここからだった。
新快速が「芦屋駅」のホームを通過しようとしたその時、線路の両脇から、無数の不気味な影が跳躍してきた。
全身が黒い金属プレートで覆われた人型の魔物、線路の強襲者の群れだ。彼らは新快速のスピードに合わせるように走りながら、次々と車体へと飛び移ってくる。
「くそっ、多すぎる! 防壁のエネルギーが持たないぞ!」
車内で防衛していた探索者たちが悲鳴を上げる。車体の防壁ジェネレーターの数値が、八十、六十、と急速に減少していく。
「マスター、敵の数が多すぎて、私の剣だけじゃ処理が追いつかないわ!」
玲奈の声に、わずかな焦りが混じる。
鉄平は客室の座席に座ったまま、スマホの画面を強くタップした。
「慌てるな。こういう時のために、さっき大阪駅でねぎ焼きを食ったんだ。……玲奈、お前には風耐性と咆哮無効のバフがかかっている。風圧を無視して動けるはずだ。そして、俺が列車の障壁の出力を調整する」
鉄平はダイヤ調整課のマスターキーの権限を使用し、新快速の防壁システム、サントラスに一時的にアクセスした。
「全車両の防障壁出力の同調を解除。進行方向から後方へのエネルギー流動を制御。スキル、魔導徐行運転、展開!」
キィィィンという、レールと車輪が擦れる凄まじい摩擦音が列車の周囲に響き渡った。
だが、列車の速度自体は落ちていない。変化したのは、列車の周囲に展開された「魔導の制限速度フィールド」だった。
列車に飛び移ろうとしていた強襲者たちの動きが、フィールドに触れた瞬間、まるで水中を走っているかのように極端に減速した。相対速度が時速二十五キロメートル以下に強制固定されたのだ。
「なっ、魔物がゆっくり動いている……!?」
車内の探索者たちが、窓の外を見て目を見開いた。
「玲奈、敵のリーダー格――暴走信号機が六両目の屋根の上にいる。やつが咆哮を放ち、周囲の魔物を狂暴化させようとしているが、お前にはねぎ焼きのバフがある。咆哮を無視して、一気に範囲攻撃で薙ぎ払え!」
「了解よ! マスターの言う通り、突撃するわ!」
玲奈は屋根の上を疾走した。時速百三十キロメートルの風圧も、鉄平の速度制御と彼女のバフの前には、ただのそよ風に過ぎなかった。
六両目の屋根の上に立つと、巨大な赤信号の眼を持った魔物が、周囲の空気を震わせる大咆哮を放った。
オオオオオオオッ!
その衝撃波は車内の探索者たちの動きを硬直させるほどのものだったが、玲奈は眉一つ動かさずに突進を続けた。ねぎ焼きの「咆哮スタン無効」の効力が完璧に発揮されていた。
「これで、終わりよ!」
玲奈は刀を十文字に構え、全身の魔力を雷光として爆発させた。
「特急・雷鳥十文字!」
バリバリバリッ!
巨大な雷の十字架が新快速の屋根の上に現れ、周囲にいた強襲者たちと、リーダーの暴走信号機を一瞬で感電・消滅させた。
魔物の群れは一網打尽にされ、夜空に青い花火のように散っていった。
新快速は、一切の傷を負うことなく、魔の区間を脱出して快走を続けた。
車内には、しんと静まり返った後、割れんばかりの歓声が響き渡った。
「す、すげえ……本当に無傷で切り抜けやがった……」
先ほど鉄平をバカにしていたアタッカーの探索者は、腰を抜かしたまま呟いた。
配信のコメント欄は、もはや読むことが不可能なほどの超高速で流れていく。
「神ナビ!!!」
「あのFランク、システムをハッキングして制限速度かけたぞ!?」
「ねぎ焼きのバフがここで活きるの伏線回収すぎて草」
「玲奈ちゃんのサンダーバードクロス、美しすぎる……!」
同接数は十五万人を超え、伝説の配信としてネットの歴史に刻まれた。
鉄平はスマホをポケットにしまい、静かに息を吐いた。
「新快速、定時運行を確保。これにて防衛任務完了だ」
*
列車は明石駅へと滑り込んだ。
無事にホームが安全化され、結界が安定したのを見届けてから、鉄平と玲奈は駅ビルのテラス席へと向かった。
初攻略の報酬で潤った財布から、鉄平が購入してきたのは、陶器の小さな蛸壺に入った名物駅弁だった。
「これが明石の名物、ひっぱりだこ飯だ。旅情と実用性を兼ね備えた極上のバフ飯だぞ」
「あら、可愛い壺ね! 中はどうなっているのかしら?」
玲奈が蓋の紙を破り、木の割箸で中をつついた。
醤油と出汁の染み込んだ茶色いご飯の上に、タコの旨煮、穴子、そして錦糸卵が綺麗に敷き詰められている。
玲奈はタコの足の旨煮を箸でつまみ、口に運んだ。
「んぅ……! 弾力がすごいです! でも、噛むほどに甘辛い味がじわじわと染み出してきて、とっても柔らかい……! この出汁の染みたご飯と一緒に食べると、いくらでも入っちゃいそう!」
玲奈は幸せそうに頬を包みながら、ひっぱりだこ飯を夢中で食べ進めた。彼女の頭上にログが浮かぶ。
【魔導グルメバフ獲得:ひっぱりだこ飯】
【効果:近接攻撃ヒット時、10%の確率で敵をタコの魔力触手で3秒間縛る「拘束アビリティ」獲得(効果時間:3時間)】
「これで次の攻略のハメ技が使えるな」
鉄平が満足そうに頷いたその時、彼のスマホにギルド総本部からの緊急通知が入った。
画面には「最優先臨時ダイヤ構築要請:姫路エリアで大規模な地脈暴走(怪異テロ)の兆候あり。至急、現地へ向かわれたし」と書かれていた。
鉄平を追放した近畿支部の黒崎課長の慌てふためいた声が、自動メッセージから流れる。
「八雲! 頼む、新快速の無傷攻略を達成したお前たちの力が必要なんだ! 姫路が落ちれば、山陽本線の結界が崩壊する!」
鉄平は画面を閉じ、玲奈を見つめた。
「次の仕事が決まったぞ。目的地は姫路だ。スジの乱れを許すわけにはいかない」
「ええ、喜んで! 出発進行ね、マスター!」
玲奈は笑顔で立ち上がり、再び刀を手にした。二人の乗る列車は、新たなる危機の渦巻く姫路へと向けて、力強く走り出すのだった。




