丙戌の章 翼が欲しい羽が欲しい 飛んでいきたい
(これさえありゃァ百人力だ。よし、ここから逃げるぜ、姫さん。
とは言っても、あの扉は造りが頑丈で、壊すにゃ骨が折れそうだ。火の手もそっちから来てるようだしなァ。
しょうがねェ、窓からおん出るとするか)
火かき棒を鳶口よろしく構えた火消し令嬢は、板が打ち付けられた窓に駆け寄ると、慣れた手つきで板の隙間に火かき棒の鉤になった部分をねじ込んだ。
そのまま大して力も入れずに板を剥がしていく源太の手際に、ベアトリスは思わず目を奪われる。
「……すごいわね、ゲンチャン」
(へっへ、本職は違うだろ?………サァこれで窓が開くぜ)
ドサッと最後の板が床に落ち、火消し令嬢は大きく窓を押し開けた。
(姫さん、おいらに任せてくれるかい?)
「ええ、ゲンチャン。貴方について行くわ」
二人で一人の公爵令嬢は、火かき棒を握ったまま窓から身を躍らせた。
※※※※※※※
旧校舎の周りに集まっていた生徒や職員たちはワッと驚きの声を上げた。
燃える建物の上階の窓から、女生徒の姿が現れたのだ。
その少し前のこと、職員室に「旧校舎が燃えている」と生徒会のメンバーが駆け込んできて、放課後の学院は騒然となった。
火の手があがったのは旧校舎の西棟で、幸いそのとき生徒会メンバーはほとんどが東棟で作業していたため、火が回る前に外に逃げ出すことができた。
だが、その中にベアトリスの姿だけがないことに気づいたときには、彼女がいる西棟への廊下は炎に包まれ、誰も近づけなくなっていたのだった。
報せを受けて旧校舎に駆け付けた生徒と職員が、バケツリレーによる消火活動を始めたが、燃え広がった炎はとても消し止められるようなものではない。
誰もがベアトリスの生存を諦めかけたとき―――当の公爵令嬢が自ら旧学院長室の窓を破り、火かき棒片手に飛び出してきたのだった。
火消し令嬢は窓の桟の下に突き出した窓台に降り立つと、火かき棒を巧みに窓枠に引っ掛けながら、窓台から窓台へと跳び移っていく。それはまるで―――
「足に羽が生えているみたい!」
ベアトリスが頬を上気させて叫んだ。
(おいおい、姫さん楽しそうだな。怖かねェのかい?)
「不思議ね。怖いはずなのに、ゲンチャンが一緒だと大丈夫って気持ちになるの」
(そいつァ火消し冥利に尽きるってもんだ。
だが、明日になったらきっと後悔するぜ?前に木に登ったときも、次の日節々が痛くて大変だったろ。後で泣いても知らねえよ?)
「そうね。じゃあ、今日は思いっきり跳んで、ゲンチャン!」
(ハハハ!こいつァ大したじゃじゃ馬お姫様だ。驚いたねどうも)
火消し令嬢は、窓のすぐ側まで木立ちが枝を伸ばしているところまで来ると、校舎の壁を蹴って一気に枝に飛びついた。
「キャア〜」 「アレ〜」
公爵令嬢の心臓に悪い離れ業に、度肝を抜かれたご令嬢たちがあっちこっちでパタパタ倒れる。
阿鼻叫喚の中、火消し令嬢はスルスルと幹を伝い、一番下の枝からポンと地上に飛び降りた。
※※※※※※※
「ベアトリス!」
火消し令嬢が制服の汚れを叩いているところへ、コーネリアが駆け寄ってきた。
「もう会えないかと思ったじゃない!ホントに怖かったんだから!」
泣きながら抱きつくコーネリアを、ベアトリスもギュッと抱き返す。
コーネリアの制服にもあちこち煤がついていて、微かに鼻を刺すような匂いがした。
「コーネリアも無事で良かったわ。ケガはない?」
「私は平気よ………生徒会の皆が一緒だったもの。
外に避難したら貴女が出てきていないことに気がついて、助けに行こうとしたんだけど、西棟へ行く廊下はもう火が回ってて………本当に気が気じゃなかった。
でもベアトリス、いくらドアが開かないからって、窓から出るなんて向こう見ずもいいところだわ。もうあんな危ないことしちゃダメよ」
泣き笑いになるコーネリアに、ベアトリスはうまく笑い返せず、黙って頷く。
「………ベアトリス」
そこへ、オリヴィアの落ち着いた声が響いた。
「なんですか、ストコ・ド・コイ侯爵令嬢?今私がベアトリスと話しているんだから割り込まないでください」
コーネリアは険悪に眉を寄せるが、オリヴィアは動じない。
「アタリキヨ侯爵令嬢、お気持ちはわかりますけど、何より今はベアトリスをお医者様に診ていただくのが先決ですわ。
お元気そうでも、何処か怪我をしたり、煙を吸ったりしているかもしれないでしょう?
さあ、ベアトリス、行きましょう」
オリヴィアは青い顔をしているベアトリスに手を貸し、その場から連れ出す。
コーネリアはその後ろ姿を悔しげに見送った。




