癸未の章 同じ阿呆なら踊るが得じゃ
王太子に厭われているベアトリスが王宮の舞踏会に家族と入場するのはいつもの光景である。
これまでは、時代遅れの重厚なドレスのせいで悪目立ちしてしまっているベアトリスが、背を丸めて筆頭公爵の後ろに隠れるように入場してくるのが常だった。
加えて、ここ一年ほどはフェルディナンドが見習いで会に参加するようになり、ヴォルフガングが息子の顔つなぎに忙しくなったため、より一層ベアトリスがひとり取り残されることが増えていた。
しかし、この日フェルディナンドとヴォルフガングに挟まれて王宮のホールに現れたベアトリスは、柔らかくウェーブを描くダークブロンドの髪を下ろし、流行の型の軽い夏のドレスに身を包んでいた。
オリヴィアと一緒にベランメー商会で仕立てた薄緑色のシフォンのドレスは、ベアトリスの肌の白さを引き立て、彼女を白百合の花のように見せている。
背筋を伸ばし、時折弟と笑みを交わしながら歩くベアトリスの美しさに多くの貴族令息が胸をときめかせたが、反対側の公爵が宮殿の装飾のガーゴイルのような顔で周囲を睨めつけているため、迂闊に近づくことはできなかった。
ちなみに、その表情はヴォルフガングの照れの極致を表しているのだが、そのことを知るものは少ない。
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(えらい盛況だな。姫さん、油断すんなよ)
「ええ、ゲンチャン」
(一人にならねェようにな。できるだけ誰かと一緒にいるこった)
「わかってるわ」
ホールを見渡しながら、ベアトリスは源太とヒソヒソ話した。
春以来の王宮舞踏会である。
あの時ベアトリスをバルコニーから突き落とした人間も参加している可能性は高かった。
とは言え、今になってみると「バルコニーから突き落とす」というやり方は、命を狙う方法としてはいかにも突発的で無計画だ。
あれからベアトリスの身に何も起きていないことを考えても、或いは犯人にそこまでの計画性はなく、たまたま一人でバルコニーにいたベアトリスを見て、ふと悪い気を起こしたとも考えられる。
それでも、用心するに越したことはない。
源太とベアトリスは話し合って、夏の舞踏会では常に人目のあるところにいて、一人にならないように気をつけよう、と約束していた。
そして、実際一人になるヒマもなかった。
フェルディナンドは何くれとなく姉の世話を焼こうとするし、オリヴィアをはじめ新しい友人たちが入れ代わり立ちかわり笑顔で声をかけてくる。
これまでベアトリスを馬鹿にしていた者たちまでもが、取り繕った笑顔でやってきては中身のないお世辞で褒めそやしてきたが、ベアトリスは前よりずっと自然な態度でそれを受け流すことができた。
以前なら彼らの笑顔の裏にある悪意に傷ついて、耐えられずに逃げ出してしまっていただろう。
でも今は……とベアトリスは思う。
自分のことを大切に思ってくれる人たちが傍にいると知っただけで、こんなにも世界は違って見える。
そして、あの時ひとりぼっちだった私を助けてくれて、今も変わらず助けになろうとしているこの不思議な人の存在が、どれほど心強く温かい気持ちにしてくれることか……
ベアトリスは源太を想ってそっと自分の胸に手を当てた。
※※※※※※※
メインホールではダンスタイムが始まっていた。
ベアトリスは壁際で踊る男女を見守っている。
本来のパートナーであるはずのレオポルドは、いつものように生徒会メンバーや令嬢たちに囲まれているが、最前ベアトリスが会場に入った時には、彼女の姿を見て驚愕に目を見開いていた。
以来、何度もチラチラとこちらをうかがう様子を見せているが、取り巻きの手前か、ベアトリスに近づいてくることはなかった。
あるいは、ベアトリスの隣で仁王立ちしているガーゴイルに気圧されて近づけないのかも知れない。
レオポルドの横にはコーネリアもいるが、こちらもオリヴィアたちと親しげに言葉を交わすベアトリスに複雑な顔をしながらも、生徒会メンバーの元を離れることはなかった。
ベアトリスは彼らから折々向けられる刺すような視線に閉口しつつ、時には友人と話し、時にはガーゴイルを盾にして、うまくやり過ごしていた。
(姫さん方の着物の裾がどうしてあんなにヒラヒラしてるのかようやくわかったぜ。
成ァる程、こうしてくるくる踊るってェと、裾が綺麗に広がってなかなか乙に見えるって寸法だァ)
ホールの男女を見守っていた源太が感心したような声を出した。
「エドの踊りとは違ってる?」
(盆踊りやかぶき踊りとは大分違うねェ。
だいたい、灯りが煌々としてる人前で男と女が恥も外聞もなくあんなにピターッとくっつくなんてのァ、黄表紙の中だけの話だィ。
まあこうして見てる分には綺麗だけどな)
「………ねえ、ゲンチャンも踊ってみない?」
(へえっ!?おいらがかい!?
……勘弁してくれよ。いくら姫さんの中にいるからって、野郎とピッタリくっついて、手ェ握ってくるくる回るなんてことはおめえ、江戸の町火消の沽券に関わらァ)
「違うわ、ゲンチャンと私で踊るの。
私、舞踏会ではほとんど踊ったことがないんだけど、踊るならゲンチャンと踊りたい。
………エドの町火消さん、私と踊っていただけますか?」
(えっ………そりゃ、まあ、でも、どうやって………)
「私がステップを踏むから、ゲンチャンはついてきて。こうやって、手を取り合っている姿を想像しながら………ね?」
ベアトリスはフロアに進み出ると、一人で踊り始めた。
周囲は突然の公爵令嬢の奇行に驚き、そちらに気を取られた男女があちこちでぶつかって足が止まる。
ベアトリスは気にすることなくステップを踏み、源太に囁く。
「どう?ゲンチャン」
(へへ、ちょいと目が回るが、こりゃ楽しいや。
姫さん、なかなかうめェじゃねェか)
「よかった。私も楽しいわ」
令嬢が一人で踊るなど前代未聞であるが、ベアトリスの優雅なダンスに招待客たちは思わず目を奪われた。
彼らは後に、公爵令嬢があまりにも愉しげで、あまりにも幸せそうに踊るので、まるで見えない誰かがそこにいて、一緒に踊っているように見えた、と語った。




