EP5 イリシア王宮
アルベートは自室で着替えている。
これといった目立つ家具も無く、綺麗に整頓された部屋には、ほこり一つ落ちていない。
どこか薄暗さを感じる部屋の作りは、彼自身の心を表しているのかもしれない。
今日は王宮に行かなければならなかった。今回の仕事で国王に会わなければならないからだ。
彼は礼服に袖を通し、身なりを確認する。
王に会うにあたって最低限の礼節は必要だ。かといって悪目立ちする気もさらさら無い。
あくまで目立ち過ぎず、控え過ぎずといった絶妙なバランスが必要だった。
「こんなところか。」
小さな姿見で自身の全身を見る。
金色に輝くイリシア王国の紋章が入ったメダリオンをポケットに忍ばせると、アルベートは部屋を出た。
彼の部屋は酒場の二階にあり、店内のカウンターの裏手に階段がある。
身を屈めながら狭い階段を下りて、店の扉を開けた。
異なる二つの鐘の音色が耳に残る。
時は夕刻、彼はいつもより薄暗い空をちらりと見ると、空模様の怪しさに眉をひそめる。
「チッ、ここで降られてはかなわんな。」
気持ちを切り替えて足早に王宮へと向かった。
広場を通って、大通りに出たところで天気がぐずりだす。
アルベートはほとんど小走りになって、坂を駆け上がっていった。
歓迎を意味する軒先の旗も今日はおとなしい。
店の商人達も首を振りながら片づけを始めていた。雨が降れば客足が途絶えるのだ。
それとは打って変わって、エリーゼの酒場には人だかりが出来ている。
だが彼は足を止めることなく城へと急いだ。
王宮は正門を正面に捉えて見ると、左側にある。逆に右側には王城が聳え立っているのだ。
それらを囲うように長大な城壁が王の居場所を守っている。
正門前の広場に到着しても、ひしめき合う貴族の従者たちに目を向けることも無く東門へと急ぐ。
この時間であれば課業を終えた王宮勤めの者達が、家に帰る頃合いだ。つまり東西の門は開いている。
国王に謁見するならば正門から入るのが正規の手続きなのだが、それらを無視できるメダリオンを彼は持っている。これがあれば王の近衛兵がいるところまでは自由に入ることが出来るのだ。
東門へと着くころには雨は本格的に降り始めていた。礼服が濡れてしまうのは癪だが、これでは致し方ない。
東門では彼の思惑通り、日中の仕事を終えた王宮勤めの従者たちが、急ぎ足で家路に向かっている。その傍らにいる衛兵たちはその光景を雨に打たれながら、見守っていた。
波に逆らうように人をかき分けながら東門を通ろうとした時、一人の衛兵が立ちふさがった。
長めの剣を腰に携えて、大きな胸当てが特徴的な一般的な衛兵の姿。
「そこの者、止まれ! これより先は国王陛下のあらせられる王城ぞ。下民ごときが気安く立ち入ってよい場所ではないわ!!」
その衛兵は声を張り上げると、彼に詰め寄った。見るからに若い顔立ちと、人を見下した目。
アルベートは露骨に嫌な顔をした。
雨が降っているのもあるが、どうもこの若者の態度が気に入らない。初対面の相手に対する間合いの詰め方と、まるで覚えさせられたかのような定型句。明らかに新人だと彼は瞬時に見抜く。
小さくため息をつくと、ポケットからメダリオンを取り出して、無言のまま若い騎士に見せた。
見せつけられた物をちらりと見ただけで、その騎士の態度は変わらない。
「こんなものを見せたからと言って何だというのだ。栄えあるイリシア王国の紋章を騙るなど、重罪に値する。衛兵、であえ!」
その掛け声で東門の脇に控えていた衛兵がぞろぞろと集まってきた。
アルベートはため息をついて肩を落とす。濡れる礼服が次第に重くなる。
こんな事になるなら多少遠回りでも正門を使えばよかったと後悔したのだ。正門であればベテランの騎士や衛兵たちがその門を固く守っている。常日頃から貴族や身分の高い人々と接する彼らなら、このメダリオンの事も当然のように扱ってくれるのだ。
瞬く間に四人の衛兵に取り囲まれる。王都へと急ぐ従者達はかかわりたくないのか、目線を合わせずに足早に立ち去っていく。
「全く……。」
そんな言葉を呟いた時、王宮側の門から一人の騎士が駈け寄ってくるのが見えた。鎧を身に着けて兜を小脇に抱えている。
「俺が少し目を離したすきにいったい何の騒ぎだ。」
立派な口髭を携えた上官らしき騎士は、彼を囲む衛兵に声をかける。
「は! この者はあろうことか、栄誉あるイリシア王国の紋章を悪用しようとしていたのであります。」
若い衛兵は侮蔑を込めた視線をアルベートに向けながら口髭の騎士に説明する。その口元はわずかに歪んで見えた。
「ふむ。それが事実ならば由々しき事ではあるが。一度拝見させていただいてもよろしいですかな?」
騎士は衛兵の話を聞くや、物腰柔らかく態度を軟化させて言葉を改めた。
もう一度、水滴の付いたメダリオンを皆が見えるように掲げると、明らかに若い従者以外の反応が変わる。中には身じろぐ衛兵もいたぐらいだ。
「こ、これは……。大変失礼をいたしました。」
「私はこの東門の警備を任されておりますシュナイダー・ロコスと申します。以後お見知りおきを。差し支えなければ、この私めが近衛の間までご案内いたします。」
騎士はアルベートに深々と頭を下げた。囲んでいた衛兵も道を開ける。ただ若い衛兵だけが事態を飲み込めずに立ち尽くしている。
「こら、道を空けんかこのバカ者が!」
「申し訳ございませぬ。この者は厳しく罰します故、お咎めのほどはお許しくだされ。」
「そこまで言うなら任せよう」
若者を叱責した騎士は右手で門の方へ促しながら、彼を案内する。
他の衛兵に半ば強引に腕を引かれた若者は、ようやく自分のしでかしたミスに気が付いたらしい。
顔は蒼白になり、口を開けて言葉にならない何かを呻いていた。
アルベートはそんな彼の肩に手を置いてから、騎士に続いて門の方へと歩みを進めた。
彼は先輩方に可愛がってもらえるだろう。そう思うとさっきまでの鬱憤は水に流すことが出来た。ただただ残念なのは、この問答の間に服がずぶ濡れになってしまったことである。
肌に服が張り付く気持ち悪さを感じながら東門をくぐる。
すると目の前には壮大な王宮が姿を現した。
職人が一つ一つを磨いて作った石の外壁は、滑らかなアーチを築いて全体を形成している。入り口にあるディテールの凝った六本の柱は、この国の建造技術を集結させて作られたものだ。少し残念なのは、この光景は外から見られないことだった。城壁を越えてからでないと見られない趣向はこの国のあざとさを表しているのかもしれないと彼は思ったのだった。




