EP2 下調べは念入りに
こちらは不定期投稿となります。
王都が活気を増していく朝、国中の人々が動き回っている。門番は交代の儀式を執り行い、商人は店を開けて掃除をしている。始業を告げる鐘の音と王宮から鳴り響くラッパの音色は人々のやる気を高揚させていた。
大通りから離れた倉庫街でアルベートは椅子に座りながら優雅に朝刊を読みながら、靴磨きの少年に靴を磨がいてもらっていた。
「でね、そのジルスはどうなったと思う?」
「振られちゃったんだよ! 頬を叩かれた音は王宮まで届いたんだって!」
靴を磨く少年ペルは、さも楽しそうに話をする。
アルベートは朝刊を読みながらもペルの話に耳を傾けていた。
この手の話は、9割方は尾ひれはひれのついたどうでもいい痴話話なのだが、見方を変えれば情報の宝庫でもあった。
アルベートはそのことを誰よりも深く知っていた。
「終わったよ! この話は面白かったでしょ。」
屈託なく笑うペルの顔は靴墨で汚れている。
継ぎはぎのある服を着た幼い子供でもあるが、話は人一倍巧い。それに愛嬌があった。
「ああ、とても面白い話をありがとう。ペルの話は特別だ。」
アルベートは笑顔を見せて銅貨10枚をペルに手渡した。
「こんなにくれるの? じゃあとっておきの話を教えてあげる。」
ペルは銅貨を大事そうに小袋にしまった後に、仕上げとして靴を叩きながら話を始めた。
「最近ね。市場のおばちゃんから聞いたんだけど、どうも王女様がお忍びで街を出歩いているらしいんだ。」
出た。
この話はさすがに王都の役人でも知らないだろう。
アルベートはにこやかな表情を崩さずにペルの話に聞き入った。
「おばあちゃんが言うには、誰かを探してるような素振りがあるんだって。」
「ねえアル。素振りってなんだろ? 仕事ってことなのかな? だとしたら早くその仕事が終わるといいね。」
ペルは学校に通えていない。この年で学校に通えるのは余裕のある家庭だけだった。
「この話はこれでお終い。いい話だったでしょ?」
満面の笑みでアルベートを見つめるその瞳には曇りが無かった。
「ああ。とてもいい話を聞いて俺も元気が出たよ。また聞かせてくれ。」
アルベートはそう言いながらペルに銅貨10枚を追加で渡した。
銅貨を手にしたペルは喜びを隠しきれず、はしゃぎ回った。
「いいの?。ありがとう! アル。これでお母さんに美味しいものを買って帰れる。」
情報というものは時に命に匹敵する程の価値を持つ。そしてすべての情報は繋がっている。
さっきの恋愛話も元を質せば商人の娘を元にした相続争いにまで話は広がる。
どこからでも漏れる可能性があるが故に、細かい事まで気を使わなければならない。
アルベートはこういった僅かな情報の匂いを嗅ぎ付けて物事の本質を捉えるのだ。
昨日の黄昏時に酒場に来た貴族の事をアルベートは思い出していた。
ロズワール侯爵。
王にしてこの公爵ありと言わしめた兄とは違い、後ろめたい噂の絶えない男。
僅かな知識を見せびらかして強権の元に臣下には疎まれ、領民を泣かせている、典型的なクズだ。
そんな奴が名君たる兄を失脚させようというのだから乾いた笑いしか出ない。
しかしそれはそれとして受けた依頼はこなさなくてはならない。
アルベートはロズワールの情報をほとんど知っていた。
昨日出した葡萄酒の1杯。モルレールの13年物を好み、その調理方法まで拘る人外。
一見、知識が深いと思わせるがそうでもなく、酒の味など知らない只の知ったかぶりだ。
だが、あの1杯でこちらの実力を知らしめるのには一役買った。
あの手の人間には最初に威厳を見せないと後々つけ上がらせるだけなのだ。
アルベートはペルに礼を言ってから倉庫街を後にした。
今回の仕事で必要な情報が増えた。今からそれらを精査する必要があるのだ。
王都の正門から少し入った場所にある広場。ここでは毎朝市場が開かれる。
各地から届いた新鮮な野菜や魚、家畜を檻に入れて丸ごと持ってくる業者もいる。
名産品や名酒といった一般では流通しない希少品が流れてくることも少なくない。
良いものは早く売り切れるものだ。そんな朝の市場は喧騒に包まれていた。
だがアルベートはこの光景を横目に、目的の店まで歩みを変えなかった。
広場の端にある古文書を取り扱う老舗。こじんまりとした店先には客の姿は無い。
ぎぃ。という建付けの悪い音を響かせながらアルベートは店に入った。
店の所々に蜘蛛の巣が張った薄暗い本屋。仲のいい老夫婦が2人で切り盛りしている。
置いてある本棚はこの国で最も古く、王宮の書庫にも置いていないほど古い本まで並べられている。
積み上げられた本に足を引っかけないように進むとカウンターが見えてくる。
紙を皺くちゃにしたような顔をした婆さんがチラっと顔を上げた。
「おはよう、アル。今日もいつもの仕事かい?。」
老婆がしわがれた声でアルベートに声をかけた。
「おはよう、ハンナ。ロジエールは起きてるか?」
「時間が良いからね。今日も広場は賑わってるじゃないか。」
「この国がこんなに栄えたのも王様とあんたのお陰だね。」
アルベートは一瞬怯んだ。
腕のいい情報屋ほど怖いものはない。こちらの情報まで筒抜けという訳か。
ひん曲がった腰を持ち上げながらハンナはゆっくりとした足取りで古書が敷き詰められた本棚へと移動した。
とある本棚に置いてある一冊の本をハンナは奥に押し込んだ。
カチッという僅かな木製の音を立てて本棚の一部が少し浮き上がる。
ハンナが隠されていた扉を開けてくれた。
「ゆっくりしておいき。」
アルベートは身を屈めながら隠し扉をくぐって地下へと降りて行った。
螺旋状になった階段は壁に備え付けられている燭台の明かりによって、薄っすらと見える程度だ。
足を踏み外さないように壁に手を添えながら慎重に降りていく。
コツ、コツ、コツとアルベートが履く靴の音が、螺旋階段をこだまする。
階段の一番下まで降りると、両側に燭台が置かれた木製の円形扉がある。
アルベートはその扉を決まったリズムでノックした。
トン、トトン。
少ししてから、カチャリと内側から開錠する音が聞こえてくる。
アルベートはゆっくりと扉を開けた。
その顔には似つかない大きなメガネを掛けた老人が、拡大された瞳を向けながら言った。
「久しぶりじゃなアル。中でゆっくりしていくといい。」
「ああ。ロジー。今日は長丁場になりそうだ。」
「ふぉ、ふぉ、ふぉ。そうかい。重い仕事なんじゃな。」
ロジエールは独特な笑い方をしながらアルベートを部屋の中へと招き入れる。
アルベートの半分ほどの身長のロジエールだが、その足取りはしっかりとしたものだった。
歳の割には力強い。かつて冒険者として名を馳せたというのはあながち嘘じゃなさそうだ。
レンガで作られた一室は上の書店より広い。
部屋の端には大きなテーブルがあり、その隣にはロジエールの作業机がある。
この部屋の約半分は整列された本棚で埋め尽くされており、膨大な量の本や図面などが収まっていた。
作業中だったのだろうか、作業机の上には図面が広げられていた。
初めて来た時にはこの部屋に保管されている書籍の多さに驚いたものだ。
アルベートは部屋を見渡した。
「前より増えてるな。流石はロジーだ。」
「ふぉ、ふぉ、ふぉ。褒めてもなにも出んぞ?」
「分かってるよ爺さん。腕利きは安売りはしない。」
アルベートはそう言って金貨5枚をテーブルに積み上げた。
ロジエールはそれを確かめると金貨をポケットにしまう。
音は出ない。
「それでは本題といこうかの。なにを探しとるんじゃ?」
ロジエールはメガネをクイっと持ち上げた。
「ピエル領下のシュタイン領の詳細。それとロズワール侯爵の身辺調査だな。」
シュタイン領はピエル領の中にある1つの領地だ。いくつもの領地を合わせてピエル領と言う。
ロズワール侯爵はシュタイン領の領主だった。
「随分と大きく出たな。」
「久しぶりのヤマでワクワクするぞい。」
ロジエールの瞳は輝きを増した。
「シュタイン領の詳細はここにある。身辺調査は……。そうじゃな、1週間ほど貰おうか。」
顎に手を添えたロジエールは少し考えてから彼にそう告げた。
王都からシュタイン領まではそう遠くない。徒歩で1日、馬で掛ければ半日とかからない距離だ。
アルベートが自分で見に行くのも手の一つだがロジエールがもたらす情報の精度は恐ろしく高い。
アルベートはそのことをよく知っていた。
「ああ。それでいい。よろしく頼むよ。」
「シュタイン領の情報は右奥の本棚の下あたりにある。好きにやってくれ。」
ロジエールはそう言い残すと早速作業に取り掛かる為に部屋を後にした。
お互いに腕利きともなると必要以上のことは詮索しない。
それは闇取引においては暗黙の了解とされていた。
アルベートは両腕に抱えるほどの書物をテーブルに広げて読み始める。
大方の情報は今回の依頼には関係ない。しかし情報を拾っておくことで最適な正解を導き出すことが出来る。
書籍を読み込むアルベートは険しい表情をしていた。
「予想以上に悪いな。」
シュタイン領の緊迫した財政、領民に課される重税の数字、不自然な輸出量の帳簿。
領民の動きも激しすぎる。他領への移住なんて余程の事でもない限り出来ない。
それらの事象が1人の人物に繋がっているであろう事は明白だった。




