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最後の鈴が止まった直後、銀の棺から指が突き出た。
蓋を貫いた指には皮膚がなく、赤い肉へ骨の破片を貼りつけただけの姿で、爪の先から黒い血が滴っていた。指が銀板の表面を探って留め金へかかると、棺の中で二本目の腕がギチギチと育っていく。
「押さえろ!」
父の兵が棺へ飛びついた。持ち上がった蓋の隙間から何十本もの白い歯が覗き、一人の腕を肘まで引き込む。
「あ、あああっ!」
腕を噛みちぎられた兵の血が、銀の棺を赤く染めた。内側から、ごくり、と飲み込む音がして、続いて骨の太くなる音がする。アルノルト様は食べた肉を使い、潰された身体を作り直しているらしい。効率のよい再利用だが、材料にされた側は到底納得できまい。
「鈴を鳴らせ!」
父が銀の手鐘を振ると、棺から伸びた腕が折れ、骨が皮膚を突き破った。父の顔へ安堵が浮かぶ。
「見たか。所詮は音一つで従う獣だ」
その言葉を聞き終える前に、棺の隙間からちぎられた兵の腕が飛んできた。手鐘へぶつかって血と肉で包み込み、音を鈍く潰す。もう一方の腕が蓋を弾き飛ばし、アルノルト様が起き上がった。
頭の半分は潰れ、片方の目は頬へ垂れ、口は顎から鎖骨まで裂けていた。胸から下には食べた肉が不格好に継ぎ足され、色も形も違う腕が何本も肋骨の間から生えている。腹へ縫いつけられた兵の肺はまだ膨らんだり萎んだりしており、そのたび喉のない呻きが肉の隙間から漏れた。それでも残った目だけは、まっすぐ私を見た。
「セシリア。ああ、いた。よかった……会いたかったのです」
夫はそばにいた兵を掴み、裂けた口へ頭から押し込んだ。兜と頭蓋が歯の間でばきりと割れ、しばらく激しく床を蹴っていた両脚も、やがて動かなくなる。
その音を聞いた私の喉が、情けないことにごくりと鳴った。夫の捕食を恐れている一方で、人喰いになりかけた身体は羨んでいる。銀の鋲を傷口へ押し当てても、鳴らさなければ骨の種は止まってくれない。
「奥様、こちらへ!」
ミナが地下室の扉を開けていた。遠くから馬の走り去る音が聞こえるので、逃がした三人は狩猟館の外へ出たらしい。
「ミナ、先に……帳面を持った方たちを。お願い、行って!」
「奥様を残せません!」
「あの人は私を追う。だから、今のうちに三人を王都へ。帳面を……皆に見せて」
アルノルト様の鼻が動き、肩から流れる私の血を嗅いだ。私は父の机から銀の呼び鈴を奪い、鳴らしながら廊下へ走る。高い音に肩の骨が背中側へ逃げ、夫の腕も折れたが、彼はすぐ別の方向へ組み直した。
「追いかけてきなさい!」
血のついた布を投げると、アルノルト様は笑った。私の後ろから、ギチギチという骨音が喜んでついてくる。
◇
狩猟館の廊下を走りながら、壁の呼び鈴を片端から鳴らした。高い音がするたび、肩の内側にある骨は右へ左へ逃げ、夫の指も壁へ触れる直前に縮む。
しかしアルノルト様は痛みに構わず、背中から新しい脚を生やして天井と壁を蹴った。人間らしい走り方を捨てた身体が頭上へ迫り、長い舌が私の首へ巻きつく。
舌の表面には細かな歯がびっしり生え、首を締めながら皮膚を削っていった。細い血が襟へ流れる一方、耳元では夫の腹が空腹を訴えている。妻を追い回しながら腹を鳴らすとは、色気のない夫である。
どうにか食堂へ転がり込み、卓上の銀食器を床へ払い落とした。匙や杯が石を叩き、キィン、カァンと高い音をまき散らす。舌は縮んで首から離れたものの、肩へ近づいていた骨の種まで音から逃げ、胸へ潜ってしまった。
なるほど。銀音は鳴らす位置まで正しく選ぶ必要があり、間違えると感染が早まるらしい。怪物退治にも説明書が欲しいところである。
「ああ、間違えましたね。痛いと君でも間違えるのですね。よかった。少し、私と同じです」
卓上へ降りた夫へ、壁際の銅鑼を狙って椅子を投げつけた。
ゴォン!
食器より低い音が食堂を揺らし、アルノルト様の背から生えた脚が一斉に引っ込んだ。胴が人間の形へ戻ろうとして、余分な腕を肋骨の間で噛み潰す。その時、胸の中央が一瞬だけ白く盛り上がり、拳ほどの骨が皮膚の下から外へ出ようとした。
「今の白い骨……それを隠したいのね。あなた、そこを見られるのが怖いの?」
両腕で胸を押さえた夫から笑みが消えた。答えとしては十分である。
裏口へ走ると、そこには銀盆を持ったミナと、供物だった少年がいた。年老いた女中は帳面を持ち、囚人が動かす馬車で王都へ向かったという。
「先に行けと言ったでしょう!」
「この子が、奥様を置いていかないと言うものですから」
少年は青ざめながらも、狩りの犬を呼ぶ小さな銀笛を差し出した。受け取った笛を肩の外側で吹くと、甲高い音に押されて骨の種が胸から鎖骨へ戻る。ミナも腕側で銀盆を鳴らし、噛み傷のすぐ下まで追い込んでくれた。
「出せそうです」
ミナの声に励まされ、傷口へ指を入れて白い骨の端を掴んだ。ところが引こうとした瞬間、館の中でアルノルト様の胸がドクンと鳴り、骨の種が私の指へ小さな歯を立てた。そのまま肉を裂き、肩の奥へ戻ろうとする。
「あの人が生きている限り、外へ出しても戻ってしまいます」
高い音で私の骨を傷口へ追い出し、低い鐘で夫の命を露出させ、同時に両方を壊す。丘の下から夜を告げる鐘が聞こえ、私は王都外れの麓にある大聖堂を見た。あの鐘なら、食堂の銅鑼より低く、ずっと大きい。
背後で扉が破裂し、アルノルト様が庭へ現れた。片手には父の首を掴み、片脚を膝から下まで食いちぎった身体を引きずっている。
「待て、セシリア! こいつを止めろ!」
アルノルト様は父を私の前へ投げた。
千切れた脚の断面から折れた脛骨が突き出し、雪へ当たってさらに裂ける。父は自分の脚だった肉片を拾おうとして指を伸ばし、触れる寸前で吐いた。
「ほら。君を売った人です。食べていいのですよ。誰も怒りません」
切断面から流れる血は甘く匂い、腹の奥が痛いほど縮んだ。私は父の襟を掴んで顔を寄せる。その瞳を満たすのは、食われる側へ回った人間の恐怖だけだった。
父の首筋では、脈が早鐘のように打っている。一噛みすれば静かになり、骨を飲み込めば私の痛みも和らぐのだろう。憎い相手であり、ちょうどよい食事でもある。怪物になりかけた身体からすれば、これほど都合のよい献立もない。
だからこそ、口をつけるわけにはいかなかった。父を食べれば、私は怒りに任せて人間の価値を選別したことになる。父が長年してきたことを、最も分かりやすい形で受け継いでしまう。
「セシリア、待て。な、何が欲しい。謝る、謝るから。私は父親だろう? なあ、そうだろう」
「……そうね。お父様です。だから死なないで。生きて、全部話して」
父をミナの足元へ押しやり、死なせず連れていくよう頼んだ。食事にも選ばず、復讐のために殺しもしない。自分が選別した方々の名前を公の場で一人ずつ聞いてもらう。
「なぜ食べないのです。憎いのでしょう? それとも、父親だからまだ愛しているのですか?」
アルノルト様が残念そうに首を傾げた。
「愛しているかなんて、今はどうでもいい。食べたくない。あなたみたいに……食べる理由を探す人になりたくない」
銀笛を吹き、夫の顎が縮んだ隙にミナたちを丘へ走らせた。私は反対へ向かい、肩の傷を爪で広げて血を雪へ落とす。
「大聖堂へ行くのですね。私を殺すつもりですか?」
意図を見抜いたアルノルト様はそれでも楽しそうに骨を鳴らして追ってきた。
「いいですよ。君が私を殺す音を最後まで聞かせてください」
その声に重なり、胸の奥で骨の種が急に膨らんだ。肋骨が皮膚を持ち上げて外側へ開く。どうやら夜明けまで待つ気はないらしい。
私の胸からも、夫と同じ顎が生まれ始めていた。
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