救国の英雄
ホワイトハウスには「東の間」と呼ばれる大広間があった。アメリカの歴史上、重要な行事が執り行われてきた由緒ある場所だった。
前日までの寒風が止み、その日の空は晴れ渡っていた。二月のある吉日に、東の間では自由勲章授与式が予定されていた。
天井に輝く三基のクリスタル・シャンデリアの下には、五十人の報道関係者が詰めかけていた。壇上の左右には政府高官が並び立ち、式典の準備は整っていた。
大手新聞記者のマイケル・ミラーは、救国の英雄の登場を見逃すまいと最前列でカメラを構えていた。 そして英雄達の親族が座る席に視線を移す。
唯一の親族として着席していた初老の女性がいつの間にか姿を消していた。 政府高官達がザワザワとし始め、大統領の登場が間近なことにマイケルは気付く。
「······一月二十日みたいなことは、もう勘弁してくれよ?」
事前に精神安定剤を服用してきた新聞記者は、深呼吸を繰り返しその時を待った。
控室では、大統領トムリアル・ハワードが準備を終え、補佐官が扉を開けようとしていた。
『······ダブルスコアの敗戦処理投手が勝利投手になるか。勝負事は最後まで分からないものだな』
プロ野球チームのワシントン・ナショナルズの熱心なファンは、ここ数ヶ月の怒涛の展開を野球に例えていた。
ルサンチマンの言う通り、アメリカ全国民の印は解かれた。だが、問題が全て解決したわけではなかった。
世界経済的にはドルの信用はガタ落ちし、アメリカ人の亡命を拒否した各国との関係は冷え切っていた。
そして黒渕マグブルから突き出された条件。それは、これまでアメリカが日本から奪った富の返還だった。
毎年二十兆円の返還を百年間続ける。 アメリカの頂点に立つ財界人達はその条件を飲んだ。それをトムリアルが知った時、財界人達は黒渕マグブルには逆らえない事情があることを悟った。
あの白髪の悪魔の腹心であれば、どんな力を持っていたとしてもトムリアルは驚かなかった。
開かれた扉を前に、トムリアルは補佐官に呟いた。
「······アメリカ合衆国は救われた。難題だらけの重荷を背負ってね。だが、今日だけは神と救国の英雄達に感謝しよう。そして明日から歩み始めよう。苦難の道を」
アメリカ合衆国大統領トムリアル・ハワードは、背筋を伸ばし東の間へと歩き出した。
······別の控室では、救国の英雄達が柄にもなく緊張した様子で椅子に座っていた。
マテオとフランシスコはダークカラーのスーツを着用し、バレンタは白いドレスを着ていた。
そして部屋の隅で落ち着かない様子でつま先をゆするのは、マテオ達をエンセダナ港までタクシーで送ったルイスという名の運転手だった。
「バレンタ、それ何?」
着慣れない堅苦しさか、ネクタイを緩めるマテオは、両手に封筒を持つバレンタに問いかける。
「······ジョセフおじいさんから預かった手紙よ。もし自分に何かあった時は、奥さんに渡してくれって」
ブロンドの髪を頭頂部で結んだバレンタは、大事そうに封筒を撫でて懐かしむように瞳を揺らす。
「······そっか。ジョセフおじいさん、奥さんにどんなことを書いたのかな」
「······何となくね、分かるの。たぶん、ジョセフおじいさんは一言だけ書いたような気がするの」
「一言って?」
コンコンッ。
控室のドアがノックされ、マテオとバレンタの話は中断された。職員が扉を開け入室してきたのは、初老の女性だった。
女性は穏やかな表情でマテオ達に微笑む。席を立ち上がったバレンタは悟った。女性の優しさが溢れるような雰囲気は、ジョセフとそっくりだったからだ。
バレンタは肩を震わせながら初老の女性に歩み寄る。
「······初めまして。貴方はメアリーさんですか?」
「ええ。ジョセフの妻です。会いたかったわ。アメリカを救ってくれた貴方達に」
「······ごめんなさい。貴方の夫を、ジョセフおじいさんを救えませんでした」
瞳に涙を溜め、バレンタは項垂れる。マテオとフランシスコも席を立ち、やるせない表情でバレンタの横に並ぶ。
「······でも貴方達は生きているわ。ジョセフなら、きっとそのことを喜んでいる。私が保証するわ」
メアリーはバッグからレースのハンカチを取り出し、バレンタに手渡す。その時、バレンタが手にした封筒にメアリーは気付いた。
「······メアリーさん。この手紙は、ジョセフおじいさんから預かっていた手紙です。どうか受け取ってください」
封筒を受け取ったメアリーは、なぜか中身を取り出さなかった。
「······わざわざありがとう。でも、中身は見なくても分かるわ。きっと、一言だけ書いてあるだけだから」
「······一言だけ」
「そう。一言だけよ」
「「ありがとう、って」」
メアリーとバレンタの声が重なった。二人は驚いたように視線を合わせる。
メアリーは封筒から手紙を取り出しバレンタに見せる。 バレンタは涙を流しメアリーに抱きつく。
少女の頭を優しく撫で、メアリーの頬にも涙が伝った。
······式典が始まり、マテオ達四人は大広間で万雷の拍手で迎えられた。壇上に立つ大統領の前に救国の英雄達は並び立つ。
「······今日この日、アメリカ合衆国を存亡の淵から救ってくれた英雄達を迎えることを誇りに思い、神に感謝します」
大統領の挨拶が始まり、タクシーの運転手ルイスの緊張は最高潮に達した。
「······ルイスのおじさん。ビクビクしないでよ、恥ずかしいなあ」
「······うるせぇこのガキッ! 何でお前らは緊張しねえんだ!?」
マテオと運転手のルイスが小声で囁き合う。バレンタに睨まれ二人は互いにそっぽを向いた。
「······まず最初に、その尊い命を犠牲にしたジョセフ・テーラーに一分間の黙祷を」
大統領が両目を閉じ、大広間に集まった全員がそれに倣う。
「マテオ・マルティネス。バレンタ・エルナンデス。フランシスコ・ロドリゲス。ルイス・ゴメス。ジョセフ・テーラー。貴方達全員にアメリカ合衆国自由勲章並びに永住権を授与いたします。そしてジョセフ・テーラーには加えて名誉市民権を授与いたします」
女性補佐官がマテオ達の胸に勲章を付けていくと、大広間には再び大きな拍手が巻き起こった。
「英雄達に幸あらんことを!!」
「アメリカ合衆国万歳!!」
列席の最前列に座るメアリーは、大広間を席巻する熱狂の渦の中で夫のことを考えていた。
自分の名も知らず闇の世界で生きてきたジョセフは、死して初めて市民権を手にした。
だがメアリーは思った。どんな名誉も名声もジョセフは望んでいないと。
それは妻であるメアリーも同じだった。 自分の隣で、ただジョセフが笑っていてくれれば、メアリーには他に何も必要なかった。
「······ジョセフ。貴方が守った若者達とこの国が、これからどうなるか。私はもう少しここでそれを見届けていきます。それまで待っていてくださいね」
メアリーは手にした夫の遺影を胸に抱きしめた。遺影の中の夫は、穏やかな顔で微笑んでいた。




