冬の終わりに
急峻な山道の脇にある広場に、一台のワゴン車が停まっていた。その先の急勾配の道には、無人の車椅子が寂しそうに乗り捨てられていた。
広い空の下には、森や川、乾田が一面に広がっていた。峠から見える風景を白髪の少女は懐かしそうに見つめていた。
「······不思議だな。あの時は、ここから立ち去りたいことしか考えていなかった筈だが」
「······申しわけありません、お嬢。あなたをここから連れ出したのは間違いだったのかもしれません。あなたの力を、違った目的に使わせてしまった」
白髪の少女を抱き上げながら、黒渕マグブルの式神は沈痛な表情を見せる。
「······気に病むな、黒渕。私が陰の一族だということなど、育ての老婆からも聞いたことはなかった。いや、違うな。我が幼すぎたのだ。一族の役目を果たすには、な」
白髪の少女に促され、式神は少女を抱き上げたまま後ろを振り返る。そこには、少女と同じ一族の者達が立っていた。
「······妙だとは感じたのだ。我の力を引き継げる稀有な存在が複数存在する事実にな。同じ一族、理由は明快だった」
白髪の少女は鼻水をティッシュで拭く恩納隆と、小春を抱く御城静香を見つめる。
「······同じ陰の一族がこんなにも近くにいた。偶然でしょうか?」
静香は厚手のコートを掴む小春をあやしながら、白髪の少女に問いかける。
「······さてな。同族が引き寄せあったのか。天の気まぐれか。ふふ。分からぬな、こればかりは」
「······俺もまだ自分が陰の一族の一員と言われてもピンときません。あなたは、これからどうするのですか?」
恩納はティッシュをダウンジャケットのポケットに押し込み、余命幾ばくもない少女に大切なことを聞く。
「······この土地も悪くないかもしれぬ。だが、我がここに居ても陰の一族として役には立てまい」
白髪の少女は咳き込み、呼吸を落ち着いて整える。
「我はこの土地に五年滞在した。だが、黒渕とはここよりも長い時間を過ごした。我はそこで最期を迎えたい。それが偽らざる本音だ」
話が終わり、黒渕の式神は白髪の少女を車椅子まで運ぼうとした。静香とすれ違う際、白髪の少女は小春の髪を優しく撫でた。
「······済まぬな。幼子のお主に重責を残してしまった」
小春は少女の手を掴み、すき間だらけの歯を見せて笑う。少女は一瞬だけ驚いたような表情を見せたが、柔らかい笑みを小春に返した。
······黒渕の式神達に少し遅れ、恩納と静香もあとに続き、斜面を降りていく。春が間近とはいえ、山の空気はまだ人間の肌には優しくなかった。
「······御城さん。本気なの? 春からここに住むって」
静香と小春の先を歩く恩納は、背中越しに元後輩に声をかける。
「本気じゃなかったら会社を辞めませんよ。住む家ももう見つけてあります」
静香は素っ気なく答える。静香はこの隠霊沙山の麓の街に住み、陰の一族としての役目を自らに課していた。
「······本当に大丈夫? 慣れない土地で、その、小春ちゃんもいるのに。あ、あと、お嬢が言っていた。力の使い方を間違えるなと、自分のように瞳が黒くなるから気をつけろって」
「恩納さん」
「は、はい?」
「中途半端な心配なら要りません」
静香は歩く速度を早め、恩納を追い越していく。 静香に抱かれた小春が、恩納を不思議そうに見つめていた。
「······中途半端じゃないよ!」
突然の恩納の叫び声に、静香の両足は止まった。
「······俺は無力で非力な人間だ。アメリカ全国民の命を救うこともできなかった。十歳の少女に正しいことも教えられなかった。本当に自分が嫌になるよ。でも、それでも」
恩納の声を背中から聞きながら、静香は小春を抱く腕に力が入る。
「本当に俺が陰の一族の人間なら、御城さんと同じ一族なら。御城さんを助けられるかもしれない。いや、必ず助けるよ! だから、だから······その」
一番大切な台詞を続けることができず、恩納は項垂れてしまう。
「······嘘です」
「え? 嘘? 御城さん、何が嘘なの?」
「陰の一族の役目を果たし、死者の怨念が引き起こす大災害を防ぐ。御大層な名分を掲げ大言を吐きましたが、自信なんて少しもありません」
「······御城さん」
「だってそうでしょう? 恩納さんと小春にはお嬢の力を受け継ぐ資質があった。同じ一族なのに私には無かった。もし私が役目を果たせなかったと思うと足が竦むんです。怖いんです」
「ママ、なかんでいいよ。なかんでいいよ」
小春が静香の頬に小さな手を当てる。恩納は前に歩き出し、静香の肩に手を添える。
「······俺も半分背負うよ。もし御城さんが役目が果たせなかったら、全部俺が背負う。小春ちゃんの負担も必ず減らす。約束するから」
「······恩納さん。それはつまり、どういうことですか?」
「······え? どういうことって?」
「あなたの話を要約すると、その言葉はどういう意味なのかと聞いているんです」
「······えっと。だから、つまりその」
「相手に想いを伝える時は、はっきりとした言葉で伝えてください!」
「は、はい! 俺と、俺と一緒にいてください!!」
恩納はなぜか背筋を伸ばし、気をつけの姿勢で叫んだ。 一世一代の宣言のつもりが、恩納は完全に外したと赤面し、天を仰いで痛恨の極みといった表情になる。
穴があったら入りたい気分の恩納は、顔を前に向ける。そこには、恩納に振り返った静香が立っていた。
「······よろしくお願いします」
視線を横に逸らし、うつむき加減の静香は、顔を真っ赤にして小声で呟いた。予想外の言葉に恩納は戸惑ったが、次の台詞は違えなかった。
「······こちらこそよろしく。御城さん、小春ちゃん」
······白髪の少女を車に乗せた黒渕の式神は、恩納達を迎えに来ていた。式神が遠目に見た三人は、まるで家族に見えた。
式神は以前、お嬢と恩納に質問したことを思い出していた。主が造り出した人形である式神を、なぜ黒渕と呼び続けるのかと。
「······お主達は人形ではない。黒渕の分身、いや、黒渕の一部だ。我はそう思っておる」
「······よく分かりませんが、あなた達は黒渕代表ですよ。あなたの声を聞くだけで心が落ち着きます。あの人がそうだった。人形にそんな真似はできない。俺はそう思います」
······式神は自分の胸に手を当てていた。そして心というものがあるのなら、自分の心の声を探していた。
「······主よ。私達に心を与えてくださったことに感謝します。そして私達は貴方が志した未来を実現できるように力を尽くします。市井の人達が報われ、幸せな人生を送れる世界の為に」
式神は世界中に散らばる同胞達に自分の思いを共有させる。
その思いは、この世界を包み込むように繋がっていく。
恩納の肩に乗せられた小春が大笑いし、その隣で静香が微笑む。
その光景を眺めながら、式神は目指すべき未来を眼前に見いだしていた。
完




