命を救う者
長野の山中にある集落で、五歳の少女は育ての老婆に手を引かれ歩いていた。斜面を登ると、草木の陰から子供達が少女を軽蔑するような目つきで睨んでいた。
子供達の中には少女に石を投げる者もいた。老婆が一喝すると子供達は退散したが、少女は自分の居場所がここにはないと大人びた考えを持つようになった。
老婆はこの集落に留まることに固執した。自分達一族には課せられた使命があると度々口にしていた。 使命とは何なのか。少女は時おり考えたが、頭に浮かぶのはこの狭い世界から離れることばかりだった。
そんな時、この集落にある女が身を隠しにきた。老婆は悪しざまにその女を罵った。一族でありながらこの土地を離れ、私欲のために力を使った愚か者だと。
そしてまた別の男が集落を訪れた。異国風の顔立ちをした偉丈夫は、潜伏していた女を捕まえ、連れて帰ろうとした。
少女は夕暮れに、家の外で一人座って空を見ていた。長身の美男子は、捕まえた女を車に乗せ、少女の前に歩いてきた。
「一人ですか? お嬢さん」
「······ああ。たった今、我は一人になった」
「······そうですか。お嬢さん。貴方には不思議な力があるようだ。もし良かったら、私と一緒に来ませんか?」
「······我をどこに連れていくのだ?」
「貴方の力が発揮できる場所です。もしかすると、貴方には私と出会い、果たすべき使命があるのかもしれません」
老衰で亡くなった育ての老婆がいなくなった今、少女に男の誘いを断る理由はなかった。
老婆が常に口にしていた使命。 その使命を、目の前の男が自分に与えてくれるかもしれない。少女はそんなことを考えていた。
「······ふふ。走馬灯にはちと早いのではないか?」
白髪の少女は、薄れゆく視界の中で天井を見上げていた。クッションの中身が散乱し、目の前に舞う綿はまるで天使の羽のように見えた。
白髪の少女の胸にはナイフが刺さっていた。皮肉にもそれは、少女を身を挺して守ろうとした式神が持っていたナイフだった。
それが、マテオが発動したギフトの爆風によって少女の胸に突き刺さった。
「······黒渕の分身の手によって死ぬのだ。それも悪くなかろうて」
白髪の少女は自分の体温が急激に下がっていくことを感じていた。
「······お嬢、申しわけありません」
死の淵に瀕する少女を見つめながら、下半身を失った式神は痛恨の極みといった表情をしていた。
「······このホテルに残った式神は私が最後です。主の命令を、貴方を守れず残念です」
崩れゆく身体の中、式神は思考の過程で違和感を感じていた。目の前の少女を助けられない事実に、式神は自分に怒りすら感じていた。
この感情ともいえる感覚は何なのか。その答えを出す前に、式神の身体は消滅した。
「げほっ!!」
恩納隆は口元を押さえ咳き込む、マテオに突き飛ばされ爆発の衝撃は避けられたが、煙を吸い込み呼吸が困難な状態がしばらく続いた。
そして恩納が目にしたのは、床に倒れる少女を見下ろすマテオの姿だった。
「······最後だ。本当に言い残すことはないのか?」
全身に裂傷を負いながらも、マテオは毅然とした表情で白髪の少女に問いかける。
「······くどい。二言はない」
白髪の少女は消え入りそうな声で答える。視力を失いつつある少女は、隣に誰かが座った気配を感じた。
「······フランシスコ?」
少女の前に膝を折って座るフランシスコに、マテオは疑問の声を投げかける。
「······治療する、治療する」
フランシスコの中にある弟の人格が、顔を俯かせながら呟く。
「······何を言っているんだフランシスコ? コイツは敵だ。治療する必要なんかないよ」
「でも治療する、でも治療する」
「しっかりしろよフランシスコ! コイツらのせいで、ジョセフおじいさんが死んだんだぞ!!」
自分の怒声でジョセフの死を実感したのか、マテオは目に涙を浮かべていた。
「待って、マテオ」
バレンタがいきり立つマテオの肩を押さえる。フランシスコは悲しそうに目を伏せ、小声を発した。
「······命助ける、命助ける」
その言葉を聞いた時、マテオとバレンタが絶句した。それは、昔から聞き慣れたフランシスコの台詞だった。
「······フランシスコはよく家に動物を連れて帰ってきたわ。羽が傷ついた鳥や、車に跳ねられた犬を」
「······ああ。そのたびに言っていた。命を助けるって」
フランシスコは涙を流しながら顔を上げる。
「······命、助けたい、命、助けたい」
フランシスコはマテオとバレンタに懇願する。その表情を見て、バレンタも口を押さえ泣き出す。
「······フランシスコ。違うんだ。この女は鳥や犬じゃない。どうしても殺さなきゃならない悪魔なんだ!!」
「······でも命、でも命、助けたい」
フランシスコは、はっきりとした声でそう言い切った。その揺るがない強い瞳に、マテオは何も言えなくなる。
「······マテオ、一緒なの。フランシスコにとって、動物も人間も関係ないの。みんな、同じ命なの」
バレンタはマテオの胸で嗚咽を漏らす。マテオは確固たる意志が足元から崩れていく感覚を覚えていた。
三億五千万人の命、アメリカの永住権、ジョセフの敵討ち。それらを少年から諦めさせたのは、ルサンチマンや黒渕マグブルでもなく、フランシスコという家族だった。
······マテオは両目を閉じ黙って頷いた。それを見たフランシスコは喜び勇んで白髪の少女の胸に手を当てギフトを発動させる。
フランシスコの手から、黒く優しい光が室内に広がった。




