人形の心
リーチ・ザ・スカイホテルの最上階スイートルームでは、客をもてなす為にあつらえた調度品が荒らされ損壊していく。
シルクのカーテンが切り刻まれ、テレビの液晶画面にヒビが入り、観葉植物の鉢が割れる。
黒渕の式神は、左右の腕の振りの長さを変え、フランシスコに間合いを測らせなかった。
一方でフランシスコは間合いなど考える余裕はなく、式神の猛攻に対して防戦一方だった。
フランシスコは近くにあったソファーのクッションやテレビのリモコンを投げつけるが、式神は避けもせずフランシスコの目だけを睨みつけていた。
式神は姿勢を低くし、必殺の一撃を繰り出そうと踵を上げる。
「うああっ!!」
フランシスコはテーブルを持ち上げ、突進してきた式神にテーブルごと体当たりする。思わぬ反撃に遭った式神は一旦後退する。
「······アンタ、自分は造られた式神で人間じゃないと言ったよな?」
フランシスコは息を整えながら、式神の口元を指差す。テーブルの角があたった影響か、式神は唇を切って出血していた。
「この血ですか? 私達の主は変わったお人でしてね。いえ、凝り性というべきか。限りなく自分に近い式神を造ろうとするのです。式神は式札から造られるのが相場ですが、おかげで我々は血肉を持った妙な式神になり仰せました」
フランシスコはエレベーター内でのジョセフと式神との戦いを思い出す。あの時も、腕を切断された式神は出血していた。
「······血肉を持った。それはもう、式神ではなく人間と言うべきじゃないか?」
「とんでもない。我々はただの人形に過ぎません」
「······心もか? アンタの主は、式神達に心も持つように造ったのか?」
「······心? いえ、ありませんよ。そんな人間らしい物は。私達はただの人形なのですから」
式神は言い終えると同時に、右腕を猛然と振り切りナイフを投げた。完全に不意を突かれたフランシスコは、自分の心臓に吸い込まれるナイフにギフトを発動させる。
刃先がフランシスコのシャツに触れる寸前で、ナイフは宙に浮いたまま静止する。
「ちぃっ!!」
ギフトを使わされたフランシスコは、そのナイフを掴み取り式神から距離を取る。
「······なるほど。貴方の能力が分かりましたよ。貴方は目の前の物体の動きを止めることができる。だが目の前の物だけだ。その証拠に、ナイフの後ろに立っていた私の身体には何も出来なかった」
自分のギフトの能力を完全に看破され、フランシスコは追い詰められる。二度目のギフトを使わされ、フランシスコに残された使用回数はあと一度きりだった。
「暗殺向きの素晴らしい能力ですが、種が分かれば容易く破れる類のものですね」
「······暗殺なんかじゃない。俺のこのギフトは、人を救うためにある」
「人を救うため、ですか?」
「そうだ。俺はこのギフトでこれまで何人もの命を救ってきた。車に轢かれそうになった子供を、ビルから飛び降りた少女を、親から虐待され殴られそうになった幼児を」
「······素晴らしい善行ですね。その行いを続けていればいいものを。何故命の危険も顧みずこんなところへ来たのですか?」
「······マテオがアメリカ全国民を救うと言ったからだ」
「マテオ? 先程の少年ですか? 貴方は彼と同じ考えではないということでしょうか?」
「······俺にはマテオみたいな気宇も気概もない。本音を言えばアメリカ全国民の運命なんてピンとこない。だが、それでも。マテオが救うというのなら俺も救う。俺達は家族だからだ」
淡褐色の瞳に強い意思を光らせ、右手に握ったナイフを構える。
「······家族ですか。残念ですが、貴方は生きて家族には会えません。二度とね」
式神はナイフをフランシスコに向け、獲物を狙うように一歩、また一歩と標的との距離を縮める。
「······アンタもせっかく血肉を持っているんだ。自分の心で考えたらどうだ? 三億五千万の命を奪う行為が、本当に許されると思うのか?」
「······言ったでしょう。私達人形に心などありません」
式神は床を蹴りフランシスコに向かって一直線に 走る。そしてギフトを使わせる為にナイフを投じた。 だが、それを予測していたフランシスコは脱いだコートを前方に放り投げる。
ナイフはコートに絡まり音を立てて床に落ちる。 間近に接近した式神にフランシスコはギフトを発動させようとするが、式神の伸ばした腕が一瞬早かった。
「ぐわあっ!!」
式神に首を絞められたフランシスコは背中から床に倒れる。式神はそのままフランシスコに馬乗りし、全体重を腕に乗せる。
「······お別れです。貴方のお話は色々と興味深いものでしたよ」
フランシスコを窒息死させる為に、式神はもう片方の手も首に添えた時だった。式神の手をフランシスコが掴む。
その瞬間、フランシスコの手が黒曜石のような光を発した。
「······これは? 手が!?」
式神が驚愕して自分の手を見る。式神の手は薄紙を燃やしたように炭色になり、砂のように崩れていく。
そしてそれは手から腕、腕から胴体へと広がって行く。式神の馬乗りから逃れたフランシスコは激しく咳き込む。
「僕のギフト、僕のギフト」
フランシスコの人格は兄から弟に変わり、弟は目を泳がせながら小声で呟く。
「······もう一つの能力?」
式神は自分が敗れた理由を把握できないまま、ペルシャ絨毯の上に仰向けに倒れる。既に半身が消失しようとしていた。
「······今のは俺のもう一つの人格、弟のギフトだ」
再びフランシスコの人格が入れ替わり、兄が式神の前に膝を折り座る。
「弟のギフトは治癒能力がある。だが、健康な人間にその力を使えば逆に命を吸い取る。弟は虫も殺さぬ優しい性格でな。半ば強引に俺が使わせた」
フランシスコの説明に納得したのか、式神は緊張の糸が切れたように穏やかな表情になる。
「なるほど。一人の人間に二つの人格ですか。だから能力も二つ。誰だかわかりませんが、貴方達にその能力を与えた者はずいぶんと生真面目な性格のようですね」
フランシスコには式神が苦笑したように見えた。
「·····癒すにしろ命を吸い取るにしろ、弟のギフトは生身の生き物しか効かない。つまり、アンタは限りなく人間に近いってことだ」
「······私が? 式神が人間に?」
頭部の半分近くが消失していた式神は、残された片目に驚きの色を浮かべる。
「いつかきっと、心だって手に入れることができるかもしれない。アンタにまだ同じ仲間がいるんならな」
フランシスコの表情には、死にゆく者への憐憫が混ざっていた。
「······私の主は式神を数千体造りました。そして式神は互いの情報を共有できます。私が貴方から学んだこともです」
式神の片目が消え、最後に口元だけが残った。
「気をつけなさい。貴方の能力は他の式神に共有されています」
敵を気遣うような式神の言葉に、フランシスコは驚くと同時に戸惑った。
「······私のこの経験も他の式神に送りましょう。いつか、私達にも心が·····」
式神の身体が完全に消失し、言葉はそこで途切れた。
「······アンタは間違いなくこの世に存在していたよ。俺がその生き証人だ」
フランシスコは手のあざがはっきりと残る首元を擦りながら、半壊したスイートルームを後にした。




