独立峰
恩納がスマホをしまった時、白髪の少女はいつの間にか眠りに落ちていた。
「······疲れていたのかな? それにしても、寝顔は年相応だ」
ここ最近続いた緊張感からの疲れか、恩納も両目を閉じ白髪の少女が起きるのを待った。
「······要件は済んだか? 後継者殿」
その声に、すっかり寝入っていた恩納は飛び起きた。スマホを確認すると三時間が経過していた。
白髪の少女は目を擦った後に姿勢を正し、ティーカップを啜る。 寝ぼけ眼の恩納は、再び右手を差し出そうとするができなかった。
『······情けない。覚悟はとうに決めた筈なのに。御城さんの声を聞いた途端にこれだ』
歯ぎしりをしながら、恩納はやっとの思いで右手をルサンチマンの前に出す。白髪の少女はゆったりとした動作でその右手を掴んだ。
少女の手は冷たく、恩納は自分の体温が奪われたような錯覚を覚えた。そして絶望感が精神を侵食する。これで自分が後継者になったと。
「案ずるな、後継者殿。これは予行練習だ」
白髪の少女はそう言うと、浮かした腰を再びソファーに沈めた。
「よ、予行練習?」
「そうだ。我にはまだ役目が残っている。アメリカ全国民に印をつける役目がな。後継者殿に力を譲るのはそれが終わってからだ」
「······それは、四月五日まで私には猶予があると言うことでしょうか?」
四月五日、それはアメリカ全国民に許された海外亡命をする期間だった。
「そうだな。印をつける行為は甚だ精神と肉体を消耗してな。後継者の寿命が短くなるのはそういった理由なのだ」
「······貴方は、誰から今の力を継承したのですか?」
「我か? 我は育ての老婆からだ。おそらく血の繋がりはないが、彼女の死ぬ間際に力を受け継いだ」
「それは貴方が了承の上ですか? それとも無理矢理にですか?」
「······無理矢理にではない。老婆には育ての恩義もあった。いや、違うな。頭の片隅にいつもあったのだ。自分には役目があると。老婆から力を受け継ぐのが我の役目だと思ったのだ」
「······その力、何か違った形に使えたとは思えませんか?」
恩納の何気ないその問いかけに、白髪の少女の表情が凍りつく。
「······違った形?」
「はい。どんな力も使い方次第だと思います。貴方の力も」
「······我は隠り世の代理人。それ以上でもそれ以下でもない。そのはずだ」
白髪の少女が持つティーカップが小刻みに揺れる。ルサンチマンは明らかに動揺していた。
「それは貴方が決めたのですか? それとも黒渕代表ですか?」
「······違う。黒渕は我を助けてくれた。忌み子として蔑視していたあの集落から。あの土地は、我にとって居るべき場所では無かったはずだ」
白髪の少女と育ての老婆が住んでいた土地。それが陰の一族が守っていた場所だということなど、この時の恩納には預かり知らぬ事実だった。
「······私達、生活管理調査会社のことについてお聞きしてもよろしいでしょうか?」
白髪の少女が独り言のように呟く様子を見て、恩納は話題を変えた。
「我々が扱っている案件で、貴方が加害者にジャスミンの香りという印をつけるのは分かりました。ですが、その加害者は誰が選別しているのですか? 黒渕代表一人が処理するには、余りにも数が多すぎます」
生活管理調査会社には、常時四十人体制のオペレーターが被害者からの相談を受けている。また警察からも事件事故の情報が入ってくるが、恩納の言う通り一人の人間が裁くには膨大な数だった。
「黒渕は陰陽師の出だ。彼の者には式神という力があってな。自身の分身をいくつも作り出し世に放っているのだ」
「······式神」
黒渕が陰陽師一族とは本人から聞いていた恩納だったが、自分の分身を作り出すと聞いても現実感が伴わなかった。
「その点、アメリカ全国民に印をつけるのは容易だ。選別をする必要がなく、全員につければ良いからな。黒渕の助力が必要もなく我一人で可能だ」
バタンッ。
その時、リビングから距離がある玄関扉から音がした。恩納と白髪の少女の前に現れたのは、黒いスーツ姿の黒渕その人だった。
「お嬢、恩納さん。侵入者です。危険がなくなるまでこの部屋から出ないでください」
黒渕の表情には、いつも温和さが消えていた。侵入者とは一体何なのか、恩納はその意味すら理解できていなかった。
······特急列車と在来線を乗り継ぎ、一組の母子が長野のある無人駅に降り立った。
連なる山々とは異なり、母子の前には独立峰がそびえ立っていた。
「やま、おっきいねー」
小春が白い息を吐き山を指さし笑顔になる。静香は娘に微笑み手を繋ぐ。母と娘は、目の前の山に向かって歩き出した。




