リーチ・ザ・スカイホテル
首都高速道路を走る一台のタクシーがあった。道幅が狭く、路肩もない道路を運転手は慣れた様子でスムーズに進んでいく。
狭い道路に慣れていなかったのは異国の乗客達だった。ダンプカーが隣の車線から追い越していくと 、その近さに思わず声を出していた。
「近っ! 何だって日本人はこんな狭くて危ない道路を造るんだ?」
小麦色の肌をした少年は、まるで遊園地の絶叫マシンに怯えるように顔を歪める。
「うるさいわよマテオ! アンタが最短距離で行けるコースって言ったからでしょう!」
ブロンドの少女がシートに腰を深く沈めながら幼なじみを窘める。
「バレンタも怖がっているじゃないか。フランシスコは大丈夫?」
マテオはバレンタの隣に座る褐色の肌の少年に声をかける。
「時は金なり、時は金なり」
フランシスコは窓の外を眺めながら独り言を呟いていた。 助手席に座るジョセフは、賑やかな後部座席に内心で苦笑する。
アメリカ全国民の命がかかった戦いの前とはどう考えても思えなかった。
彼ら少年少女の底抜けな陽気と楽観的な性格がもし自分にあれば、血塗られた人生と違った未来があったかもしれないと、初老の男は眩しそうな目でマテオ達を眺める。
「······マテオ、バレンタ、フランシスコ。一時間もすれば目的地のリーチ・ザ・スカイホテルに着く。そうなれば互いに話す余裕も無くなるだろう。だからその前に私から君達へ一つだけ言わせてくれ」
ジョセフの真剣な声色に、後部座席に座る少年少女達は珍しく傾聴の姿勢をつくる。
「これから戦う相手は恐ろしい連中だ。私達が生きて自国へ帰れる保証は何処にもない。だが、これを成し遂げれば、マテオ達一族にかけられた呪いが解けるかもしれない」
「······僕達一族の呪いが解ける? ジョセフおじいさん、何でそう思うの?」
マテオが真剣な表情で初老の男に問いかける。
「アメリカ全国民の命の救済はそれだけの価値があると言うことさ、マテオ。君は一族の呪いは永遠に解けないと言ったが私はそうは思わない。一族の呪いは言わば負債だ。君達一族がギフトを使って人助けを続けた歴史はその負債を少しずつ減らしている筈だ。そして今回、ルサンチマンを仕留めれば負債は完済されるかもしれない」
「······完済されなかったら? ジョセフおじいさん」
バレンタが切なそうに瞳を揺らしジョセフを見る。永遠の呪いがそう容易く解けるとは少女には思えなかった。
「それでも無駄にはならないよ、バレンタ。君達の次の世代の負債を確実に減らせる筈だ。それも大きくね」
ジョセフは後部座席を振り返り、片目を閉じて見せた。 ジョセフのこの言葉は、教会や聖書の教えよりマテオ達の心に響いた。
「······よし! ルサンチマンを倒して負債の完済だ! もし駄目でも僕らの次の世代の為に負債を減らそう!」
マテオは指を鳴らし、目を輝かせながら宣言する。感動的な台詞には違いないが、どこか金銭的な例えに類似しているとバレンタは眉をひそめた。
だが、このような場面では沈黙が正しいと判断した少女は、一つ大人になった。
······一泊数十万円するホテルなど恩納隆にとって、一生無縁の筈だった。
廊下の絨毯は量販店で購入した靴が沈み、空調設備と連動したローズの香りが恩納の鼻を刺激した。
コンコンッ。
事前に黒渕マグブルに言われた通り、恩納はノックを二回してから重い扉を開けた。室内に入った途端に、恩納の緊張感は最高潮に達した。
ここ最近、鋭敏になった感覚を直接手でわし掴みにされるようだった。
「······お邪魔します」
呟いた瞬間、恩納は自分が間の抜けた挨拶をしたことを自覚した。これから会う相手は、呑気に茶飲み話をする対象では無かったからだ。
玄関からキッチン、洗面室を早足で素通りした恩納は、開放感あるリビングにたどり着く。
恩納の視線は、壁の広い窓からソファーに移る。 そこには、ピンク色のドレスを着た少女が優雅に腰掛けていた。
「······貴方が、ルサンチマンですか?」
「そうだ。よく来られた、後継者殿」
白髪の少女はゆっくりと立ち上がり、ドレスの裾を揺らし恩納の前に立つ。その瞬間、恩納の背中に感じたことがないような戦慄が走る。
生者にはあり得ない漆黒の瞳。その目を見つめていると、深淵の底に引きずり込まれそうな錯覚を恩納は覚えた。
だが、恩納から見た白髪の少女は、酷く疲れている表情をしていた。
「······ここには色々と考え抜いて来られたのだろう。茶菓子を用意した故、座ってくれ」
少女は微笑して恩納にソファーに座るよう勧める。テーブルの上には三段のティースタンドとカップが置かれていた。
「我は特段甘い物は好まぬのだが、英国の喫茶習慣になぜか惹かれてな。時おりこうやってアフタヌーンティーを嗜んでおるのだ」
ルサンチマンは小皿にサンドイッチを取り分け、恩納の前に差し出す。
「茶葉は三種類あるが、後継者殿の好みはあるかな?」
「······ジャスミン以外だったら何でもいいです」
「後継者殿には、ずいぶんとジャスミンが嫌われたようだな」
ルサンチマンは苦笑しながらアールグレイの茶葉をティーポットに入れる。
「······昔、配送の仕事をしていた時がありました。 時間に追われる忙しい中、よく通る道にジャスミンの街路花壇があったんです。車の窓を空けていると、爽やかな香りがして気分が良かったのを覚えています。これから先、もう二度とそんな気持ちにはなれないでしょう」
恩納は言い終えると、サンドイッチを手で掴み口に運ぶ。
「······用意しておいて何だが、食してくれるとは思わなかったな」
「食べ物は粗末にしない。数少ない俺の信念です」
「······そうか。それには我も賛同するな」
ルサンチマンは再び微笑し、湯気の立つティーカップを恩納の前に置く。
「単刀直入にお聞きします。貴方の力を引き継ぐ方法は?」
恩納は白髪の少女の漆黒の両目を真っ直ぐに見つめる。すると、ルサンチマンは小さく頷き白く細い右手を恩納に差し出す。
「我のこの手を握る。それだけだ」
ルサンチマンの口調は終始穏やかだった。だが、恩納にとってはそれが神経を削り取っていく刃物だった。
鉛のように重い右手を恩納はルサンチマンの前に出そうとする。その時、恩納のスラックスのポケットからバイブ音が鳴る。
無視しようとしたが、ルサンチマンがゆっくりと頷く。恩納は軽く会釈をしてスマホを取り出す。
それは、御城静香からの着信だった。




