真の後継者
「お待たせしました。御城さん」
黒いスーツを華麗に着こなす長身の男は爽やかな笑みを浮かべ、ベンチに座る御城静香の隣に腰掛ける。平日の午後、静香は公園の噴水前に黒渕マグブルを呼び出した。
「黒渕代表、恩納さんに何を吹き込んだんですか?」
迂遠な会話を拒否するかのように、静香は単刀直入に問い詰める。
「恩納さんがどうかしましたか?」
「とぼけないで下さい。例の後継者の話が出てからです。恩納さんがおかしくなったのは」
「恩納さんに冷たくされましたか? 御城さん」
「なっ?」
静香は頬を赤く染め、気勢が削がれた格好となった。
「恩納さんらしいですね。きっと貴方の為に距離を取ったのでしょう。恩納さんは後継者になることを了承してくれました。それは御城さん、貴方を守る為です」
「······どういうことですか?」
黒渕は長い脚を組み、噴水の前でボール遊びをする幼児達を見つめる。
「彼に打ち明けたのです。恩納さんが引き受けなければ、次の後継者候補に頼むと」
「······次の後継者候補? ま、まさか」
「そうです。次の後継者候補は御城さんです」
静香の縁無し眼鏡の中の瞳が動揺で激しく揺れる。すると、黒渕は突然立ち上がり、姿勢を正し静香に向かって頭を下げる。
「申し訳ありません。御城さん。私は恩納さんと貴方に嘘を言いました。いえ、違いますね。嘘というよりは正確に伝えなかったというべきですね」
「······どこからが嘘で、何が真実なんですか?」
「お嬢は私に言いました。お嬢の後継者候補は私の面識がある者だと」
「······? 黒渕代表の面識がある者?」
恩納がお嬢の後継者候補、次の後継者候補が御城と言った黒渕。そして恩納と静香にそれを正確に伝えなかったと言う黒渕。
思考を巡らす静香の肩が震え始めたのは、頭の中である固有名詞が浮かんでからだった。
「······ま、まさか。そんな」
「気づいたようですね。御城さん」
黒渕の足元にゴムボールが転がってきた。エキゾチックな顔立ちの美男子は、笑顔でゴムボールを幼児に投げ返す。
「隠り世の代理人を務めるには恩納さんは優しすぎます。遠からず精神が崩壊するでしょう。この重荷を背負うには、物心がつく前に能力を引き継ぐ必要があります。そうすれば、教育次第で代理人たる器になれます」
黒渕の広い背中の後ろでは、静香が全身を震わせていた。
「恩納さんの次の後継者候補は御城さん。貴方の娘さんの小春ちゃんです」
黒渕のその言葉は、静香の頭の中で無形の爆弾となって炸裂した。生活管理調査会社「思いやり」に就職する前、自宅にいた静香は黒渕の訪問を受けた 。
その時、静香に抱きかかえられる小春に黒渕は笑顔を向けた。
「······お、恩納さんを使い捨てにした後は、私の娘を後継者に据えるということですか?」
血の気が引いた表情の静香は、黒渕の狙いを必死に探ろうとしていた。
「御城さん。貴方には辛い選択をしてもらいます。 小春ちゃんを後継者にすれば、恩納さんは助かるでしょう。ですが拒否すれば、このまま恩納さんに後継者になってもらいます」
聞く者を安心させる黒渕の声色が、この時静香にとって悪魔の囁きに聞こえた。
「······どちらも承服できません。人の人生を、命を何だと思っているんですか!!」
静香は乱れる精神を保つ為に、虚勢に近い大声を発した。
「死者の怨念という名の大災害。それを防ぐ為です。御城さん」
黒渕は静香を振り返り、苦しそうな表情で恩納に話した内容を静香にも語った。 噴水の前で遊んでいた幼児達は、いつの間にか居なくなっていた。
黒渕が去った後も、静香はベンチから立ち上がれなかった。
――ドンッ。
高架下のトンネルの壁に拳が打ちつけられた。包帯が巻かれた右手に血が滲む。紺色のダウンジャケットを着た男は痛みも忘れ項垂れていた。
「······なにが弱者救済だ。俺は好待遇の仕事にあぐらをかいて、人助けをした気分になっていただけだ」
恩納隆はこれまでにないほどの自己嫌悪に陥っていた。ホワイト企業に身を置き、心に余裕ができた。
そして被害者の精神的ケアを世話していく内に、誰かの役に立つ意義のある仕事だと思うようになっていった。
だが、白濱雪菜の案件でそれは錯覚だと思い知らされた。雪菜の母が娘を迎えに来た時、恩納はげっそりと痩せた母親の姿を見た。
イジメで傷ついていたのは雪菜だけではなく、母親も同じだった。なぜ他人の命を奪ってはいけないのか。
そんな当たり前の事を恩納はたった10歳の子供にも教えられなかった。自分は何の価値もない役立たずだと自らを罵る。
だが、それでも。恩納は顔を上げる。黒渕マグブルに死者達の怨念が引き起こす未曾有の大災害を知らされた時、恩納の頭に浮かんだのは親でも兄弟でもなかった。
心の内に現れたのは、スマホの液晶画面に映る小春と、いつも自分に小言をいう静香の顔だった。
「あの二人だけは守る。それができなければ、俺は本当にただの役立たずだ」
アメリカ全国民の命も、世界を襲う大災害も、10歳の少女の悲劇も。恩納にとって手に余る難題だらけだった。
無力感に苛まれる自分を奮い立たせ、恩納は前を向いて歩き出す。今の恩納には、静香と小春を守ることだけが全てだった。




