非日常と日常
生活管理調査会社「思いやり」のオフィスでオペレーターとして働く向井泉は、忙しい業務の合間を縫って相談内容の情報をパソコンに打ち込んでいた。
リズムよくキーを指で叩きながら、泉は仕事あとの子供のお迎えと家事の段取りを考えていた。明日は息子の誕生日であり、今夜中に料理の仕込みを済ませておく必要があった。
例のアメリカ滅亡騒動で日本国内の米軍基地の兵士の脱走が相次ぎ、警察と自衛隊が共同で捜索するニュースが世間を賑わせていた。
世界の超大国がどうなろうと、国内の治安が不安定になろうとも、息子の誕生日は必ずやってくる。泉にとって大切なのは非日常な問題ではなく日々の日常だった。
その時、相談室に入室しようとする職員が向井の目に入った。職員の隣にいたのは、新たな被害者だと思われた。
泉のキーボードを打つ指が止まり、職員と被害者が相談室に入っていく光景を見て彼女は絶句した。
泉はこれまでも相談室に案内される被害者を見てきた。だが、児童と呼ばれる年齢の被害者を見るのは初めてだった。
「名前を確認するね。白濱雪菜さん、10歳。間違いないかな?」
恩納隆は、白紙が入ったクリアファイルを見るふりをして、目の前に座る小学生に質問する。
「はい」
来るべきものが遂にきた。恩納の心境は正にそれだった。合法化された復讐。その低年齢化は日々感じていたが、小学生の案件は恩納にとっても初めてだった。
『······このまだあどけない顔の少女が人を呪い殺した』
そう思考するだけで、恩納の心を冷たくした。
「あの。これって長引きますか? 学校がしばらく休校なので、宿題がたくさんあるんですけど」
少女は椅子に座りながら、両足を揺り動かし退屈そうに質問する。
「う、うん。なるべく早く終わらせるようにするからね」
恩納は先ほど確認した情報班の資料を思い出す。 白濱雪菜10歳。複数のクラスメイトから陰湿なイジメを受け続けた。
死亡したのは主犯格の三人。信号の色は一人ずつ違った。 一人の心臓の色は青。一週間前の夜、自宅で死亡した。
もう一人の心臓の色は黄色。六日前、塾に向かう途中に死亡。 そして最後の一人の心臓の色は赤。五日前、朝のホームルームの時間に死亡。
心臓の色が赤。底知れぬ恨みがなければ発生しない色。恩納にとっても心臓が赤色の案件を担当するのは初のことだった。
それがたった10歳の少女。ここ最近、自分の深い意識の中で感覚が研ぎ澄まされたように感じる恩納は、これはまるで周到に計画された死刑執行のように感じていた。
「おじさんの思っている通りだよ。アイツ等を一人一人順番に殺してやったの」
少女は背中を椅子に預け、つまらなさそうな目で恩納に呟きかける。恩納は頬を殴られたような表情になる。
「······白濱さん。君は人の考えが読めるのか?」
「読むのとは違うかな。上手く言えないけど、何となく分かるの。その人がどんなことを思っているのか」
「······何となく?」
「うん、何となく。クラスで私をイジメていた奴等、何を考えていたか分かる? 何も考えてないの。アイツ等はただ暇つぶしに私をイジメていただけ」
恩納は改めて情報班の資料を思い出す。白濱雪菜は勉強、運動とも平均的な能力であり、性格もイジメの対象になるような原因が見当たらないという。
「アイツ等は誰でも良かったの。道端に転がっていた石ころを蹴った。それがたまたま私だった。それだけの話」
「······白濱さん。君はさっき、クラスメイトを順番に殺してやったと言った。一人目を呪い殺した時、 自分に人を呪い殺せる力があると分かったのかな? 」
「うん。分かったよ。だって一人目の坂田が死ねばいいのにって思った時、何故か坂田が死んだって分かったから。これを使わない手はないよねって思ったの」
雪菜はその後、クラスメイトの半数を対象に死を願った。だが、主犯格以外のクラスメイトが死ぬことは無かった。
少女は更に恩納が驚愕するような事をあっけらかんと話していく。
「何となく分かったの。私の恨みの深さがある程度積もり積もっていないと相手を殺せないって。でも松野と加賀は絶対に殺せる自信があった。アイツ等はそれだけの事を私にしたから。だから問題はいつ何処で殺してやろうかと決めるだけだったの」
恩納の聴覚には空調機の機械音だけが聞こえてきた。少女の10歳とは思えない言動に、恩納はどこか現実感を狂わされていた。
「······白濱雪菜さん。君は確かに酷いイジメをその三人から受けていた。でも君は生きている。死んだ三人は罪を償う事も、君に過ちを詫びる事も永遠にできない。人の命を奪ったことだけは自覚してほしい」
恩納のこの説教じみた台詞は、職員として明らかに越権行為だった。だが、恩納は言わずにはいられなかった。
10歳という年齢は、人の命を踏みにじるには余りにも早いと思ったからだった。
「おじさん。私は自分を守っただけなの。朝学校に行こうとすると、お腹が痛くなるの。教室に入ろうとすると、吐き気がするの。ご飯の味がよく分からないの。テレビも漫画も、好きな音楽も何も興味がなくなったの。髪の毛に白髪ができたの。夜寝る時にアイツ等が毎晩夢に出てくるの。私はもう半分壊れていたの。ううん。アイツ等に壊されたの。それでも悪いのは私? 私はアイツ等から自分を守りたかっただけなの」
少女は抑揚の欠けた声でそう言った。恩納は雪菜から指摘されるまで、自分が涙を流している事に気づかなかった。




