懺悔室の密談
アメリカ合衆国南部のミシシッピ州には保守派のキリスト教徒が非常に多く、信仰が篤い聖書地帯と呼ばれる地域に入っていた。
そのミシシッピ州南西部にある都市ブルックヘイブンの閑静で緑豊かな住宅街に、木造りの教会があった。
教会の懺悔室では、神父が一人の告解者を迎えていた。 懺悔する者とそれを聞く者は、狭い小部屋の中で壁一枚を隔てて木製の椅子に座っていた。
壁の中央の格子窓には薄いベールが掛けられ、互いの声だけが意思疎通の手段となっていた。
「······全米に存在する能力者は皆殺しにされたと聞いていたが、君は必ず無事だと思っていたよ。ジョセフ」
六十歳前後に見える白い髭を蓄えた神父は、親しみを込めた声色で懺悔室に座る男に話しかける。
「······教団の被害は?」
その告解者は愛嬌のある丸い両目を狭い小部屋の天井に向けたまま神父に問いかける。大柄な体はやや肥満しており、茶色い髪を短く切りそろえた男は神父と同世代に見えた。
「······ウェイロン、ヘンリー、そしてハドソンも殺された。死因は例の胸部損壊だ。聖書地帯の主だった能力者は全滅状態だ」
教団の次世代を担う人材達を失った神父は悲痛な声を漏らす。ジョセフにとって古くからの友人の心痛は察して余りあった。
「ルサンチマンを祓いに日本に行く。正規のルートでは私には無理だ。手配を頼めるか?」
ジョセフは視線を格子窓の薄いベールに移し、自分の目的のみを友人の神父に伝える。
「主だった空港や港には当局の監視が既に敷かれている。国内は危険だ。遠回りになるがメキシコのエンセナダ港からなら横浜行きの貨物船がある。密航になるが、船内に手引き出来る者を同行させよう」
神父はジョセフの日本行きの方法を段取りよく説明して行く。神父は明らかにジョセフの来訪と日本行きを予測し、その準備をしていた。
「助かる。いつもながら世話をかけるな」
ジョセフは話は終わったとばかりに立ち上がった。懺悔室の小部屋から出ようとした時、背後から神父の声が聞こえる。
「······メアリーによろしく伝えてくれ。この国を、いや、教団の未来を君に託すよ。ジョセフ」
「······最善を尽くすよ」
そう返答するジョセフの背中を、神父は格子窓越しに見つめる。ジョセフの大きな背中には、二つの影が彷徨うように揺れていた。
「······幸運を」
そう呟いた神父は己の言葉を顧みる。ジョセフの背後の影を視認できる程度の能力しかなかった為に、自分は白髪の少女の印から逃れることができた。
幸運と言う言葉と運命の皮肉さに、神父は懺悔室の小部屋で深いため息をついた。
······バハカリフォルニア州の都市ティファナのスラム街の一角では、三人の少年少女と中年のタクシー運転手が押し問答を繰り広げていた。
「エンセナダ港まで料金はチップ込みで二千五百ペソだ。割引はしねぇぞ」
狐のような鋭い両目とスキンヘッド。見るからに柄の悪く威圧的なタクシー運転手は、タバコを咥えたまま少年少女達に料金を求める。
「ボッタクリよ! 二千五百ペソなんて一カ月分の食費じゃない!」
金髪の少女バレンティアはそばかすのある頬を赤くして憤慨する。少女達三人の全財産は千八百ペソしか無かった。
「嫌なら他を当たりな。バスでもヒッチハイクでもな」
タクシー運転手は薄ら笑いを浮かべ口からタバコの煙を吐く。話に見切りをつけたのか、車のエンジンを再始動させる。
「······おじさん。この指輪がタクシー代にならないかな?」
マテオは右手の人差し指から金色のリングを外し、タクシー運転手に差し出す。運転手は乱暴にマテオから指輪を掴み取り、派手な柄のシャツの胸ポケットからルーペを取り出し指輪を鑑定する。
「ちょっとマテオ! アンタ正気なの!? その指輪はアンタのお母さんの形見でしょう!」
バレンティアはマテオの胸ぐらを掴み大声を張り上げる。
「いいんだ、バレンティア。正規のタクシーはこの辺りは通らないし。バスは人混みが嫌いなフランシスコには無理だ。それに時間も無い。このおじさんのタクシーで行くのが最善なんだ」
「絶対に駄目よ! その指輪はアンタとアンタのお母さんとの唯一の繋がりでしょう!」
「バレンティア。物はいずれ無くなる。いつか僕が死ねば、この指輪だって何処かに行ってしまう。物には使い所ってのがあるのさ。それが今、この時なんだ」
マテオのダークブラウンの瞳には、真剣で切実な光が強く灯っていた
「······でも」
バレンティアは力無く呟くも、それ以上は何も言えなくなった。
「······坊や達。エンセナダ港まで連れていってやるよ。乗りな」
指輪の鑑定を終えたタクシー運転手は、親指を後部座席に向け三人の少年少女に乗車を促す。
「ありがとうおじさん! 恩に着るよ!」
マテオは破顔すると渋るバレンティアを強引に車に乗せる。フランシスコはバレンティアの隣に座り、マテオ自身は助手席に座った。
「で? お前等みたいなガキが港に一体何の用があるんだ?」
タクシー運転手は、三人の少年少女がシートベルトを付ける前に車を発進させる。
「さっきも言ったろ? アメリカ合衆国を救いに行くのさ!」
左腕を前方に突き出しながらマテオは叫ぶ。タクシー運転手は助手席から前方に視線を移し、アクセルを踏み込む。
そしてこの妙な子供達に必要以上に関わらないことを決めた。




