トタン屋根の中の宣戦布告
長身体躯の金髪の男は、自らを臨時大統領と名乗った。その男の顔に、大手新聞記者マイケル・ミラーは見覚えがあった。
新聞記者なら知らぬ者は皆無の有名な大使だったからだ。 マイクが置かれた演台の端を掴みながら、トムリアル・ハワードの胸中は複雑だった。
本来今日1月20日は大統領就任式を執り行う日だった。ほんの少し前まで、トムリアルは2年後の大統領選挙を実力で勝ち抜くつもりだった。
それがこのような形で自分の就任式を披露するとは想像の外だった。 プロ野球チームのワシントン・ナショナルズの熱心なファンであるトムリアル・ハワードは、まるで自分は敗戦処理投手のようだと自分を皮肉った。
だが負け試合だと分かっていても、トムリアルはその責任を放棄しようとは思わなかった。
「元大統領が皆さんにご説明した内容はテレビやネットでいつでも確認できます。気休めは言いません 。私は皆さんと共に過酷な運命に立ち向かうつもりです。アメリカ合衆国に、そして皆さん幸あらんことを。そしてナショナル・モールに集いし10万人の魂が安らぐ事を心より祈ります」
ナショナル・モールの巨大ディスプレイに映し出された映像はそこで途切れた。受付所で不平不満を漏らしながら働く政府職員トマス・ハリントンは、広大な芝生を埋め尽くす住民達に異変が起きた事に気付く。
始まりは隣の受付所で働く同僚の悲鳴だった。そして住民達が次々と芝生の上に倒れていく。中年の白人男性が片手を空に伸ばしながら背中から倒れ、銀髪の老婆は隣の黒人男性の背中に頭部をぶつけて地に伏した。
その黒人男性も両膝をつき顔面を芝生に叩きつける。 トマスは広大な芝生の上で起きているその光景をただ呆然と眺めるしかなかった。
そしてトマスの眼前で早く受付手続きするように求めていた長身のアジア人の胸から突如心臓が飛び出し、トマスは絶叫する。
高齢者も、若者も、男も女も。その悲劇的な死は 等しく平等に訪れた。ナショナル・モールに集まった10万人の住民のその死は、ドローンカメラと衛星放送を介して世界中に放送された。
全世界は今日この日、ルサンチマンなる白髪の悪魔の存在を数多の流血によって知る事となった。
······ミシシッピ州の南部に、ある素朴な平屋造りの家があった。その家のリビングでは、初老の男がテレビ画面に向かって祈りを捧げていた。
自ら死を選んだ大統領、副大統領。そしてナショナル・モールの10万人の住民の魂に。
「······メアリー。日本に行ってくるよ。どうやら私にはすべき大事ができたようだ」
初老の男の妻は、まるで夫がそうする事を分かっていたかのように悲壮な表情で頷く。
「······ジョセフ。どうか無事に帰ってきて」
「もちろんだよメアリー。ルサンチマンという名の悪魔を祓ったらすぐ帰ってくる。すぐにだ」
初老の男は、妻を安心させる為に穏やかな笑顔を向けた。
······バハ・カリフォルニア州。メキシコ国内にあるバハ・カリフォルニア半島にある州であり、アメリカ合衆国と国境を接している州だ。
その州の北にあるティファナの都市では、郊外に多くの貧しい人々が集まるスラム街があった。その一角に、赤錆だらけのトタン屋根のみすぼらしい家が建っていた。
その狭い室内で、元は廃棄品だった液晶テレビが光の三原色を健気に放っていた。その画面に向かって、姿勢よく立ちながら敬礼をする少年がいた。
「兵隊のもの真似でもしているの? マテオ」
マテオと呼ばれた小麦色の肌の少年は、ダークブラウンの瞳を頬にそばかすがある少女に向ける。
「僕達の大統領になるかもしれなかった人達が死んだんだ。敬意を払うのは当然だろ? バレンティア」
バレンティアと呼ばれた白い肌の少女は、呆れた表情で豊かなブロンドの髪を揺らし首を振る。
「そんな台詞はアメリカの永住権を手に入れてから言ってよね。そのテレビ画面の中で死んだのは、隣の国の大統領よ」
「ルサンチマンとか言う悪魔を仕留めれば、アメリカは僕等に永住権をくれる。そうは思わないか? バレンティア」
マテオは白い歯をバレンティアに見せて不敵に笑う。バレンティアはマテオに正気かと問いかける。
「僕は正気さ、バレンティア。僕等なら実現出来る。そう思うだろ? フランシスコ」
マテオは黒褐色の肌の長身の少年に声をかける。
「······永住権欲しい、永住権欲しい」
フランシスコと呼ばれた細身の長身の少年は、焦点が合わない視線を何処かに向けながら小声で呟いていた。マテオは改心の笑みを浮かべ軽快に指を鳴らす。
「決まりだ。尊い犠牲者達にはルサンチマンの首を以って鎮魂を。アメリカ合衆国を救った僕等には永住権を」
マテオは再び姿勢を正し、テレビ画面に向かって最敬礼した。それは、まだ見ぬ極東の島国に住む白髪の悪魔への宣戦布告だった。




