復讐者
警視庁業務委託法人 生活管理調査会社 思いやり 主任 恩納隆 そう記載された社員証兼ICカードを、恩納隆は入り口のゲートにかざす。
眠そうな恩納の視界に小学生達の集団が映った。 どうやらこの警視庁本部庁舎の見学に訪れた集団と思われた。
子供達の好奇心に満ちた表情を一瞥した恩納隆は、一瞬だけ子供だった頃の自分を思い返していた。 善行も悪行も平凡な子供。それが恩納隆の脳が出した過去の記憶だった。
恩納隆は大きな欠伸をしながらエレベーターの前に立つ。 直ぐに扉が開いたエレベーターに乗り込み、同じく乗り合わせた者達の隙間から腕を伸ばし7階のボタンを押した。
7階に降り立ったのは恩納隆一人だけだった。恩納は慣れた様子でフロアの中を歩いて行く。 地上18階建てのこの警視庁本部庁舎には、中階層に使用していないフロアが存在していた。
恩納隆が降りた7階が正にそうであり、警視庁が業務委託している会社が間借りしていた。 生活管理調査会社思いやり。
恩納隆は自社の名前が記載されたプレートを冠するドアを開け出社した 。 恩納隆の聴覚に大勢の人の声が混じった音が飛び込んで来る。
恩納隆の会社「思いやり」は、フロアの半分を仕切り無しで使用していた。 電話が置かれた机が40台も並び、各机には受話器を取り誰かと話す担当者達がいた。
それは見る者にショッピングか何かのコールセンターを思わせた 。
「恩納君。お早う。お客さんがもう来られて相談室で待っているよ」
ゆったりと穏やかな口調で恩納隆に話しかけたのは、50代半ばに見える中年の男だった。小柄で温和そうな表情は、恩納に田舎の好々爺を思わせた。
「お早うございます。林田課長。直ぐに相談室に行きます」
恩納隆は林田課長に会釈をして踵を返す。林田六三郎はこの「生活管理調査会社思いやり」の課長であり、恩納隆の上司だった。
林田課長はそのおっとりとした口調と性格から周囲から密かに仙人と呼ばれていた。恩納は林田のその偉ぶらない態度に敬意を抱いており、決して仙人などと口にした事は無かった。
少々性格が捻くれた恩納隆は、偉そうにしている人間を一番に嫌悪していた。上司にも関わらずそうでは無い林田に好意的になるのは恩納にとって自然な事だった。
フロアの端に相談室と書かれた部屋が六つ程あった。林田課長にどの部屋か教えられてない恩納隆は 、迷う事無く右から2番目の部屋に入った。
室内には殺風景だった。白い壁紙にレンタルされた観葉植物。後は机に椅子があるのみだった。その椅子に座っている女がいた。
長い黒髪。右目は眼帯を付けており、頬には痛々しい痣があった。沈んだ両目は机の上の一点を見つめており、年齢は20代半ばに見えた。
「お待たせしました。担当の恩納と申します」
恩納は女性に軽く会釈をし、くたびれたダークスーツの胸ポケットから名刺入れを取り出す。最初から名刺を手渡しする気がないかのように机の上にそっと置く。
「白鳥綾音さん。年齢は25五歳。先日死亡した張本剛とは恋人関係にあった。間違いないでしょうか?」
恩納はクリファイルから取り出した資料を淡々と読み上げていく。同棲していた張本剛から長期間に渡り暴力を受けていた事。
2人の生活費は殆ど白鳥綾音が稼いでいた事。そして彼女が張本に対して強い殺意を抱くようになった事、綾音によって張本剛は死亡したと話したところで調書を受ける者が口を開いた。
「······2つ質問があるんですけど」
相変わらず視線を机から動かさないまま、綾音はかすれた声で恩納に問いかける。恩納は無言のまま頷き、綾音に続きを促す。
「······昨日の今日で何故ここまで私達の内情が分かるんですか? しかも私があの男を殺した犯人だと何故断言できるんですか?」
綾音の質問に対して、恩納は手にした資料を不要だと言わんばかりに机に放り投げた。
「分かるんじゃないんです。分かっているんです」
「······分かっている?」
綾音は一瞬だけ恩納が机に投げたクリアファイルに視線を移した。ファイルの中に入ったA4サイズのその紙は、何も記されていない白紙だった。




