路地裏の遺体
最強寒波襲来の報は、北国の人々を文字通り震え上がらせた。近年の異常気象がもたらす自然災害は人間の想像を遥かに越えていた。
猛吹雪と積もる雪で事故が多発し人の命が失われる。寒波は北に住む人間にとっては悪魔の冷気だった。
だが、降雪量が少ない関東平野部の人間達は深刻さとは無縁だった。むしろ雪が降れば学校や仕事に行かずに済むと雪国の人達が聞いたら腹を立てるような事を呑気に述べていた。
「ああ。寒いなあ。ちくしょう」
量販店で売られている紺色のダウンジャケットを着た男が、分厚い手袋をつけた両手で首元の黒いマフラーを締め直す。
鼻水が止まらず、男はダウンのポケットからティッシュを取り出そうとする。出てきたのは使用済みの丸まったティッシュだった。
男は迷う様子も見せずそのティッシュを広げ鼻をかむ。ティッシュについた鼻水が思ったより少量だったのが納得出来なかったのか、男は面白くも無さそうに2度使われたティッシュを丸めてポケットに戻した。
男は中途半端に伸びたボサボサの黒髪を手袋越しに掻く。中肉中背。まだ30歳前後に見える男の頭髪にはかなりの白髪が目立っていた。
「御城さんは寒くないの? そんな薄い コートで」
男は白い息を吐きながら隣に立つ小柄な女に尋ねる。御城と呼ばれた女は薄手の白いコートを着ながら姿勢良く立っていた。
肩より長い髪は男とは対照的に艶があり、年齢は20代後半に見えた。
「······寒いですよ。でも寒いと言ってもそれが無くなる訳ではありませんから」
御城は縁無し眼鏡を男に向け、無表情な顔と声色でそう答えた。非生産的な無駄口は無意味だ。男は御城が遠回しにそう言っているように聞こえた。
「······それで? これが犠牲者。いえ加害者の遺体ですか? 恩納さん」
御城から恩納と呼ばれた男は、口を開くと冷気が肺に入る事を忌避し無言で頷く。恩納と御城はビル街の路地裏に立っていた。
厚い曇り空が手伝って路地裏は薄暗かった。2人の目の前のには古く傷んだタイル張りがあり、そこに人が仰向けに倒れていた。
倒れているのは革ジャンを着た男だった。金髪に染めた髪に耳と鼻のピアス。年齢は20代前半に見えた。 金髪の男の見開いた両目はビル街の狭い空へ向けられており、幾ら時間が経過してもその瞳は瞬きをしなかった。
恩納のように寒がる素振りも見せず。白い息を吐く事も無く。身体を大の字に広げ微動だにしなかった。
「遺体に目立った外傷はありませんでした。硬直具合から見て死後6時間と言った所です」
青い帽子と衣服を着た検視官が、マスク越しに恩納と御城にそう報告する。その検視官は自らの息で曇った眼鏡をかけたまま遺体の身元を説明していく。
遺体の所持品から金髪の男の名は張本剛と分かった。年齢は22歳。住所はこのビル街から程近い所だった。
「······目立った外傷は無い。かあ」
恩納は検視官の許可を受け張本剛の遺体に近づきながら小さく呟く。そして後ろに立つ御城を振り返る。
「御城さん。俺いつも思うんだけど、これって何で外傷扱いにならないのかな?」
恩納は遺体の胸に指を向けながら御城に問いかける。張本剛の胸の衣服は破れていた。胸部の皮膚も裂けており、大量の血が革ジャンの下に着ていた白いシャツを真っ赤に染めていた。
張本剛の裂けた皮膚の中から、人間の拳程の大きさの臓器が飛び出していた。それは、体内に血液を送り出す筈の心臓だった。
機能を停止したその心臓は、胸骨に串刺しにされた状態で骨と共に体外に飛び出ていた。その遺体の姿は、古代の生贄の儀式を恩納に連想させた。
「それは外傷じゃないからです。それで? 心臓の色は。信号は何色ですか? 恩納さん」
御城は張本剛の遺体を見るまでも無いといった表情で素っ気なく恩納に質問する。
「······ああ。信号の色は黄色だよ御城さん。こりゃ被害者から相当の恨みを買っていたんだろうね。この張本って奴は」
恩納は遺体に手を合わせながら、御城の問いに答える。張本剛の体外に飛び出た心臓は、乾いた血液以外は冬の花の蝋梅のように黄色い色をしていた。




