真相と母娘
白いブラウスとスカート姿の荒川遠香は、席に座る生みの母親である駒場清美を見下ろすように睨みつけていた。
「······と、遠香?」
自分の前に立つ娘の姿を見て清美は明らかに動揺していた。何故この場に遠香がいるのか。清美は理解が追いつかなかった。
「遠香さんは私が呼びました。私達の隣の席で話を聞いてもらうためです」
恩納隆は説明しながら席を立ち、駒場清美の隣に座った。空いた席には遠香が不満げな様子で座る。
テーブルを挟んで娘と母親が向かい合う。遠香は15歳の頃から母親である清美との面会は一切拒否しており、実に数年振りの対面だった。
「······久しぶりね。元気だった?」
清美が恐る恐ると言った様子で娘に話しかける。そしてその返答は苛烈を極めた。
「父親が亡くなったのに元気な訳が無いでしょう? 一体どう考えたらそんな能天気な挨拶ができるわけ ? しかもさっきから黙って聞いていれば、随分勝手な言い草を並べたわね。私から子供を奪ったですって? 家庭を壊した張本人が今さら何を言っているのよ?」
遠香の憎しみがこもったその迫力に、生みの母である清美は唇を噛み締め沈黙する。清美の公開処刑を企画した訳では無かった隆は、母娘にこの場に集まってもらった趣旨を説明する。
遠香がカラオケボックスで父親である健太を疎ましいと叫んだ時、その声を盗聴器で聞いていた清美が元夫の死を強く願った。
だが、清美には健太の死の実感など感じなかった 。隆と静香もまた、直接対面した清美からは健太の死亡事実に関して何も読み取れなかった。
健太の死について清美は明白な白であり、黒なのは娘である遠香であるのが妥当だった。何故なら隆と静香は遠香から調査班が調べた内容と同じものを読み取れたからだ。
長年、父である健太から遠香は精神的苦痛を受け続け健太を強く恨み殺害に至った。それが今回の経緯だった。
だが、遠香から直接話を聞いた隆は、遠香は父である健太に感謝こそすれど恨みなど抱いていないと確信していた。遠香の恋人問題で健太と確執を生んだが、それは一時的なものだと恩納は断案を下した。
つまり荒川健太の死について荒川遠香と駒場清美は無関係であり、今回の案件は恩納と静香は異なる情報のレンズを目にかけられた格好となった。それが隆の結論だった。
「お取り込みの最中に失礼いたします」
のんびり、そしてゆったりとした口調の声が席に座る4人に聞こえた。遠香に続いてテーブルの前に立っていたのは、50代半ばに見える中年の男だった 。
「······林田課長」
生活管理会社「おもいやり」の課長であり、隆の尊敬する上司の姿を見て恩納は名を呟きながらどこかで安堵していた。
林田課長が自分の疑問の答え合わせをしてくれる 。隆は何故かそう感じていた。隆の上司は手短に自分の身分を母娘に説明し、穏やかな表情で衝撃的な事実を口にする。
「荒川遠香さん。貴方に謝罪に参りました。3日前に亡くなった貴方の父親である荒川健太さんは生きています。亡くなったのは同姓同名の別人でした」
その話を聞き、テーブ席に座る4人が絶句した。そしていち早く席から立ち上がったのは遠香だった 。
「······お父さんが生きている? 本当に? 本当なんですか!?」
「はい。本当です。これが証拠です」
林田課長は胸ポケットからスマホを取り出し、画面を遠香達に見せる。そこには、ベットの上で食事を摂る荒川健太の姿が在った。
林田課長は説明を続ける。3日前、荒川健太が路上で死亡し林田自身がその場に居合わせた。健太の所持していた財布に入っていた保険証の住所は、遠香の住まいと同じだった。
「······ちょっと待って下さい林田課長。同姓同名の別人が何故本物の健太さんの保険証を持っていたんですか?」
込み入った内容にやや混乱しかけながらも、隆は最もな疑問を投げかける。
「死亡した方の荒川健太はスリの常習犯でね。遠香さんの父親である荒川健太さんから財布を盗んだんだ。そして本物の荒川健太さんは無くしたと思った財布を探している時に運悪く警察関係の車両に轢かれてしまってね。つい昨日までベットで意識不明だったんだ」
本物の荒川健太はスマホと財布を盗まれた為に、身元の確認が直ぐに出来なかったと言う。そして財布とスマホを盗んだ犯人が死亡し、偶然にも荒川健太と言う名前だった。
余りにも出来過ぎている設定に隆は疑念しか沸かなかったが、林田課長の話は一応筋は通っていた 。だが、隆と静香が目に付けられた間違った情報のレンズ問題は何一つ解決していなかった。
林田課長は外に車を用意しており、これから遠香を病院に案内する事となった。遠香は急いで隣の席からコートとバッグを取り、今にも走り出しそうな様子だった。
「遠香さん。一言だけいいでしょうか?」
林田課長と遠香が並んで歩こうとした時、御城静香が遠香に呼び止めた。
「······遠香さん。私は生まれた時から父親の顔を知りません。母は愛情を持って私を育ててくれたので私自身は父親など必要ありませんでした。いえ。そう思わなくては母に悪いと思っていました」
静香は立ち上がったまま、両の手のひらを握りしめていた。
「大人になって思い知らされました。父親など不必要だと思っていても。父親の愛情を受けられなかった子供の頃の自分がまだ心の何処かにいるんです。そして今でも求めています。父親の愛情を」
隆は目を疑った。あのクールで決して感情を表に出すことの無かった静香が両肩を震わしていた。その静香の姿と言葉を、遠香は黙って見つめていた。
「遠香さん。貴方は母親の清美さんから愛情を受ける事が出来なかった。清美さんを恨む気持ちもあるでしょう。ですが忘れないで下さい。その負の感情は愛情を求めているからこそ生まれるんです」
隆は背後から静香の両肩に手を添えた。今、それをしなければならないと隆は感じていた。
「母親の清美さんを許せとは言いません。憎むなとも言いません。ですがこれも忘れないで下さい。遠香さんのお母さんは生きています。相手と会う事も。話す事も。お互いを知る事もできます。だから ······」
静香の声はそこで途切れた。顔を俯け、今にも泣きそうな顔をしていた。隆は静香に代わって遠香に伝える。
「遠香さん。いずれ親は子より先に死にます。今回貴方は親の死について嫌になる程それを実感した筈です。相手が死んでからでは喧嘩も出来ない。つまりそう言う事です」
隆は微笑みながら遠香に語りかけた。遠香は複雑そうな表情を見せ、無言のまま恩納と静香に頭を下げ、そして林田課長と共に店外に消えていった。




