死のランウェイ
「お主の国土に住まう異能者達は8900人存在した 。それをたった1人の死者の怨念で皆殺しにしたのだ。その1人。いや、彼の者は先の大戦で東京大空襲で家族を焼き殺されてな。当人は喉の渇きを癒すため川を目指したが途中で力尽きた。お主らを地獄の底へ落としたいと呪いながらな」
白髪の少女はソファーから静かに立ちがあり、壁一面のガラス窓にゆっくりと歩いていく。
「······は、半世紀以上前の事を持ち出すのですか? ミス ルサンチマン。私達の前の世代が行った事です」
アメリカ特命全権大使トムリアル・ハワードはルサンチマンの背中越しに抗議する。戦争は終結した時に双方が調印を交わし全てが清算される。それを現在に持ち出すのは公正では無いと続けた。
「残念ながら死者の怨念に生者の常識など通用せぬ 。それよりもだ。自由の国からの使者よ。たった1人の怨恨が1万人近い命を奪ったのだ。300万人全てがお主等を呪ったらどれ程の犠牲者が出るかな? 」
白髪の少女のその言葉は、ハワードにとって死刑執行を宣告されたように聞こえた。理系分野が得意の彼にとって、その計算を処理する事は造作も無かったが、本能がそれを拒否していた。
「300億人」
ルサンチマンはハワードに背中を向けながら小さく呟く。立ち上がったままのハワードは、自分の両の足から力が抜けてい行く事を感じていた。
「お主らの国の民全てを85回皆殺しに出来る数だ。 真に持って罪深いことをしたものだな。自由の国からの使者よ」
ハワードはこのままソファーに腰を降ろしたい衝動に駆られた。だがそれは、祖国の敗北を意味すると彼は感じていた。
「······ミス ルサンチマン! 貴方の発言は自国の都合の良いことばかりだ。まるで日本が清廉潔白の如くの言い様! 日本がアジアを侵略した事をお忘れか! そこで犠牲者となった人々が日本を恨んでないとでも言うのですか!?」
ハワードは汗で乱れた髪を直すことも無く、白髪の少女を指差し断罪する。
「その通りだ。自国の国からの使者よ。我の国もその両の手は血で濡れている。我々がお主等を呪う様に、他国から呪われる理由もまたある」
白髪の少女はハワードに横顔を見せ、神妙な面持ちで目を伏せる。特命全権大使はこの交渉相手が今夜初めて見せた弱気な姿勢につけ入ろうと目論む。
「だがそれも、我のような代理人がいればの話だがな」
ハワードの思惑は即座に頓挫した。何故ルサンチマンが他国に隠り世と現し世の代理人が存在しないと断言するのか。それは聞くまでも無い残酷な理由だと特命全権大使は思い知らされる。
「······一体、罪もないアジアの人々をどれ程虐殺したのですか? ミス ルサンチマン」
「この現し世に正義などない。我はただの代理人だ 。だがな。自由の国からの使者よ。この力も万能ではないのだ。この呪いを行使するにはある条件が必要なのだ」
「······じょ、条件とは?」
「呪いを行使したい相手に印をつけるのだ。お主等の言葉でマーキングと言えば理解しやすいかな? この印を発現させてからではないと呪い殺せぬのだ」
「そ、その印とは何ですか? ミス ルサンチマン 」
「ジャスミン」
白髪の少女はガラス越しに外界の夜景を眺めながらそう言った。ハワードの聴覚は確実にその固有名詞を脳に送り込んだ。だが、彼の脳はそれを必死で拒もうとしていた。
「相手にジャスミンの香りを嗅がせるのだ。それが印となる。そうだ自由の国からの使者よ。お主がつい先刻この部屋で嗅いだ香りだ」
白髪の少女は口の端をつり上げ哄笑した。特命全権大使の心拍数は急激に上がり続ける。ハワードはこの部屋で確かにジャスミンの香りを感じた。
ルサンチマンがジャスミンが入った茶葉の箱を開けていないのにも関わらず。
「自由の国からの使者よ。お主には既に印をつけられている。背後に何か感じぬか? お主の心の臓を握り潰そうと心待ちにしている死者の気配と吐息が 」
ルサンチマンは白い歯を見せハワードの肩越しに細い指を向ける。特命全権大使は自分の胸に手を当て後ろを振り返る。だが、そこには誰も居なかった。
「······あり得ない。ある筈が無い! 私は信じないぞ小娘! そんな非科学的な与太話を誰が信じるものか!!」
ハワードの中で何かが壊れた。国運を賭けた交渉相手の敬称を無視し、乱れたネクタイも直さず口から唾を飛ばし怒鳴り声を上げた。
「大統領の親族を皆殺しにした筈だか。お主はその事を聞いていないのか? 不憫な事だ。何も聞かされずにここに来たのか」
白髪の少女は笑みを浮かべたまま歩き出す。1歩。また1歩と特命全権大使に近づく。それは、ワードにとって死神の行進だった。




