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吸血鬼の花嫁 ——怪物の城に春は来ない——  作者: 胡蝶
第三章:崩壊と永遠の愛
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第25話:怪物の葬列、あるいは永遠の誓い

村を焼き尽くしたあの夜から、この城の時計は止まった。 窓はすべて厚いカーテンで閉ざされ、かつて春の光が差し込んでいた廊下は、今や永遠の夜に支配されている。


私は、豪華な天蓋付きのベッドの上で、テオドール様の腕に抱かれていた。 吸血鬼として生きる日々に、もはや「昨日」や「明日」という概念はない。あるのは、喉を焼く渇きと、それを癒やす彼の熱い血。そして、彼が私の喉を潤すときにだけ感じる、痺れるような甘い快楽だけ。


「……アリア。……また、あの夢を見ているのか」


テオドール様が、私のこめかみにそっと唇を寄せた。 彼の指先は、以前よりもずっと細くなり、その瞳には底知れない疲弊が滲んでいる。


「……はい。……真っ白な部屋があって、窓からは明るい陽射しが入ってきて……。そこで私が、もふもふの大きな猫と一緒に、笑ってスープを飲んでいる夢です」


私は、彼の胸元に顔を埋めた。 その夢は、人間だった頃の私が、未来に抱いていたささやかな、けれど決して届かない「希望」の残滓。 吸血鬼となった今の私には、太陽の光は肌を焼く毒でしかない。


「……すまない、アリア。……俺が、貴様からその未来を奪った。……貴様を、こんな光のない地獄へ閉じ込めてしまった」


テオドール様は、絞り出すような声で呟いた。 彼は知っていた。アリアが、本当は太陽の下で生きたがっていたことを。自分のエゴが、彼女の魂を永遠の檻に繋ぎ止めてしまったことを。


「……いいえ、テオドール様。……私は、幸せですよ。……だって、貴方がいない太陽の下よりも、貴方が隣にいるこの暗闇の方が、ずっと、ずっと……温かいんですもの」


私は嘘をついた。 本当は、時折、堪らなくなる。 セバスチャンさんが淹れてくれた、あの香ばしい紅茶の味が思い出せないことが。ユンの毛並みが、太陽の匂いではなく、冷たい死の匂いになってしまったことが。 けれど、私が悲しめば、彼はそれ以上に自分を傷つける。だから私は、血の涙を飲み込んで微笑む。


「……セバス。……準備はできているな」


テオドール様が、影の中で静かに控える従者に問いかけた。


「……はい。主様。……すべて、ご指示通りに。……城の結界を解き、聖騎士たちがこの森に踏み込む道筋を作りました。……夜明けと共に、この城は『怪物の墓場』となるでしょう」


「……テオドール様!? 何を言っているんですか……!?」


私は驚いて飛び起きた。 テオドール様は、私の頬を両手で包み、その真紅の瞳で真っ直ぐに見つめ返した。


「……アリア。……俺たちは、長く生きすぎた。……貴様を怪物にしてまで繋ぎ止めたが、……貴様が夢の中で、あんなに切なそうに太陽を求めて泣く姿を、俺はもう見ていられない」


「……そんな、……私、泣いてなんて……!」


「……俺には分かる。……俺の血を飲んでいる貴様の鼓動が、絶望に震えているのを。……アリア。……最後に、俺と一緒に『朝食』を摂ろう。……本当の、太陽の下で」


テオドール様は、私を抱き上げ、城の最上階にあるバルコニーへと向かった。 そこは、かつて私たちが月夜のワルツを踊った場所。 けれど今は、東の空が白み始め、夜の終わりが告げられようとしていた。


「クルル……」


ユンが、私たちの足元に寄り添った。彼は知っているのだ。これが、この家族の最後の散歩になることを。 セバスチャンさんは、主の後ろ姿を見送り、その磁器の指で、一輪の白い枯れない花を私の髪に挿した。


「……アリア様。……人形の見る夢は、ここで終わります。……素晴らしい旅を、ありがとうございました」


バルコニーの扉が開かれた。 冷たい朝の空気が、私たちの肌を叩く。 吸血鬼にとって、朝日は処刑の宣告と同じ。


「……テオドール様。……怖い、……怖いです……」


私は彼のシャツを強く掴んだ。体が震え、本能が死を拒んで叫んでいる。 けれど、テオドール様は私を強く、今までで一番優しく抱きしめた。


「……怖くない。……俺がずっと、貴様の隣にいる。……灰になっても、その灰さえも混じり合って、風に溶けていけるように」


太陽が、地平線の向こうから顔を出した。 最初の一筋の光が、城の尖塔を黄金色に染める。


「……あ、……あ……っ」


光が私の指先に触れた瞬間、激痛と共に、私の肌がキラキラとした光の粒となって崩れ始めた。 けれど、不思議だった。 その痛みは、村で毒を飲まされた時のような醜いものではなく、まるで、重い鎖から解き放たれて、透明な空へと還っていくような、清らかな感覚だった。


「……アリア……愛している……」


テオドール様もまた、光に包まれていた。 彼の美しい銀髪が、太陽の熱に焼かれ、白銀の粉となって舞い上がる。 彼は私の唇を塞ぎ、最後の一滴の愛を私に注ぎ込んだ。


「……私も、……愛して、います……。……テオドール、さま……」


二人の体が、光の中で溶け合っていく。 絶望も、狂気も、血の渇きも、すべてが太陽の輝きの中に浄化されていく。 そこにあったのは、もはや吸血鬼と生贄ではなく、ただ深く愛し合った二人の、汚れなき魂の形だけだった。


やがて、バルコニーには、二人の着ていた服と、銀色の粉末、そして一冊のノートだけが残された。 ユンは、主たちが消えた場所を一度だけ悲しげに見つめると、太陽の光を全身に浴びながら、静かに森へと消えていった。


セバスチャンさんは、主たちの遺灰を丁寧に拾い集め、一つの美しい銀の器に収めた。


「……おやすみなさい。……我が主。……我が友、アリア様。……いつか、貴方たちが夢見たあの白い部屋で、……また、お会いしましょう」


人形は、涙を流す機能を持たない。 けれど、彼の胸の中のゼンマイは、切なそうに、けれど誇らしげに、最後の一刻みを刻んで止まった。




数百年後。 ある晴れた日の朝。 一人暮らしを始めたばかりの少女が、新しい白いPCの前で、ふと手を止めた。 窓からは明るい陽射しが入り、足元では大きなメインクーンが「クルル」と喉を鳴らしている。


彼女は、なぜか懐かしい気持ちになりながら、棚の奥から見つけた古い、けれど大切に保管されていた「ノート」を開いた。


そこには、最後の一ページに、透き通るような文字でこう記されていた。


『——愛しています。 太陽の下で、貴方と笑える、その時まで。』


少女は、理由も分からず、頬を一筋の涙が伝うのを感じた。 けれど、その涙は少しも悲しくなかった。 まるで、長い、長い夜を終えて、ようやく「おはよう」と言えたときのような、そんな温かな味がした。




【吸血鬼の花嫁——怪物の城に春は来ない——】


—— 完 ——

あと1話で本編完結となります。

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