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吸血鬼の花嫁 ——怪物の城に春は来ない——  作者: 胡蝶
第三章:崩壊と永遠の愛
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第24話:怪物の進撃、あるいは紅蓮の村

その夜、アリアの故郷である村は、季節外れの「赤い雪」に降られていた。 否、それは雪ではなかった。 空から舞い落ちていたのは、巨大な城から溢れ出した魔力が火の粉となり、夜空を焦がして降り注ぐ「滅びの灰」だった。


「……アリア。見ていろ。……貴様を『無駄飯食らい』と呼び、貴様の純真を毒で汚した連中だ。……一人残らず、俺が地獄の門までエスコートしてやる」


村を見下ろす丘の上。 テオドール様は、漆黒の外套を夜風にたなびかせ、冷酷な美しさを湛えて立っていた。 その腕の中には、吸血鬼として新生し、白いドレスを血のように紅いマントで包んだ私が、彼に抱かれるようにして寄り添っている。


「……テオドール様。……私、もう何も感じません。……あんなに怖かったお母様の声も、セレナの笑い声も……。今はただ、遠くで鳴いている虫の羽音のようにしか聞こえないんです」


私の瞳は、暗闇の中でもすべてを見通していた。 逃げ惑う村人たちの恐怖に歪んだ顔。絶望の叫び。 かつての私なら、それを見て涙を流しただろう。けれど、今の私の胸にあるのは、氷のような静寂と、テオドール様の血によって上書きされた、底知れない飢餓感だけだった。


「……それでいい、アリア。……貴様の涙は、もうあの卑怯な連中のために流す必要はない。……行くぞ、セバス」


「御意、主様。……『お掃除』の時間でございますね」


影の中から、セバスチャンさんが音もなく現れた。 彼の手には、いつもの銀のトレイではなく、月光を反射して青白く光る、無数の「糸」のような魔力が握られていた。 そして、その後ろからは、巨大な獅子のような姿に変貌したユンが、大地を揺らす咆哮を上げて駆け下りていった。


村は、阿鼻叫喚の地獄へと変貌した。


「火だ! 火が出たぞ!」


「助けてくれ、怪物が……怪物が来た!」


村人たちが逃げ惑う中、テオドール様は優雅な足取りで村の中央へと歩を進めた。 彼の周囲には、目に見えない死の結界が張られ、近づこうとする者は、それだけで自身の影に喉を絞められて倒れていく。


やがて私たちは、あの忌まわしい「私の実家」の前に辿り着いた。 扉が激しく開き、中から這い出してきたのは、煤に汚れ、髪を振り乱したセレナだった。


「ひっ、……あ、あ、ああ……!」


セレナは、私とテオドール様を見上げ、腰を抜かした。


「お、お姉様……!? その目、その姿……! 本当に、化け物になっちゃったのね……!」


「……セレナ。お久しぶり」


私は、自分でも驚くほど冷ややかな声で言った。


「貴方が私にくれた『お薬』。……とても苦かったわ。……でも、今の私が飲む『お薬』は、もっとずっと、熱くて甘いのよ」


私は、テオドール様の腕を離れ、セレナの前へと一歩踏み出した。 吸血鬼としての本能が、彼女の喉を流れる「卑屈な血」の匂いを嗅ぎつける。


「な、なによ……! 私はお母様に言われて……! 貴方が悪いんじゃない、貴方がそんなお腹で生まれてくるから……!」


「……口を慎めと言ったはずだ。……ゴミが」


テオドール様が指を鳴らすと、セレナの体は不可視の力で宙に吊り上げられた。


「……アリア。……この女の血は、貴様の喉を汚すだけだ。……飲む価値すらない。……セバス、こいつらは城の地下へ連れて行け。……死なぬよう、生かさぬよう、……アリアが味わった孤独の数百倍の時間を、暗闇の中で数えさせてやれ」


「かしこまりました。……永遠の孤独という名の『特別なディナー』を用意いたしましょう」


セバスチャンさんの影が、セレナを、そして家の中にいた母親を、底なしの闇の中へと引きずり込んでいった。 彼女たちの最期の悲鳴は、燃え盛る家屋の崩れる音にかき消された。


「……テオドール様。……これでおしまいですか?」


私は、紅く染まった村を見つめて尋ねた。 村の歴史も、私を苦しめた因習も、すべてが灰になって消えていく。


「……ああ。……貴様を縛る過去は、今、この炎と共に灰となった。……これからは、俺と貴様だけの、誰にも邪魔されない夜が始まる」


テオドール様は、私を後ろから抱きしめ、その首筋に顔を埋めた。


「……アリア。……怖いか? ……自分を愛してくれた村を、自らの手で滅ぼした俺が」


私は、彼の冷たい手に自分の手を重ねた。


 「……いいえ。……私を愛してくれたのは、この村じゃありません。……テオドール様、貴方だけです」


私は、振り返って、彼の唇にキスをした。 火の粉が舞う中での、熱くて、鉄の味がする、残酷な接吻。 村を焼き尽くす炎は、私たちの「心中」の炎のようでもあった。


私たちは、燃え盛る村を背にして、城へと戻る坂道を歩き始めた。 背後では、ユンが獲物を仕留めた後のように悠然と歩き、セバスチャンさんはまるで何事もなかったかのように、焼け残った一本の花を摘み、私の髪に飾ってくれた。


「……アリア。……城に戻ったら、またスープを飲ませてやろう。……今度は、貴様を永遠に美しく保つための、……最高級の血を混ぜた、特製の一杯だ」


「……はい、テオドール様。……楽しみにしておりますわ」


私たちは、もう二度と、朝の光を浴びることはない。 二人のワルツは、これからも続くけれど、それはかつての穏やかな旋律ではない。 互いの喉を潤し合い、互いの孤独を埋め合う、狂気と血に彩られた「終末の舞踏」。


城の門が、重々しい音を立てて閉まった。 それは、世界からの完全なる決別。


アリアのノートの、本当の最終ページ。 そこには、もう文字は書かれていなかった。 ただ、一輪の押し花と、二人の血が混ざり合ってできた「ハート」の形が、暗闇の中で不気味に、そして美しく輝いていた。


愛ゆえにすべてを焼き、愛ゆえにすべてを捨てた、怪物の花嫁。 二人の悲劇的な「ハッピーエンド」が、今、完成した。

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