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吸血鬼の花嫁 ——怪物の城に春は来ない——  作者: 胡蝶
第三章:崩壊と永遠の愛
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【幕間:第3-2話】ノートに記された「最後のワルツ、あるいは書きかけの決意」

(※ページには、アリアの体力の限界を物語るような掠れた筆致と、それを打ち消すような、強い意志を感じさせる誓いが並んでいる。ところどころ、押し花が挟まれていた跡がある)


五月○日。


今夜の月は、あまりにも明るすぎて、まるでお城全体が銀色の液体に沈んでいるみたいだ。


窓を開けると、春の夜風が、病で痩せ細った私の体を容赦なくすり抜けていく。骨の髄まで冷え切った私の肩に、テオドール様が、音もなく背後から厚手の毛織物をかけてくださった。


「……風が、貴様の細い首を折ってしまうかもしれん。……外へ出るなと言ったはずだ、アリア」


その厳しい口調とは裏腹に、彼は私の手を取った。


テオドール様の指先は、いつもより少しだけ、熱を帯びているように感じられた。魔力を私に流し込みすぎているせいだろう。私の命を繋ぎ止めるために、彼は自分の存在を削り続けている。


「……アリア。……少し、踊らないか。……音楽も、華やかなドレスも、拍手を送る観客もいないが」


テオドール様の誘いは、まるでお伽噺の終わりのような、静かな響きを持っていた。

私は、彼の大きな靴の上に自分の足を乗せた。


かつて村のお祭りの夜、遠くから楽しそうな笛の音を聞きながら、穴蔵で膝を抱えていた私には想像もできなかった、夢のような誘い。テオドール様の抱擁は、鋼のように強く、それでいて、壊れかけの硝子を扱うように慎重だった。


バルコニーの石畳に、私たちの影がひとつに重なって揺れる。


テオドール様は何も言わずに、ゆっくりと、私をリードしてくださった。


ステップを踏むたび、私の胸の奥で、毒の泥が小さく爆ぜる。けれど、彼の胸に顔を埋めている間だけは、その痛みさえ、甘い痺れのように感じられた。


耳を澄ませても、彼に鼓動はない。けれど、その胸板からは、確かに彼という存在の熱が伝わってくる。


「……テオドール様。……私を、人間として愛してくれて、ありがとうございます」


私の囁きに、テオドール様の腕が、一瞬だけ私を押し潰すほど強く締め付けた。


「……アリア。貴様は、本当に、それでいいのか。……俺と同じ血を与えれば、貴様のその苦しみは今すぐに消える。……老いも、病も、死の恐怖も……。……俺と共に、永遠という名の荒野を……」


テオドール様の声は、誘惑ではなく、慟哭どうこくに近かった。


私を失いたくないという、怪物の執着。けれど、彼は自分の願いを、必死に理性で抑え込んでいる。私の『人間としての尊厳』を守るために、彼は自分を殺しているのだ。


私は、彼の真紅の瞳をじっと見つめた。


そこに映っているのは、やつれて、髪も乱れて、けれど今までで一番幸せそうに笑っている、一人の女の子の姿だった。


「いいえ。……私、人間として、貴方に看取られたいの。……怪物になって永遠を生きるより、人間として、貴方の作ってくれたスープを『美味しい』と言いながら、貴方の隣で、貴方の腕の中で終わっていきたい。……それが、私が見つけた、たったひとつの……最初で最後の、ワガママなの」


テオドール様は、絶望したような、けれど救われたような顔をして、私の額に自分の額を重ねた。


「……ああ。……約束しよう。……俺が、貴様を、世界で一番誇り高い『人間』として、その命の灯が消える瞬間まで守り抜く。……貴様のその儚い命を、俺は永遠に、この記憶の墓標に刻み込もう。……だから、アリア……。最後まで、俺の愛した、愚かで、あまりにも美しい人間のままでいろ」


私たちは、月の光の下で、何度も、何度も、壊れかけたオルゴールのように回り続けた。

私は彼の腕の中で、心から笑っていたと思う。


いつか訪れる『死』が、こんなにも甘美な約束になるなんて。


ノートのこのページに書いたこの言葉は、私の遺言。


もし、この先、何かが起こって、私が私でなくなろうとしたら。


テオドール様。どうか、このページを読んで。


私が、貴方の『人間』でありたかったことを、思い出して。


明日も、貴方のスープが、ひとくちでも多く、私の命になりますように。

おやすみなさい、テオドール様。

ありがとうございました。

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