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吸血鬼の花嫁 ——怪物の城に春は来ない——  作者: 胡蝶
第三章:崩壊と永遠の愛
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【幕間:第3-1話】ノートに記された「人形の告白と、銀色の嘘」

五月○日。


窓の外は、淡い乳白色の霧が立ち込めている。お城の尖塔が、まるで雲の海に突き刺さる墓標のように静かに佇んでいる。

今日のスープは、いつもより少しだけ、陽だまりのような味がした。


黄金色のカブが、透き通るようなスープの中で宝石のように踊っている。テオドール様が、私の弱り切った胃に負担をかけないようにと、繊維を一本一本断ち切るように丁寧に、執念深く刻んでくださったことが、舌の上で解ける瞬間に、熱となって伝わってくる。


けれど、最近の私は、その一口を飲み込むのさえ、命を削るような重労働に感じてしまう。


飲み込んだあと、胃の奥で毒の泥がぐつぐつと泡立ち、私の『人間としての時間』を内側から食い荒らしている。


ノートを握る指先が、いつの間にか紙と同じくらい白くなっている。


テオドール様が、私の顔色の悪さに耐えかねたように書庫へ向かったあと。

私は一人、広すぎる食卓に残り、セバスチャンさんがティーカップを磨く規則的な音に耳を澄ませていた。

チリ、チリ。

白磁と銀が触れ合う冷たい音が、静寂の中で鋭く響く。それはまるで、私の命の終わりを刻む秒針のようにも聞こえた。


「……セバスチャンさん。ひとつだけ、贅沢な問いを許してくださる?」


セバスチャンさんは、動きを止めた。


窓から差し込む斜陽が、彼の無機質な横顔を照らし出す。その瞳には、五百年という、人間の想像を絶する永い時を見てきた者特有の、深い諦念があった。


「私は『生贄』なのに。……どうしてテオドール様は、あんなに祈るような目でスープを作るの? 私の命を吸い尽くして、怪物としての渇きを癒やすのが、本来の『食事』ではないの?」


セバスチャンさんは、ゆっくりと私の方を向き、一礼した。


「アリア様。……主様は、ご自身の手を血で汚すこと以上に、貴女様が『怪物』の領域に堕ちてしまうことを、何よりも恐れていらっしゃるのです」


彼が語った真実は、私の胸を裂くほどに純粋で、あまりにも残酷な愛の形だった。

テオドール様が夜な夜な、血の混じった涙を流しながら古い魔導書をめくっているのは、私を吸血鬼にする術を探しているからではない。


村の連中が私を閉じ込め、聖女の名を借りて植え付けた、内側から肉を腐らせる『呪毒』を浄化する術。そして、私を普通の、何の力も持たない、ただの『一人の女の子』に戻すための魔法を、ご自身の命の欠片(魔力)と引き換えに探していらっしゃるのだという。


「主様は、ご自身が背負った『永遠』という名の、光さえ届かぬ牢獄を、誰よりも憎んでおられます。……時の流れから置き去りにされ、愛した者が土へ還るのを見送るしかない化け物の絶望を。……だからこそ、愛してしまった貴女にだけは、その檻の鍵を渡したくない。たとえ貴女様を『人間』として生かすことが、主様にとって、貴女を墓標へと見送る『永遠の孤独』を意味するとしても」


セバスチャンさんの銀色の指先が、私の震える手に触れた。


「主様は嘘つきでございます、アリア様。貴女を『生贄』と呼び、執着することで、ご自身の情から目を背けようとしていらっしゃる。……けれど、あのお方は、貴女がいつか自分のことなど忘れて、太陽の下で誰かと笑いながら一生を終える日を、聖者のように祈っておられるのです」


私は、ノートを強く、強く抱きしめた。

指先から伝わる紙のざらつき、セバスチャンさんが淹れたお茶の香気。かつて村で、暗い穴蔵に閉じ込められていた頃には感じられなかった、生きた世界の匂い。


テオドール様は、私に「死」ではなく、「人間としての生」を完成させようとしてくれている。


テオドール様。貴方は、私がいつか年老いて、皺の刻まれた手で貴方の白い頬を撫で、貴方を一人置いて死んでいく姿を見ることさえ、愛だと言って受け入れようとしているのね。


怪物の永遠よりも、人間の刹那。


貴方は、私の「終わり」を愛そうとしてくれている。

私は、このノートに、インクを滲ませながら決意を刻んだ。

私は、怪物になんてなりたくない。

テオドール様が守ってくれようとしている、この儚くて、壊れやすくて、けれど愛おしい『人間としての命』を、私は最後の一秒まで、誇りを持って生きたい。

彼が作ってくれるスープの味を舌に刻んだまま、人間として、彼の冷たい腕の中で、いつか静かに眠りにつきたい。

それが、吸血鬼である彼に、私が捧げられる、世界で唯一の、そして最高の『供物せいはい』なのだから。

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