第21話:未来へのレシピ、あるいは終わらない朝食
連続投稿です。
よろしくお願いいたします。
舞踏会の余韻が残る、透き通った朝のこと。 私は、まだ心地よい疲れを感じながら、テオドール様の寝室で目を覚ました。 窓から差し込む朝日は、かつての冷たい「冬の光」ではなく、命を育む「春の陽光」として、部屋の調度品を優しく照らしていた。
「……起きたか。……貴様の寝顔があまりに安らかで、このまま永遠に閉じ込めておきたい衝動と戦うのが、今朝の俺の最大の難事だったぞ」
隣で本を読んでいたらしいテオドール様が、私の髪を優しく撫でながら微笑んだ。 その瞳には、かつての飢えた獣のような光はなく、ただ穏やかな慈愛だけが満ちている。
「テオドール様、おはようございます。……今朝は、私が何か作りたいです。……テオドール様と、セバスチャンさんと、ユンのために」
私がそう提案すると、テオドール様は驚いたように目を見開いた。
「……貴様が? ……俺が手間暇かけて完成させたあのスープ以上に、貴様が満足できるものなどこの世にあると思っているのか?」
「ふふ、そんなのありません。……でも、誰かのために何かを作りたいって思えるようになったのは、テオドール様が、私を健康にしてくれたからです。……私に、『誰かと一緒に食べる幸せ』を教えてくれたからです」
私は、彼の胸に寄り添いながら言った。 テオドール様は、溜息をつきながらも、私の額に深いキスを落とした。
「……勝手にしろ。……ただし、包丁で指一本でも切ってみろ。その瞬間、この城の台所は永遠に封鎖するからな」
厨房へ向かうと、そこにはすでにセバスチャンさんが完璧な手際で下準備を終えて待っていた。
「おやおや、アリア様。主様の看病も一段落し、ついに自ら腕を振るわれますか。……人形の私にも、お裾分けをいただけるのであれば、これほど光栄なことはございません」
「もちろんです! セバスチャンさん、お手伝いお願いしますね」
私は、テオドール様が教えてくれた「胃に優しい調理法」を思い出しながら、慎重に食材を選んだ。 カブや人参を、口の中で解けるほど小さく、けれど形が残る絶妙な大きさに切り揃える。 煮込みすぎず、素材の甘みを最大限に引き出す火加減。 そして何より、食べる人の顔を思い浮かべるという、テオドール様から教わった「最高の調味料」。
コトコトと、鍋が幸せな音を立てて笑い始める。 やがて、厨房には優しく、どこか懐かしい、温かな香りが満ち溢れた。
テーブルには、私が作った色とりどりの野菜のポトフと、セバスチャンさんが焼いた香ばしいパン、そして、ユンのための特別なお魚料理が並んだ。
「……ほう。……見た目だけは、及第点だな」
テオドール様が、椅子の背もたれに体を預けながら、私の作ったスープを一口運んだ。
沈黙。 私は、心臓が口から飛び出しそうなほど緊張して、彼の反応を待った。
「…………」
テオドール様は、二口、三口と、ゆっくりとスープを喉に流し込んだ。 やがて、彼はスプーンを置くと、私をじっと見つめ、小さく、けれどはっきりと微笑んだ。
「……悔しいが、認めざるを得ないな。……魔力を使わずとも、これほどまでに俺の胃を熱くするスープを、俺は他に知らん」
「テオドール様……!」
「主様、その通りでございます。……私のような人形の回路さえも、この温かさにバグを起こしてしまいそうです」
セバスチャンさんも、優雅にスープを嗜みながら頷いた。
「クルル! グルルル!」
ユンも、自分の皿をあっという間に平らげ、もっと食べたいと言わんばかりに私のエプロンの裾を甘噛みしている。
窓からは、暖かな春の風が吹き抜け、テーブルの上の花を揺らす。 朝食を囲み、笑い合い、何気ない今日一日の予定を語り合う。 かつて「死ぬために来た」はずのこの城で、私は今、何よりも「生きている」ことを実感していた。
「……アリア。……これが、俺たちの新しい『レシピ』だ」
食後、テオドール様が私の手を取り、その薬指に、銀色に輝く小さな指輪を嵌めた。 それは、彼が自分の銀髪と魔力で作り上げた、世界に一つだけの誓いの印。
「今日食べるもの。今日話すこと。今日、貴様が流す喜びの涙。……そのすべてを材料にして、俺たちは、明日という名のスープを永遠に煮込み続けよう」
「……はい。……私、もう二度と、自分の人生を『無駄なもの』だなんて思いません。……テオドール様の隣にいるために、私は、一生懸命生きていきます」
私は、彼の胸の中で、誓った。 村の冷たい視線も、孤独だった夜も、すべてはこの瞬間のためにあったのだと思えるほど、今の私は満たされている。
テオドール様は、私の背中に腕を回し、私を力強く引き寄せた。
「……アリア。……愛している。……貴様という春を、俺の夜のすべてを捧げて、永遠に守り抜こう」
朝の光の中で、二人の影が一つに重なる。 怪物の城には、もう「冬」は来ない。 そこには、終わらない朝食と、無限に続く愛のレシピがあるだけだった。
その夜、アリアはノートの最後のページを閉じ、新しいノートを広げた。 その真っ白な一ページ目に、彼女はこう記した。
『四月○日。 今日から、新しい物語が始まる。 主役は、銀色の髪をした優しい怪物さんと、 彼を愛する、ちょっとだけお腹の弱い私。 そして、最高に素敵な執事さんと、もふもふの守護獣さん。 メニューは、毎日変わる「幸せ」の味。 ——いただきます。私たちの、新しい毎日。』
窓の外では、満開の桜が月夜に舞い、 新しい春の訪れを、静かに祝福していた。




