第18話:セレナの来訪、歪(いびつ)な再会
春の柔らかな日差しが城の廊下を照らしていたある午後のこと。 平和な空気を切り裂くような、けたたましい馬車の音と、聞き覚えのある傲慢な声が城門に響き渡った。
「ちょっと! なぜこの私をこんな薄汚い門の前で待たせるの!? 早く開けなさいよ、この無礼者!」
その声を聞いた瞬間、私の全身から血の気が引いた。 忘れたくても忘れられない、私の心に深く鋭い傷を刻み続けてきた、妹・セレナの声。 私は震える手で窓枠を掴み、眼下を見下ろした。そこには、派手なドレスに身を包み、数人の従者を従えて喚き散らすセレナの姿があった。
「……アリア様、顔色が真っ青ですよ」
背後からセバスチャンさんが静かに歩み寄り、私の肩にそっと手を置いた。
「主様にはすでにお伝えしてあります。……あのような無作法な客、門前払いにしてもよろしいのですが、あいにく彼女は『生贄の姉が怪物を呪い殺していないか確認しに来た、村の使者だ』と公的に主張しておりまして……」
「……セレナが、どうして……。私を捨てたはずの彼女が、今さら……」
「おそらくは、アリア様がまだ生きているという噂を聞きつけたのでしょう。……あるいは、あの方特有の『嫌がらせ』のネタが尽きたのかもしれませんね」
セバスチャンさんの言葉に、私は唇を噛んだ。 テオドール様との幸せな日々が、毒々しい影に侵食されていくような恐怖が私を襲う。
「……通せ、セバス」
廊下の奥から、冷徹な、けれど火山のような熱を孕んだ声が響いた。 テオドール様が、漆黒のマントを翻して現れた。その瞳は、これまでに見たことがないほど、鋭く、禍々しく紅く燃えている。
「テオドール様……!」
「アリア。貴様は俺の後ろにいろ。……一歩も、一言も、あの女に近づく必要はない。……貴様を傷つけた報いを、この城の主として、存分に味あわせてやる」
テオドール様は私の手を握ると、力強く、けれど壊れ物を扱うような優しさで引き寄せた。
応接間に通されたセレナは、豪華な調度品を品定めするように眺め、出された紅茶を一口飲んでは「ぬるいわね」と吐き捨てた。 そして、私たちが部屋に入った瞬間、彼女はわざとらしいほど大きな声を上げた。
「まあ! お姉様、生きていたのね! 驚いたわ。てっきり、もうとっくにあの化け物に食い殺されて、骨も残っていないと思っていたのに!」
セレナは立ち上がり、私の方へ歩み寄ろうとした。 しかし、その前に立ち塞がったのは、巨大な銀灰色の壁——ユンだった。
「シャァァ……ッ!」
ユンがこれまで聞いたこともないような低い威嚇の声を上げると、セレナは「ひっ!」と悲鳴を上げて後退りした。
「な、なによこの化け猫! 汚らわしいわね、どきなさいよ!」
「……汚らわしいのは、貴様の口だ。……娘」
テオドール様が、一歩前に出た。 彼が放つ圧倒的なプレッシャーに、部屋の温度が氷点下まで下がったかのように錯覚する。
「な、貴方が……吸血鬼の、テオドール……?」
セレナの顔が、恐怖と、そして醜い嫉妬で歪んだ。 彼女は、テオドール様が想像以上に美しく、気高い存在であることにショックを受けたようだった。
「お、驚いたわ。お姉様、こんな素敵な方に囲われていたの? ズルいわ。あんなに醜くて、お腹も弱くて、家族の恥さらしだったお姉様のくせに! ……テオドール様、騙されてはいけませんわ。この女は、村でも有名な不吉な子なんです。きっと貴方に呪いをかけて——」
「……黙れと言ったはずだ」
テオドール様の手が、僅かに動いた。 パリン! という音と共に、セレナが持っていたティーカップが粉々に砕け散った。
「……貴様がこれまで、このアリアにどのような言葉を投げかけてきたか……。セバスチャンからすべて報告を受けている。……そして、今この瞬間、俺の目の前で放ったその不快な言葉の一つひとつが……俺の逆鱗に触れていることに、まだ気づかんのか?」
テオドール様の魔力が、部屋中の空気を震わせる。
「アリアは、俺の宝だ。……俺の凍りついた魂を溶かした、唯一の光だ。……その彼女を『恥さらし』だと? 『不吉』だと? ……貴様のような、心の腐った女の口から、二度とその名を出すな」
「な、なによ……! 私はお姉様のためを思って……!」
「嘘をおっしゃい!」
私は、テオドール様の後ろから、一歩前に踏み出した。 足が震えていた。けれど、テオドール様が繋いでくれている手の熱が、私に勇気をくれた。
「セレナ。……私はもう、貴方の言葉で傷ついたりはしない。……貴方が私をどう思おうと勝手だけど、テオドール様を、私の大切な家族を侮辱することだけは、絶対に許さない!」
セレナは目を見開いた。
「……お、お姉様のくせに、生意気よ! ……いいわ、分かったわよ! だったらお母様にも伝えておくわ。『お姉様は化け物に毒されて、家族を捨てた裏切り者になった』ってね!」
「……家族、か」
テオドール様が、低く笑った。その笑いは、残酷な処刑を告げる鐘の音のように冷たかった。
「……セバスチャン。……この女を今すぐ城から叩き出せ。……二度と、この領地の土を踏ませるな。……もし再び現れたら、その時は……俺の牙が、その無礼な喉笛をどのように裂くか、見せつけてやろう」
「……喜んで。主様」
セバスチャンさんが、冷たい笑みを浮かべてセレナの腕を掴んだ。
「さあ、お嬢様。……『お出口』はこちらです。……ああ、ご安心を。貴方様が城まで乗ってきた馬車は、すでにユンが……少々『改造』してしまいましたので。……村までは、その自慢の足で歩いて帰られるのがよろしいかと」
「な、なんですって!? ちょっと、離しなさい! 離してよ!」
セレナの叫び声が遠ざかっていく。 彼女が去った後、部屋には再び静寂が訪れた。
私は、張り詰めていた糸が切れたように、その場にへたり込んでしまった。
「……アリア!」
テオドール様が、私を強く抱きしめた。
「……怖かったな。……済まない、あんな女を城に入れて。……もっと早く、俺が始末しておくべきだった」
「いいえ、……テオドール様。……私、大丈夫です。……貴方が、あんなに怒ってくれたから。……私のために、戦ってくれたから……」
私は、彼の胸に顔を埋めて、静かに涙を流した。 それは、過去の悲しみではなく、守られているという安心感からの涙だった。
「アリア。……あんな奴らの言葉は、ただのゴミだ。……貴様は、世界で一番美しく、気高く、そして……俺にとって、かけがえのない存在だ。……これからは、俺が貴様の『家族』だ。……誰にも、指一本触れさせん」
テオドール様は、私の髪に何度もキスを落とした。 その腕の力強さが、彼の独占欲の深さを物語っていた。
足元では、役目を終えたユンが、私の膝に顔を乗せて「クルル……」と優しく慰めてくれている。
その夜、アリアはノートに、これまでで一番大きな文字で記した。
『四月○日。 セレナが来た。 昔の私なら、きっとまた自分を責めていたと思う。 でも、今日は違った。 テオドール様が、私のために怒ってくれた。 「俺が貴様の家族だ」と言ってくれた。 もう、過去の影に怯えるのはおしまい。 私は、この城で、大好きな人たちと一緒に、新しく生まれ変わるんだ。』
窓の外では、春の月が、二人を祝福するように青白く輝いていた。 セレナとの決別は、アリアにとって、本当の意味での「自由」への第一歩となったのだ。
テオドール様は、アリアが眠りについた後、セバスチャンにこう命じた。
「……あの村に、少しばかり『教育』が必要なようだな。……アリアに知られぬよう、徹底的にやっておけ」
「……かしこまりました。主様。……『地獄の春』を、お届けしてまいります」
怪物の愛は、どこまでも深く、そして、残酷なまでに一途だった。




