第19話:地獄の後のティータイム、あるいは平和の味
あの嵐のような午後から数日が経ち、城には再び、静寂と穏やかな時間が戻ってきていた。 セレナが去った後、テオドール様は以前にも増して「過保護」になり、私が少しでも一人で廊下を歩こうものなら、どこからともなくユンが現れて通せんぼをし、背後からはテオドール様の「どこへ行く、危ないだろう」という低い声が響くようになった。
(……このお城の中なら、ちっとも危なくないのに)
私は、思わず口元を綻ばせた。愛されているという実感が、これほどまでに心を強く、そして柔らかくしてくれるなんて、村にいた頃の私には想像もできなかったことだ。
今日の午後は、テオドール様が「特別に」許可してくれた、中庭のテラスでのティータイム。 春の陽光が優しく降り注ぎ、氷の庭だった場所には、今では本物の小さな草花が風に揺れている。
「お待たせいたしました、アリア様。主様」
セバスチャンさんが、銀のトレイを恭しく運んできた。 トレイの上には、焼きたてのスコーンと、宝石のように輝く数種類のジャム、そして、ふんわりと湯気を立てる不思議な色のスープが並んでいる。
「……アリア。まずはこれを飲め。……今日は特に、胃の粘膜を保護する薬草を多めに配合した。……あの不愉快な女のせいで、貴様の繊細な腹がまた荒れては困るからな」
テオドール様は、自分の手でスープの器を持ち、私の口元へと差し出した。 最近の彼は、私に自分でスプーンを持たせることさえ惜しんでいるようだ。
「……あ、ありがとうございます。テオドール様」
私が素直に口を開けると、トロリとした黄金色のスープが舌の上を滑った。
「……っ、美味しい……! ……トウモロコシの甘みと、……これは、ナッツの香りかしら? ……凄く香ばしくて、お腹の奥がじわぁって温かくなります」
「……当然だ。貴様の胃を驚かせないよう、温度は三十六.五度に固定し、魔力で分子の並びさえも整えてある。……貴様の血肉となることを光栄に思うがいい、このスープめ」
テオドール様は、スープの器に対してすら嫉妬深い言葉を投げかけ、満足げに私の頬を撫でた。 その指先が触れるたび、私は熱いスープを飲んでいるときよりも、ずっと体が熱くなるのを感じる。
「主様。あまりスープを褒め称えすぎると、私の淹れたお茶が拗ねてしまいますよ」
セバスチャンさんが、絶妙なタイミングで琥珀色の紅茶を注いだ。
「こちらは、アリア様のために特別にブレンドした、お腹の張りを鎮めるカモミールとミントの特製茶です。……スコーンには、主様が昨夜、徹夜で煮詰められた『木苺の魔法ジャム』をたっぷりつけて召し上がってください」
「……セバス。余計なことを言うな。……ジャムなど、魔力の余剰分で適当に作っただけだ」
テオドール様はそっぽを向いたが、その耳の端が僅かに赤くなっているのを、私は見逃さなかった。
私は、まだ温かいスコーンを二つに割り、テオドール様が作ったという真っ赤なジャムを贅沢に乗せた。 口に入れると、木苺の爽やかな酸味と、暴力的なまでの濃密な甘みが弾けた。サクサクとしたスコーンの生地が、ジャムの水分を吸って、口の中で完璧なハーモニーを奏でる。
「……はぁ、幸せ……。……私、こんなに美味しいものを毎日食べていたら、そのうち飛べるようになっちゃいそうです」
「……飛ぶ必要はない。……貴様がどこかへ行こうとするなら、俺がその足に銀の鎖をつけてでも繋ぎ止めてやる。……冗談ではないぞ、アリア」
テオドール様は、私の腰に腕を回し、ぐいっと自分の隣へ引き寄せた。 彼の纏う、冬の終わりのような清冽で甘い香りが鼻先をくすぐる。
テラスという開放的な場所だというのに、彼は人目を憚らず、私の首筋に顔を埋めた。
「テ、テオドール様……! セバスチャンさんが見ていますっ……」
「……見ていろ。……俺の所有物に触れて、何が悪い。……アリア、貴様は最近、少しだけ肉がついて、さらに美味そうになったな。……今すぐここで、その白い肌に俺の印を刻みつけてやりたい衝動を、どれほど我慢していると思っている」
彼の低く、熱い声が耳たぶを震わせる。 その独占欲たっぷりの言葉に、私の心臓は早鐘を打ち、お腹の痛みなどどこかへ吹き飛んでしまった。
「クルルゥ……」
足元では、自分だけおやつ(猫用高級鰹節)をもらえていないユンが、不満げにテオドール様のズボンの裾を引っ張っている。
「……煩いぞ、ユン。今は大事な時間だ。……向こうへ行け」
「ニャーン!(僕も混ぜて!)」
テオドール様とユンが、いつものように子供じみた言い合いを始め、セバスチャンさんはそれを見て「やれやれ」と肩をすくめている。 その光景が、あまりにも愛おしくて、私は堪えきれずに笑い声を上げた。
「……ふふ、あははは! ……本当に、テオドール様もユンも、仲良しさんなんですから」
私の笑い声を聞いて、テオドール様は動きを止めた。 彼は、私の笑顔を、まるで世界で一番貴重な宝物を見つめるような目で見つめ直した。
「……アリア。……貴様が笑うなら、この平和を、俺は永遠に守り抜こう。……神が貴様を否定しても、世界が貴様を忘れ去っても、この俺だけは、貴様の隣でスープを煮込み続けよう」
彼は、私の指先を一本一本、丁寧に舐めるようにキスを落とした。
「……貴様は、俺の春だ。……俺の、たった一人の、愛しい花嫁だ」
春の風が、テーブルの上の白いクロスを優しく揺らす。 スコーンの甘い香りと、ハーブティーの爽やかな蒸気。 そして、大好きな人の、痛いくらいに一途な愛。
数ヶ月前、村の冷たい雪の中で死を待っていた私に、教えてあげたい。
「大丈夫だよ。貴方が信じたその怪物は、世界で一番優しくて、貴方のことを、命がけで愛してくれる人だよ」って。
ティータイムが終わる頃、テオドール様は私の膝の上に頭を乗せて、気持ちよさそうに目を閉じた。 私は、彼の美しい銀髪を指で梳きながら、この幸せな時間が、一分一秒でも長く続くようにと、心の中で祈りを捧げた。
その日のノート。
『四月○日。 中庭でティータイム。 テオドール様の作った苺ジャムは、彼の愛と同じくらい濃厚だった。 「貴様は俺の春だ」と言われて、お腹よりも胸がいっぱいになった。 明日も、明後日も、ずっとずっと。 この穏やかな味が、私たちの日常でありますように。』
セバスチャンさんは、空になった器を片付けながら、主たちの幸せそうな姿を見て、そっと自分だけの「人形の夢」の続きを、胸の内に描いていた。




