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吸血鬼の花嫁 ——怪物の城に春は来ない——  作者: 胡蝶
第三章:崩壊と永遠の愛
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【断章】主の献立記録、あるいは神に背くための毒消し

(※テオドールの書斎の奥、鍵のかかった黒檀の引き出し。そこには、魔導書とは明らかに異なる、生活感の滲んだ一冊の手帳がある。表紙は使い込まれた黒革。中を開けば、そこには吸血鬼(怪物)が書いたとは思えないほど細かく、執拗なまでの「スープのレシピ」が記されていた)



二月十日 深く澱んだ曇り


生贄としてこの城に投げ込まれた女——アリアが来てから、三日が過ぎた。


村の連中がこの「聖女」という名の生贄に何を食わせていたのか、想像するだけで反吐が出る。彼女の胃は、普通の人間が慈しむべき柔らかなパンの一片、温かなミルクの一滴すら、異物として拒絶するほどに荒れ果てている。


今日、セバスチャンが用意した、最高級の牛骨からとった澄んだコンソメを一口与えたが、彼女はそれを飲み込むことさえ叶わず、細い喉を震わせて吐き戻した。


床にこぼれたスープの跡よりも、震える肩を抱き、涙を溜めて「ごめんなさい、せっかく作ってくださったのに」と俺に謝るその姿が、言いようのない不快感を俺の胸に刻む。


なぜ貴様が謝る。悪いのは、貴様を「神の器」などと祭り上げ、その実、内側から肉を腐らせる毒を盛り続けた、あの卑しい人間どもだ。


明日からは、俺が厨房に立つ。


セバスチャンには、彼女の寝床の魔法陣の維持と、部屋の温度を常に一定に保つよう命じた。


五百年もの間、人間の生き血を吸い、闇を統べてきたこの俺が、人間の女を生かすために厨房に立ち、野菜の皮を剥く。


……滑稽だ。鏡を見るまでもなく、今の俺の姿は、滑棄極まりないピエロそのものだろう。



二月十五日 静かな雨


試行錯誤の末、ようやく彼女が吐き出さずに、その細い胃の腑に収められるスープの配合を見つけた。


主材料はカブ。それも、表面の硬い皮はすべて削ぎ落とし、中心の、最も水分を湛えた柔らかな芯の部分だけを抽出する。


包丁は使わない。金属の匂いがスープに移るのを避けるため、俺の指先に纏わせた魔力の刃で、細胞を一つ一つ切り分けるようにして微塵にする。


そこに、森の北側の断崖にしか咲かぬ『銀月草』を煮出した雫を加える。


毒には毒を。だが、彼女の壊れた胃壁をこれ以上焼かぬよう、俺の血を一滴だけ、熱した鍋に落とした。


吸血鬼の血は、人間にとっては劇薬だが、同時に強力な再生の触媒でもある。


魔力を込めて煮込む。立ち上る湯気の中に、俺の命の一部が溶け込んでいく。

夕刻、彼女はそのスープを三口、しっかりと飲み込んだ。


「……あったかい。テオドール様、これ、すごく優しい味がします」


彼女が少しだけ頬に赤みを差して、弱々しくも微笑んだ瞬間、俺の中の『怪物』が、飢えとは全く違う質の疼きを見せた。

食いたいのではない。このまま、彼女が俺の目の前で、人間としての体温を取り戻していく過程を、永遠に眺めていたい。

それがどれほど神への冒涜か、俺は知りながら、今日もまた野菜を刻む。



三月三日 雲一つない晴天


アリアの体調が再び、坂道を転げ落ちるように悪化した。


村の連中が植え付けた毒は、もはや肉体だけでなく、彼女の魂の輪郭すら溶かそうとしている。


今日から、スープの処方を変える。


塩分は極限まで削り、代わりに鶏の胸肉を、形が失われ、ただの白い繊維の塊になるまで六時間かけて煮込んだ。


その上澄み、濁りの一切ない純粋な滋養だけを、一滴ずつ彼女の唇に運ぶ。


深夜、彼女が浅い眠りについている間、俺はその枕元に座り、彼女の寝顔を見つめていた。


彼女は「人間として死にたい」と言った。

俺の血を与えれば、彼女を吸血鬼に変えれば、この苦しみからは今すぐに解放されるというのに。


だが、俺は、彼女が願う「人間としての誇り」を奪うことができない。


彼女を元気に治すための浄化の術——『黎明の福音』を完成させるには、俺の寿命ときをさらに数百、数千年分、魔力に変換して捧げる必要があるだろう。


……安いものだ。


この城に満ちる沈黙よりも、彼女が発する微かな寝息の方が、今の俺には価値がある。


明日も、彼女がスープを「美味しい」と言ってくれるなら。


俺は、自分の魂を灰に変えてでも、そのひとくちを用意しよう。

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