第13話:人形の見た夢
城の深奥、テオドール様の寝室から少し離れた場所に、セバスチャンさんの私室はある。 看病のお礼を伝えようとそこを訪れた私は、開かれた扉の隙間から、信じられない光景を目にした。
「……セバスチャン、さん……?」
部屋の中、彼は椅子に腰掛け、虚空を見つめて静止していた。 ただ座っているのではない。呼吸の気配も、瞬きさえもない。その指先には、細い「銀の糸」が絡みつき、天井から吊り下げられているかのように不自然な角度で固定されていた。 それはまるで、持ち主が手を離した瞬間の「人形」そのものだった。
「……おや。アリア様。……そんなに驚いた顔をなさらないでください」
不意に、彼の瞳に光が戻った。 糸がさらさらと音を立てて解け、彼はいつもの優雅な動作で立ち上がると、深々と一礼した。
「セバスチャンさん、今のは一体……。糸が、体から……」
「驚かせて申し訳ありません。……私は、元より人間ではないのです。……いいえ、『人間であったことさえない』と言った方が正しいでしょうか」
彼は私を部屋の中へと招き入れた。そこには、膨大な数の古書と、精密な時計の部品、そして——かつてのテオドール様が描かれた、色褪せた素描画が飾られていた。
「私は、主様の魔力によって動く『魔導人形』。……数百年前、まだ人間だった頃の主様が、孤独を紛らわすために、そして、亡くした家族の面影を継ぎ接ぎして作り上げた……悲しいガラクタなのです」
セバスチャンさんは、自分の手袋をゆっくりと外した。 そこに現れたのは、血の通った肌ではなく、精巧な磁器のような光沢と、微かな繋ぎ目を持つ、美しくも無機質な「手」だった。
「主様が吸血鬼となられた時、私はその強大な魔力を分け与えられ、意思を持つようになりました。……以来、私は主様の影として、この城に春が来ないことを嘆くあの方を、ずっと見守り続けてきたのです」
私は絶句した。 いつも完璧に家事をこなし、時に皮肉を言い、時に優しく私を導いてくれた彼が、心を持たないはずの人形だったなんて。
「……人形に、夢は見られるのでしょうか?」
セバスチャンさんは、窓の外の雪を眺めながら、独り言のように呟いた。
「主様が深い眠りについている間、私の意識もまた、魔力の供給が細まり、深い混濁の中に沈みます。……その時、私はいつも同じ夢を見るのです。……雪が解け、この城の庭に色とりどりの花が咲き乱れ、主様が、心から……本当に心から笑っている。……その隣には、主様と同じ時を刻む、美しい誰かが寄り添っている……」
彼は私に向き直り、その磁器の瞳で私を真っ直ぐに見つめた。
「アリア様。……私は、人形ゆえに主様を抱きしめることはできません。主様の孤独を、本当の意味で分かち合うこともできません。……ですが、貴方は違う。……貴方は、主様の冷たい指先を『温かい』と言ってくださった。……主様が、自分の不器用な愛に戸惑う姿を引き出してくださった」
セバスチャンさんは、私の前に膝をついた。それは従者としての儀礼ではなく、一人の「意思を持つ存在」としての切実な請願に見えた。
「お願いです、アリア様。……どうか、主様を、テオドール様を……これ以上独りにしないでください。……貴方のその短い命が尽きるその日まで、あの方の心に、消えない火を灯し続けてあげてください」
「……セバスチャンさん……」
私は彼の、血の通わないはずの手に、自分の手を重ねた。
「……人形の見る夢が、そんなに温かいものなら。……それはもう、心があるのと変わりません。……約束します。私は、テオドール様を独りにしません。……そして、貴方のことも。……貴方は、私の大切なお友達なんですから」
セバスチャンさんの瞳が、微かに揺れた。 人形に涙は流れない。けれど、彼の胸の奥にある魔力の核が、一瞬だけ、カチリと幸せな音を立てて弾けたような気がした。
「……『お友達』、ですか。……ふふ、これはまた、主様が嫉妬なさるような言葉を。……私のシステムに、そんな予定外のデータは入っておりませんよ」
彼はいつものように眼鏡を押し上げ、柔らかな微笑みを浮かべた。
「……さあ、アリア様。湿っぽい話はここまで。主様がお目覚めになる前に、最高級の茶葉で紅茶を淹れましょう。……主様は、貴方が私の部屋に長居しているのを知れば、また不機嫌なスープを煮込み始めるでしょうから」
私は笑いながら、彼の部屋を後にした。 城の廊下を歩きながら、私は確信していた。 この城にいるのは、冷酷な怪物と哀れな犠牲者ではない。 不器用な愛を抱えた吸血鬼と、彼を支え続ける忠実な人形。
そして、彼らに「明日」という光を与えた、一人の少女。
その夜、私はノートの新しいページに、セバスチャンさんの似顔絵を描いた。 いつか、彼が見た夢のような景色を、本当に見せてあげたい。 氷が解け、花が咲き、みんなで笑い合える、その日まで。
足元では、すべてを知っているかのように、ユンが私のノートを覗き込んで「クルル」と小さく鳴いた。




