俺の春眠が暁を覚えていない〜目を覚ましたら鳥の鳴き声が聞こえてきたんだが?〜
「…えっ!えっ?攻撃担当が行動不能とかまじ?勘弁してよぉ」
スマホを握りしめたアラサー女性がベッドの上を転がり回っている。誰に伝える必要もない彼女の嘆きが、大きな独り言によって一人暮らしの室内に響き渡る。手にしたスマホを文字通り放り投げてタブレットでブラウザを開いた彼女は、大急ぎで検索欄に自らの窮状を訴えかけた。
「ええっと、あった!聖女の特別魔法で味方1人の状態異常を一発で回復可能…やった!流石プレイヤーキャラですなぁっ…て、え?でもコレやると聖女のマジックポイント空になんの?残りのポイントに関係なく?ハァ〜?」
タブレットも投げ出して放心する女性の耳朶を、スマホから漏れる戦闘BGMが鼓舞するように打ち続ける。その転拍子に合わせるように、彼女はガバリと身を起こした。
「はぁ、仕方ないにゃん!ランベール先生、バフよろ!エドガーまじ頼むぞ!お前にすべて任せた!」
意を決したようにスルスルと指を動かし、「ヒール、オナシャスッ!」と叫んだ川崎和歩のスマホ画面では、聖女の魔法を受けたエドガーがキラキラと輝いていた。
「戦闘パーティの編成を…見直したほうが、いいんじゃないのかしら…」
夢の中に現れたアラサー女性の見慣れた狂態に、つい感想を漏らしたアデライドは自分のつぶやく声で目を覚ました。
窓の外をぼんやり眺めた後、壁に架けられたカレンダーを見つめた彼女は、しばらくして夢の中の女性と遜色のないドデカい独り言を口から発射することになった。
「五月…5月…ゴガツ……ハァッ!?」
春の日差しが降り注ぐヴォルテール公爵家の庭で、木々の緑と同じように少年の携えた花束も瑞々しく目に映った。
「これ!お前好きなやつだからってぇ、オフクロが持ってけばいいじゃんって言ってきたんだけどさぁ!つか、そんときもう切ってきててぇ、まじ気がはえーってなってぇ!まぁ、だから、やるし…」
「まぁ、ありがとうございますエドガー様!とても綺麗ですわ」
淡い紫色をした薔薇の花束が勢いよく突き出され、少女の顔面スレスレでぴたりと止められた。既にエドガーの太刀筋を見切っていたアデライドは、それを難なく笑顔で受け取める。
庭に設けられた席へと通された客人は、最近では定番になったエドガーとミシェルのコンビであった。お見舞いにとミシェルが持ってきた菓子がテーブルに並べられる。
「アデライド、体調が悪いって聞いてたけど大丈夫なの?」
「マァ…お気遣いいただきありがとうございます。ここ数日の記憶はまったくありませんが、すこぶる元気ですのよ」
「えっ」
なんかすごい事をサラッと言ったなと目を見開いたミシェルの前で、アデライドの前に出された茶菓子がヒュオッと消えた。驚きの連続にミシェルはさらに瞠目する。
公爵令嬢であるアデライドは、貴族としての所作を叩き込まれている。彼女は食事のマナーを破ることはそうそうなかったし、今日もがっついて見せている訳ではない。ただ、彼女は"速すぎた"。
小さなフィナンシェは、ここに存在したのだという余韻すら残すことを許されずに、アデライドの口の中へと消えていった。隣にいるエドガーの「ぱねー」と呟いた声が、彼女のお作法の脅威をより強くミシェルに実感させた。
「こちら薔薇のフレーバーが口の中に広がって、とっても美味しいデスワァ」
恍惚とした表情でアデライドが頬を抑える。それを呆然と見つめながら、あの速さでちゃんと味わっているのかと動揺の上塗りをするミシェルを、素早く順応したエドガーは置き去りにする。
「つかさぁ、まじでなんにも覚えてねえの?やばくねぇ?」
「はい、そうなんですの。ずっと寝ていたようですわ」
「まじで?何日も寝るとかえっぐ!でも寝てたんならさぁ、ほぼほぼぉ〜キオクとか無いってなっててもぉ、それもまぁフツーってやつ?」
「ほぼほーぼ、ほーんのり夢を覚えているくらいデスワァ」
「ガチ寝じゃん!あちぃ!…っや、てかさぁ、家出るときにアネキがぁ、お前になんか用があるっつっててぇ」
友人二人の間では、この体調不良の件は一過性の激アツエピソードとしてあっという間に消化されてしまった。一連のスピードに追いつけないミシェルは、何か大きな病気が隠れているのではという不安を捨てきれないでいた。そんな彼の前で、またアデライドの皿からヒュパッとお菓子が消えた。
少し痩せたように見えたアデライドだが、顔色は良く食欲も見切れないほどのスピードで満たしている。ミシェルは二人の、テンポがいいだけで内容に乏しい会話を聴きながら、これだけ元気なら大丈夫かなと、自分を納得させていた。
「全然、大丈夫じゃないな」
大学の研究室では、アデライドの診察データを囲んで男たちが顰めっ面を突き合わせていた。
「ジャンの話では、アデライドお嬢様の寝室に侵入したフィリップが魔法を掛けたらしいが…」
ランベールがトゲトゲしいアクセントで少年の名前を口にする。そこに濃縮還元された私怨を研究室の人々は気まずくスルーして、話題をデータのことに集中させた。
「アディちゃんの左胸にあった、あの魔力の波長はフィルのものだったんだね」
「フィル本人はさぁ、観測出来ないくらい魔力が少なかったはずなのになぁ」
「今はデータでこんなにハッキリと捉えられるようになってる。何でだろう?」
チャート用紙には、魔力の強さが大きな山となって書き出されている。その不可思議さに彼らは首を傾げた。
「奴がアデライドお嬢様の不調の原因ならば、即刻捕まえて吐かせたほうがいいだろう」
「エエー!絶対違うよー!あの魔力がアディを守ってるんでしょぉー?!だからいまアディは調子いいんじゃないのー?!何でわかんないのカナー!?いってることおかしくなぁい!?」
ランベールの私怨からくる嫌疑を、真正面からミモザが反証してみせる。遠慮会釈のない暴力的な正論に、ますます気まずくなっていた傍聴人の一人は、ふと何かを思いついたように本棚を漁り始めた。
「ええっと…確かこの辺…あった!」
積み重なった本の底のその裏側から、冊子を取り出した彼は皆の前にそれを置いた。
「巻頭特集、王都に潜む秘密結社に大接近…今イチオシの謎めき人物に首っ丈…?…悪霊使いで差をつけて、注目のトレンド入り黒魔術ランキング…」
「…なんだそれは」
表紙に書かれた出鱈目に怪しげな見出しをモーリスが読み上げる。それに「違う違う!ほらこっちのほう!」と、持ち主が慌てて他の記事を指差した。
「巻末特集。終末に現れる救世の聖女。その魔法を徹底解説。付録はご利益キチンと盛りお札…」
「なんだそれは…」
結局同じ反応を見せるランベールに言い訳を盛り込みながら、持ち込み主が説明をする。
「いやさぁ、以前学会で会った教授がこういう雑誌読むの好きな人で。ちょっと仲良くなったときに一冊貰ったんだよ。そんでここね。なんか今の状況と似てるなって思ってさ」
指さされた“脅威!聖女の回復魔法”と書かれた欄に皆の目が集中する。
「究極の回復魔法!対象の人物の体内に聖女が自分の魔力をすべて注ぎ込む!聖なる魔力は病魔をキャッチ&デリートするまで、体内で永遠と戦闘モードを決め込むぞ!」
「なんだそれは。"永遠と"だと?言葉の使い方がおかしいし、そんな魔法は聞いた事がない」
苛立ちを隠さないランベールを気にする様子もなく、横から顔を出したミモザまでもが繁々と冊子を読んでいる。
「確かに回復魔法の原理はまだ未解明な部分が多いけど、これはどうなんだろう?」
「聖女が世界の救世主であるならば、たった一人の回復のために全魔力を失うなど、非効率が過ぎるだろう」
前例のない治療法、コストに見合わない成果、ツッコミどころをモーリスとランベールが持ち寄る中、室内の意見は真っ二つに割れる。
「まぁ、聖女云々は置いといて、フィルの魔力波とみられる強い波長は、72時間を超えてもアディちゃんの中に居残り続けてる。この分野の研究はまだ進んでいないからこそ、俺たちで調べる価値があるんじゃないか?」
「アディちゃんを衰弱させていた何らかの病巣を、フィルの魔力が抑えている…って仮説かぁ。可能性はゼロじゃないな」
流石のランベールも口を噤んだとき、ディスカッションに不参加を決め込んでいた人物が大きな声を出した。
「エエー!付録の聖女ご利益お札、健康運のだけ無くなってるしー!!」
「…ホントだ。あの教授が切り取ったのかな?あ、学業のは残ってる。この辺に貼っておく?」
ノンデリの介入で話し合いの方向性は明後日の方を向いた。研究室の壁のどこにお札を貼るのが効果的かという、生産性のない話題が幅を利かせて、しばらく当の議論は先延ばしになってしまった。
「エッぶりっしんっ!」
「うわっ、なんですか大きな声を出して…」
不自然なオノマトペで飛沫をぶちかました主人の、唾液の飛び散る範囲から逃れるようにクリストハルトがジリっと後退りする。列車の座席の狭い空間で、できる限りの距離を取ろうと侍従は足掻いていた。
「俺を全肯定する噂が聞こえた…気がする。世界が俺の素晴らしさに気付いちゃった可能性が出てきたゾォ!」
「…いくら貴方がお馬鹿さんであったとしても、言うこと全てがお馬鹿なのを許容してくれる法はありませんよ」
なにかの法規に則って否定されたフィリップは、なぜか「へへっ」と照れたように笑って益々侍従から距離を置かれた。
「そんなことより、サボった分だけ仕事は山積しておりますよ。貴方のその出鱈目な行動が見逃されているのは、与えられた責務を果たしているからこそです。…おわかりですよね?」
「もっちろん、おわかりですよぉ〜」
ヘラヘラと手を振るフィリップに、侍従は厳しい現実を投げつけるように言い放つ。
「帰国したら、即刻あの方の後始末をしていただきますよ」
「エッ…」
「今度も盛大にやらしてますからね。ご覚悟を」
「エッ、エッ…」
小刻みに「エッ」しか言わなくなったフィリップを放置して、クリストハルトは車窓から外を眺める。長閑な平原を見渡しながら、彼はこの静かな時間が長く続くことを、騒がしさを取り戻す前の主人のすぐ側で願うのだった。




