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彼と彼女のエントロピー

五月も終わる頃、研究室から帰宅するため、ヴォルテール家の馬車にランベールは同乗していた。


「先日はお忙しい中、わたくしの誕生会にお越しくださり、誠にありがとうございました」

「いいえ、此方こそ貴重な機会をいただき、大変感謝しております」


すでに今日だけでも幾度か繰り返されているアデライドの言葉に、ランベールもまた数回目の礼を言う。このランベールの言葉に嘘偽りはないが、アデライドのする感謝とは温度の違いがあることは自覚していた。


今回のアデライドの誕生会は数多の業界の、様々な階級の人々が集まっていた。彼らは皆、確固とした業績を誇る人物であった。

そんな人々と“顔つなぎ”の機会を貰えることなどそうそうあるものでは無い。会の間中、研究について多くの人へ説明することになり、ややげっそりとした他の研究室メンバーとは違い、伯爵として社交の場には幾許か慣れていたランベールは終始ホクホク顔であった。


今日はプルストもパメラも付いておらず、護衛騎士は馬上の人となっていた。二人きりの車内で会話が途切れても、しかし双方ともに気を使うこともなく、車窓からの景色と同じように時間は穏やかに流れている。


「あの、ランベール先生。もしお時間に余裕がありましたら…で、よろしいのですが…。少し寄り道をしてもいいでしょうか?」


「珍しい」と、ランベールは思った。この少女が彼を相手にこの類のワガママを言うことは、滅多にないことだった。


「構いませんよ。特に急ぎの用もありませんから」


そう答えただけで、アデライドは嬉しそうに笑ってみせた。そして彼女が御者に告げた行先を、ランベールは特段の引っ掛かりもなく聞いていた。




程なく馬車が停められたのは、王都中央にある公園の前であった。


「お手をどうぞ、アデライドお嬢様」

「まぁ、ありがとうございます」


アデライドの滅多にないワガママに、ランベールの方も興が乗ったのか、常にない気障な所作で応えた。昼日中の公園を、長身の美丈夫に手を引かれて歩く少女は人々の目を引いたが、本人はキョロキョロと辺りを見回すのに夢中で気が付いていなかった。


「もう、お花はあまり咲いてはおりませんのね」


少し気落ちしたように呟く少女の視線に合わせて辺りを見やると、甘い匂いを四方に撒き散らしていた紫色の花は旬を終え、既に庭師たちの手でその多くが剪定されていた。


「ライラックがお好きなのですね」

「あ、はい、いえ…そうですわね」


ランベールの言葉に、どちらともつかない答え方をして少し考え込んだ後、アデライドは視線を彼に向けた。


「なにか…誰かと、約束したような…そんな気がしましたの。いっしょにお花を見ましょうって」


「夢でも見たのかしら」と、アデライドが笑った。少し悲しげに見えるその瞳の中に、ついこの間までいたもう一人のアデライドの姿をランベールは見た気がした。そしてその段になってようやく、そちらの彼女とした約束を彼は思い出した。


「帰りましょうか」と言い掛けたアデライドの声を、風に乗ってきた少年たちの歓声が掻き消した。彼らは池に浮かべたヨットの模型を、棒でつついて走らせることに夢中になっている。

思わずそちらに目を奪われたアデライドの黒い瞳が瞬いている。それは"楽しそうだ"とか、"やってみたい"だとか、たぶんそんなことを考えていそうな子供の目をしていた。


この子供も出会ったときと比べれば随分と大きくなっていた。もう5年の付き合いになる少女が、ランベールの人生にもたらした恩恵は数限りない。だから身勝手な彼はこの手を放せない。いつになるかもわからない、魔術師としての夢を叶えるその日のために、どうしたって彼女は必要なのだから。


案内のために引いていた手は、指先だけがまだ触れていた。アデライドのムクムクとした丸い指の感触は、思った以上に温かく、柔らかく、モチモチしていてこそばゆい。

丸い指から伝わる温もりは、ランベールの冷たい打算に満ちた心を侵食していく。広がった熱は彼の精神を乱雑にかき混ぜて、計算でしかなかった関係に不可逆的な変化を起こそうとしていた。


「アデライドお嬢様…もしよろしければ、私のワガママも聞いていただけませんか?」


そう言った彼を仰ぎ見るアデライドの瞳は、春の日差しと、好奇心と、ちょっとした期待と、そんな諸々によって輝いていた。









「俺はいま仕事中なんだが?」

「それは別に知っているが?」


あれからランベールとアデライドは、揃ってベルナールの職場に突撃した。仏頂面でランベールを迎えたベルナールだが、「長女はいいんだぞ。パパのお仕事が見たかったんだよな」と、アデライドにはフォローの姿勢を示した。

そういう気遣いに対し「他人ですわ」と、にべも無く返されるという流れは、通常通りにきちんと行われた。

ベルナールは誠意の人であった。どこかの誰かに比べれば遥かに。


「アデライドお嬢様と相談して、お前の協力を仰ごうということになったんだ。つい先程にな」

「何のだよ。俺はお前みたいなマホーツカイじゃねえんだからわからねえよ」

「魔法使いではないお前だからこそ、頼みたいことがある」

「はあ?」


気が置けないといえば聞こえはいいが、粗雑なやり取りをする二人を前にアデライドはすっかり蚊帳の外だ。


「アデライドお嬢様の体内には病巣が…病変部がある。今の段階ではその性質もわからず、切除の方法もない。だが放置するのは危険だ」

「ああ…」


チラリとベルナールがアデライドの方に目を向ける。彼女は今、茶菓子を持って来たペリーヌの手伝いに行って此方を見ていない。それでも念を入れてベルナールは声を落とす。


「俺だって役に立てるなら何だってしてやりたい…だがな、魔力とかそういうやつは、俺の専門外なんだよ。悪いが役には立てない」


娘を守りたいという心情とは裏腹に、出来ないことはできないと、そう言い切る誠実さを彼は持っていた。


「…最近、お前は言っていただろう?患者の様子が変わってきていると」


ノチフ病は通常ならば、体内に菌を保有していても健康状態が良好ならば発病することは少ない。別の疾患や栄養不足などが引き金となって発症する。だが近頃では、頑強で生活環境も良好な貴族の成人男性が発症し、急速に病状を悪化させる例が見られた。


「アデライドお嬢様の誕生日会で話した中に、そういう身内を持つ人物がいた。それで早速、私達の方法で診察をしたのだが…アデライドお嬢様と同じ症状が見られた。健康なヒトにはない、魔力の“ムラ”が出来ている」

「症例が少なすぎるが…まぁ、それは置いといてもだな、そこで俺に出来ることは…」


「ない」と言い続けることに抵抗を感じ始めたベルナールの沈んだ声に、深刻さをかけらも理解していない患者のハイテンションボイスが、我が物顔の大音量でもって被さって来た。


「ねぇ、ペリーヌ!わたくし、今日はヨットレーサーになりましたのよ!」

「あー!公園の、あの屋台で貸し出してる模型ヨット!あれ借りたんですねぇ。楽しかったですか?」

「ええとっても!」


アデライドは余程それが気に入ったのか、なにか恍惚とした顔をしている。その無邪気な様子にじくじくとした胸の痛みを覚えたベルナールだったが、気を取り直してランベールとまた向き合う。


「俺には魔法に関する知識がない。だから協力は出来な…」

「わたくしとポールで、地元のチームと対戦しましたの!初心者とは思えないって褒めていただきましたわ!」

「へぇー!すごいですねぇ」


またもドデカボイスに会話の進行を足止めされたベルナールは、少しの間を開けてアデライドに呼びかけた。


「長女…アデライド、パパちょっと真剣なお話の途中だから。もうちょっと声を抑えてくれねえかなぁ」

「マァ、大変失礼いたしました」


素直な返事に気を取り直したベルナールだったが、口を開きかけた段階で今度はもう二体の無邪気によって妨害された。


「自分のヨットにお嬢様のがぶつかってきたときは、正直もうダメかと思いました!」

「君ぃ!お嬢様がちょっと夢中になりすぎたせいでやらかした危険走行には目をつぶろうって言ったよねぇ!」

「スピンから一回転してレースにそのまま復帰って展開はアツかったですけど、正直普通にまっすぐ走って欲しかったです!」

「だから君ぃ、正直すぎるよねぇ!確かにお嬢様の画期的なライン取りのせいで、レースの難易度が爆上がりしたけどもぉ!」


護衛のジャンとポールは、自分たちには警告されなかったのをいいことに伸び伸びと会話の邪魔をする。


「だから黙れって言ってんだよお前らはよ!」

「そうですわ!レースで起こったことはコース内で終わらせるべきです!」

「そうじゃねぇんだよ!」


ついに愛する娘相手にもバチギレが止められなくなったベルナールの肩をランベールが持つ。


「アデライドお嬢様、ベルナールは今、新たな挑戦の一歩を踏み出そうとしているため非常にナーバスになっています。どうか受け入れてあげてください」

「お前はお前で何なんだよ!」


訳知り顔で追い込みをかけてくる魔法使いにも、誠意ある医師は平等にキレた。かくして四面楚歌を成立させた彼に、アデライドは微笑みを向ける。


「ベルナールさん。貴方は今まで多くの人を救って来ましたわ。だからこそ貴方は新しい挑戦することの難しさと厳しさを…よくご存知だと思うのです」


息を呑んで聞き入るベルナールを前に、アデライドは「でも」と続ける。


「貴方は一人ではありません。今の貴方には、貴方を信頼する、貴方も信頼出来る、そんな仲間との絆がありますわ」

「アデライド…お前…」

「わたくしと、わたくしの愛機(パートナー)ヨット一号ローリング・スターのように!」

「だから、何の話をしてんだよお前も!」


「ヨットの話ですわ」と当然のような顔をして、アデライドは本日が初対面であった模型ヨットに寄せる全幅の信頼を見せつけてくる。「本当に楽しかったんですねぇ」とニコニコしている妻にも気を削がれて、とうとうベルナールががっくりと黙り込んだ。そこにすかさず魔の手が忍び寄る。


「ベルナール。アデライドお嬢様の病変部位だが、魔力が身体に悪影響を及ぼしている可能性がある」

「おう…」

「アデライドお嬢様の症状は、現代の魔術では治療法が確立していない。これには私たち魔術師だけでは太刀打ち出来ない。異なる分野の専門家の知識が必要だ。だから…協力してほしい。私とアデライドお嬢様にはお前の力が必要だ」


ランベールは彼の持つ最大の誠意でもって、友人でもある男の弱みにつけ込もうとする。


「以前にも言ったが、魔術師(わたしたち)化学者(おまえたち)は相性がいい。私とお前が共犯者(パートナー)になれば、出来ないことはない。…違うか?」


出会ってから5年分の、全幅の信頼を込めてランベールが笑う。「なんだよ。最初とキャラ変わってるじゃねえか」と、心の中でつぶやいてベルナールが顔を上げる。

「わかったよ。やってやる。絶対に治すぞ」と答えれば、生意気な年下の男は「ああ」というそっけないほどに短い返事をよこす。それは彼らの関係に馴染んだやり取りだった。


「そうですわ!正解のラインがあるのではなく、愛機(パートナー)と走った先が、勝利への軌道となるのですわ!」

「うん、長女。今してるのはその話じゃあないんだよ。多分な」

「マァ、そうでしたのね」


全員分の茶を淹れ直す手伝いをしていたアデライドは、うっかり重要なところを聞き逃していたらしい。だがそれでいいとベルナールは思う。まだ子供なのだから無邪気に笑っていてほしいと。


「ところで話は変わるが、お義父さん」

「お前も変えるのかよ。つかなんだその呼び方は」


娘が手づから淹れてくれた茶を飲もうとしていたベルナールは、ランベールの言葉に驚いてそれをすべて吐き出してしまうことになった。



「娘さんを私にください」







次回予告


ランベールの唐突な「娘さんをください」発言!ベルナールは驚いて「娘さんって…ルイーズじゃなくてアデライドだよな!つかアデライドでもダメだろ!常識的に考えて!」って詰め寄るんだけど、ランベールってロリコンなのかな?それともお金目当て?

ちょうどその頃、模型ヨットレースを潰して模型ボートレースにしようとする悪の組織が現れて、街中の模型ヨットを破壊し始めた!俺の愛機(マシン)も狙われて大ピンチだ!お願いだ耐えてくれ!俺の愛機(マシン)はお前だけだ!


次回「友情パワーで甦れ!誕生、魂のニューマシン!」ゼッタイに見てくれよな!ヨット&ボート!

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大変なことになっている…!? ベルさんと一緒にお茶吹きましたよちょっとちょっとちょっと!? すみません錯乱しています。 はしゃいでるアディちゃんかわいーとか護衛S元気とかアラン一家ほのぼのとか 今回…
駄目だコレ、爆笑マーク10個くらい押せないかな?本文の内容を忘れてしまいますよ、次回予告でー!
今日も泣けますね それはそれとして、不可逆な変化って、ああ、そっちの……(哀れ
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