4.魔王様、過去を語る
トントントンと規則正しいリズムを刻む包丁の音。僅かに開いた戸の隙間から漂う食欲を誘う匂い。
陽はかなり傾き、薄っすらとした月も見え始めて。
それらはよくある夕刻の情景であるが、縁側に座る者達の空気は何やら重苦しく、微妙なものであった。
桃子と遠藤がそうなるのも当然の事。二人がこうして話すのは約二週間ぶりであるからだ。
「…………すまなかった」
「……」
長い沈黙の後に発せられたのは謝罪の言葉である。
いつもは尊大な態度で、空気を読まずに振る舞う遠藤。
彼は彼らしくもなく真剣な表情で、深く頭を下げて謝罪している。
受け取る側の桃子はというと無言のままであって、まだ許す気は無さそうだ。
そうなる事は予測していたのか。
遠藤は桃子の態度に腹を立てる訳でもなく、落胆する事も無く、ただ淡々と己が何者であるのかを語り出した。
「我の名はグエンドヴェルク・ディアブロイア7世。……それは偽りではない。魔王というのも真実だ」
遠藤もといグエンドヴェルクは、かつて魔王として君臨していた時の事からこの世界に降り立った事までを順に語った。
異世界シュトラルヴェルトを幾度となく混迷の世にした魔王という存在。
魔王は世襲制ではなく、魔族の中で最も武力や知性に優れた者が選ばれる訳でもなく、魔族なら誰もが持つ因子が目覚め、突如として強大な力を得て魔王となるのであった。
覚醒は先代の魔王が討たれてから数百年という長い年月を経て起こる。
グエンドヴェルクのディアブロイアという姓も彼の家名という訳ではなかった。
「我は魔王として目覚めたが、魔王となる事を拒んでいた。元々我は争いなど好まなかったのだ。世界を掌握するよりも美術品を愛でている方が遥かに有意義だからな」
「はぁ……? でもアーシャちゃんは最後の魔王も世界を支配していたって言っていたわよ」
「……確かに戦場に立ったこともある。だが侵略行為の大方は我の執事であって参謀である者に任せきりであった」
「なによそれ……。それでも魔王なの?」
「そうだな……。歴代の魔王でも、我ほどの暗愚な王はいなかったと言われ続けていたさ」
「…………そう、なの」
怠惰な魔王は配下に恵まれていたせいか、労せずに世界を手中に収めるに至った。
望んでは無い地位と結果。
それらにグエンドヴェルクは辟易とし、何もかも捨て去ってしまいたいと願ってもいたが、一度魔王として目覚めてしまえば逃れる術は無きに等しい。
唯一魔王という位を捨て去ることが出来るのは、他者の手によって討ち果たされた時である。
「それって……。死ぬしかないって事なの……!?」
「ああ、そうだ。だが案ずるな。魔族にとっての死は人のそれとは違う。一度命を落としても時が経てば蘇るのだ」
「そ、そうなの……。……って、別に私は心配なんかしていないからね!」
「ああ、分かっているとも……」
魔王という役割から逃れる事をただひたすら願っていたグエンドヴェルク。
彼はついにその願いを果たす時を魔王城にて迎えた。
彼と対峙したのは異世界から降り立った勇者とその仲間達。
無抵抗で倒されるというのは歴史に泥を塗るとの事で適度な力を振るって迎え撃ち、魔王はついに討ち果たされた。
「幾年月か眠りに就かなければならないが、これで自由になれる。……そう思っていたが、想定外の事が起きたのだ」
そう言ったグエンドヴェルクは自身の首に填められている銀の首輪に触れる。
その首輪こそが彼の命運とシュトラルヴェルトを狂わす原因であった。
魔王を討ち果たしても数百年後には新たな魔王が降臨する。
人々の安寧と繁栄は永遠に続く訳ではなく、いつの日かまた暗黒の時代が訪れる。
それを憂いた勇者と仲間達は自分達で終止符を打とうと、ある策に打って出たのだ。
「この首枷は勇者と共に旅をしていたアイントールの者が作ったものだ」
「え……!? それってアーシャちゃんの……」
「やはりあの者はアイントールの血脈に連なる者であったか……」
「そ、それで、その首輪はどういう物なのよ」
「これは我にとって呪いのようなものなのだ」
「呪い……」
鍛冶師マルリースが作り出した首枷。
それは魔王の力を封じるだけでなく、魔王因子も封じ込めるものであった。
勇者に討たれたグエンドヴェルクは一度死に、永い眠りに就いた。
次に目覚めた時には魔王という重責から解き放たれると思っていたが、枷によりグエンドヴェルクは目覚めても魔王のままであったのだ。
「……力を失った魔王に居場所など無かった。否、そもそも我が目覚めた時には魔族の居場所など無かったのだ」
優秀な配下は勇者が魔王城に辿り着く前に大半が倒されていた。
残された者達は魔王が討たれたと同時に力を失い、攻め込んできた人々の手によって討ち取られた。
魔王が死に、士気も下がり力も失った魔の軍勢。
対する人々は勇者が英雄となり、士気も上がり勢いをつけて。
数百年の内に魔族の領土は奪われ、大陸より遠く離れた絶海の孤島に追いやられたのだ。
「新たな魔王が生まれぬと分かった際には我が再び魔王として君臨する事を渇望されたが、我は期待に応えられなかった。我の力は並の魔族と同等か、それ以下になってしまったのだからな」
首枷を破壊する研究が進められたが成果は出ず、ならば首を斬り落としてしまえばと良いという暴論も出たが、それも驚異的な再生力によって阻まれてしまった。
「暗愚という言葉では生温い。それ以下の存在となった我は一人この枷を、呪縛から解き放たれる方法を探っていたのだ」
枷がある状態では魔力を高める事すら叶わない。
そこでグエンドヴェルクが思いついた方法は、魔石を用いる方法であった。
魔力を蓄える事ができ、魔道装具の素材ともなる魔石。
それを大量に集める事で、彼は異界へと渡る術を得たのである。
「魔石だけでは事足りなかったが、都合よくヒトが勇者の故郷である異世界へと繋ぐ橋を作り出したからな。それに便乗したという訳だ」
シュトラルヴェルトからこちらの世界へと渡った魔王グエンドヴェルク。
彼の目的は忌々しい首枷を作り出した者を探し出し、首枷を外す方法を得る事である。
「ちょ、ちょっと待ってよ。という事はつまり、アンタは海人君のお母様を狙って……」
「早まるな。……確かに、当初はあらゆる手段を用いるつもりであったが、今は違う。先に言った通り、我は争いを好まぬのだ」
「……本当に? 今度は嘘ついていないの?」
「ああ。誓って嘘偽りではない」
疑いの眼差しから逃れるような真似はせず、真っ直ぐに見つめ返すグエンドヴェルク。
真剣な表情は何かを企んだりしていないようで、秘め事も無いように見えた。
取り敢えず納得したのか、桃子は強張っていた肩と表情を緩め、それと同時に張りつめていた空気も緩まっていく。
「こうして異世界へと渡る事は叶ったが、集めた魔石だけでは事足りなかったようだ。我は残された僅かな魔力も失い、行倒れていたという訳だ」
「……それが私の家の裏口に倒れていた理由ね」
「ウム。その通りだ。魔王たる我としては嘆かわしい体たらくなのだが、お蔭でお主と出逢えたのだ。存外悪くない結果と言えよう」
「……」
この場で再び助けて貰った事を感謝するグエンドヴェルク。
らしくもない真面目な表情で礼を言われて桃子は戸惑ってもいるようだが、彼女は今更そのような事はどうでも良いと言って話を終わらせる。
二人きりでの話し合い。
グエンドヴェルクの真摯な態度は桃子の頑なな態度を崩したようだ。
彼が明かした真実は生易しいものでは無くて、簡単に受け入れられるようなものでなかったが、色々と経験してきた桃子は受け止める事ができたようだ。
過去を語り、謝罪と感謝の言葉を述べて、それを受け入れて。
これで二人の仲は元通りになるかと思われたが、そう簡単にはいかなかった。
「……ねぇ、どうして今まで黙っていたの?」
その疑問は当然として出てくるものである。
同じ屋根の下で暮らして数カ月。それは決して短い期間ではない。
その間桃子は何度も彼に愛の言葉を囁かれ、熱烈な求愛を受けてきた。
海人一筋な桃子にとっては迷惑な事この上ない行為であったが、存在を偽っていた彼の事となるとこれまでの言葉や行為に違和感を覚えるのだろう。
「全部、嘘で……。私の事も……――ううん、何でもない。今のは聞かなかった事にして」
「桃子嬢。確かに我は素性を隠していた。だがこの想いは偽りなどでは無く――」
「別にいいのよ。何でも。だって、私が好きなのは海人君だけだし」
「…………そうであったな」
想い人は別の者であって、桃子にとっては他の者の想いなどどうでもよい。
ハッとして思い直した彼女は前言撤回を、問いかけるのを止めてしまった。
妙な挙動を見せたのは彼女だけでない。
いつもなら他の男の名を出すと不機嫌になるグエンドヴェルクもおかしな様子で、桃子の言葉に自嘲しながら頷いていた。
「……それで、この先どうするのよ」
暫しの間互いに口をつぐんで訪れた沈黙。
それを居心地悪く感じたようで、我慢ができなかった桃子はこれから先の話を切り出す。
選択はグエンドヴェルクの今後の身の振り方。聖沢家に戻るのか戻らないのかという事で。
まだわだかまりが残るものの戻りたいなら戻ってくればいいと、決して口にはしないが桃子はそう思っていた。
けれどもグエンドヴェルクが出した答えは桃子の考えと大きく異なっていた。
「――――今まで世話になったな。御父上と御母上に世話になったと感謝の意を伝えておいてくれ」
「そ、そう……。分かったわ。ちゃんと伝えておく」
別れの挨拶は戻らないという意思の表れである。
想定外の言葉に桃子は動揺しかけたが、どうにか返事をして抱いた感情から目を背けた。
桃子とグエンドヴェルクの話がひと段落した頃。
桃子にとっては良いタイミングで声がかかり、皆で夕飯をとる事となった。
二人の話がどういう結果になったのかを知らない海人達は戦々恐々としていたが、それは杞憂に終わった。
桃子は帰ると言って立ち去る事も無く、グエンドヴェルクもいつも通りに不遜な態度である。
沢山の御馳走を前にして皆は楽しく過ごす所であるが、全てがいつも通りとはいかなかった。
「はい、海人くん。あーんして」
「い、いや、自分で食べられるから大丈夫だって」
「あらあら、海人ちゃん。二人はとっても仲が良いのねぇ~」
「そうなんです~。私達ラブラブですから~」
「桃子、貴女何を言って――――」
海人の隣に座り甲斐甲斐しく世話をすると言うよりも、ベタベタと纏わりつく桃子。
菊代はその様子を微笑ましく見守っているが、真帆は額に青筋を浮かべて笑顔を強張らせている。
苛立つ真帆と彼女を宥めようとするアレイシヤ。
真帆と桃子に挟まれたじろぐ海人と、彼を恨めし気に見ていたり囃し立てる猿渡達三人組。
ここまではいつもの光景であるが、いつもとは違う様子の者が一人。
度々桃子に熱烈なアプローチを行ってきた者、グエンドヴェルク。
今までの彼ならば桃子が他の男と仲睦まじそうにしている姿を見過ごさない。
彼が割り入って桃子に怒られる所までがいつも通りなのだが、今は穏やかな笑みを讃えて箸を進めていた。
「菊代さん。なんだか大勢でお邪魔してすみませんでした」
「いいのよ、海人ちゃん。こんなに賑やかな夕飯はいつ振りかしらね……。とても楽しかったから、またいつでも遊びに来てね」
夕食を食べ終えて、食器やテーブルなどの片付けを終えて。
海人達は菊代に礼を言い、彼女に見送られて帰宅しようとしたが、海人はふと気が付きピタリと歩みを止めた。
「あれ? 遠藤さんは――」
「アイツはいいのよ、海人君」
「いやでも、話は済んだんだろう?」
「そう、話はついたわよ」
スタスタと一人歩き出す桃子と彼女を追いかける海人達。
桃子は振り返らずに去って行き、グエンドヴェルクはその背中が見えなくなるまで見つめていた。
「一緒に帰らなくて良かったの?」
「……菊代嬢。我がここに居ては面倒をかけるか?」
「そんな事ないわよ。色々と手伝ってくれて凄く助かっているし、食事も作り甲斐があるわ」
「そうか……」
「でもねぇ……。そんな顔をしているなら、このままここに居る訳にはいかないんじゃないかしら」
「……何を申すのか。我はいつも通り、変わらぬままだぞ」
グエンドヴェルクの表情はいつも通りに、自信に満ち溢れた表情である。
だが菊代には違って見えるようで、彼女は取り繕う必要は無いといった風に優しく微笑んで見せた。
「…………すまぬ、菊代嬢。我は――――」
「ええ、またいつでも遊びに来て良いからね」
「度重なる好意、感謝する」
これまで世話になった礼を述べ、またいつか会いに来ると約束をして菊代に見送られたグエンドヴェルク。
彼は去ってしまった者の背中を追いかけるようにして走り出した。




