3.水面に金魚、跳ねて
また今度と言って桃子の誘いを断り続けていた海人。
それは襲撃者と戦う為で、その戦いに備えて鍛錬を積む為でもあって、仕方がない事であった。
海人の説得に一応は納得しつつも、桃子には限界があったのだろう。
これまでの経験上、夜ならば襲撃者に遭遇しにくいだろうという事で桃子に押し切られ、海人とヒーロー研究部の面々は商店街の七夕祭りを訪れていた。
「お、お待たせ、海人君。その、おかしくないかな?」
浴衣の着付けに不備があった桃子は一旦商店街内にある彼女の実家の沢乃屋へ戻り、着付けを直して戻って来た。
いつも自身の容姿に自信があるような振る舞いを見せている彼女だが、浴衣は訳あって着こなしに不安が残るようだ。
上目遣いで変ではないかと問われた海人は素直に感想を述べた。
「変な所なんてないさ。良く似合っているよ」
「ほ……、本当に?」
「ああ。なんかこう……、色とか柄とか桃子らしいって言うのか。……悪い、褒め言葉とか上手く思いつかなくて」
「ううん……、良いんだよ。ありがとう、海人君」
嘘が吐けない性格だからだろう。
海人の言葉はその意図を読むまでもなくすんなりと受け入れられるようで、桃子は嬉しさから口元を綻ばせる。
浴衣姿を褒められて上機嫌の桃子は、弾むようにして賑わう祭りの会場へと踏み出した。
「さ、行こう! 海人君」
「そんなに急がなくても……、って、大丈夫か!?」
「う……、うん……っ! ありがとう……」
履き慣れない下駄のせいか、足が地についていないような感覚だったからか。
桃子はよろけてしまい、海人は咄嗟に腕を掴んで支えてどうにか転倒を免れた。
浮かれて転びそうになるなど、子どものようであるが桃子がそうなるのは当然である。
意中の相手とお祭りを見て回れるという事もあるが、何より彼女が喜んでいるのはこの場に邪魔な者達が居ないからだ。
「……あの、海人君」
「ん? 何だ?」
「またコケるかもしれないから、その……」
「ああ。手を繋いどくか?」
「う、うん……!」
強すぎる訳でもなく、頼りない握り方でもなくしっかりと繋がる手と手。
海人と出会う前ならば、手を握るのは男の方からと考え、そのタイミングも握り方にも厳しかった桃子だが、今はそういった細かい事などどうでも良いらしい。
繋いだ理由も子どもを相手にするようであったが、今の彼女はただ繋ぐだけで、温もりが感じられるだけで充分であった。
「それにしても凄い人出だな」
「う、うん……。そうだね。なんだかいつもの商店街じゃないみたい」
行き交う人はいつも以上で、注意していないと肩が触れ合いそうになる。
気を付けつつ二人は会場を歩くが、桃子はすれ違った年若い男女の姿を見て感嘆の溜息を吐いた。
「海人君も浴衣を着てくれれば良かったんだけどなぁ……」
女性だけでなく男性も浴衣を着て仲睦まじく歩く姿。
それを羨ましく思った桃子は思わず口にしたのだが、海人は困った顔をして断りを入れた。
「それは……。今はまだ何も起きていないようだけど、いつ何時襲撃者が現れるか分からないからな。動き易い恰好にしておかないと……」
「そ、そうだよね……。なんかゴメン……。私だけ浮かれちゃって……」
何気なく浴衣同士で並んで歩けたならと考えていた桃子だが、海人の言葉に現実を突きつけられて俯き反省する。
何時もの彼女ならばこの様な時にそんな話は無しだと言って済ますが、今日はどうにもしおらしい。
数々の男を泣かせてきた恋においては百戦錬磨の彼女でも、お祭りという特別なシチュエーションと本命の相手を前にしては調子が出ないらしい。
一つ希望が叶えばあれもこれもと欲望は止まらなくなり、けれどもそんな自分が受け入れられなくて、本人が一番戸惑っているようだ。
「あ、いや……、桃子は別に悪くないさ。せっかくだし、祭りを楽しんでも良いんだぞ」
「え……? でも……」
「何かあっても俺が守るから。だから桃子は祭りを楽しんでくれ」
「う、うん……」
守ると言われて桃子は嬉しくない訳ではないようだ。
けれども海人の言うそれは他の者達と同列であって、特別などでは無いという事が分かっているようで。
あれこれと頭を悩ませていた桃子は急に馬鹿馬鹿しく思えてきたのか。
小さく笑ってから海人の手を引いた。
「海人君。私だけが楽しんでいたらデートじゃないじゃない」
「そ、それはそうだが……」
「だから今日は海人君もヒーローはお休みで。一緒に楽しみましょう?」
「いや、だけど……」
「今日だけだから……、ね?」
やはり今日の桃子はどこかが違う。
お願いをする時もいつもならグイグイと迫り、潤んだ瞳で情に訴えるのだが、今日はそれらが一切無い。
敵が何時現れるか分からないと気を張っていた海人も彼女の言葉に心が動かされたようで、ゆっくりと肩の力を抜いた。
「そうだな……。今日くらいは……いいか」
「うん……! それじゃあ最初は――――」
祭りの喧騒の中でも掻き消される事なく響いた音。
それは腹の音であって、その音は海人の腹から出た音である。
空腹を主張した腹に対し彼は恥ずかしそうに顔を赤らめ、桃子は声を上げて笑っていた。
青く生い茂った笹と彩り鮮やかな色紙の飾り。
流れる祭囃子と行き交う人々から上がる楽しげな声。
賑やかで、華やかな祭りの会場は歩いているだけでも楽しいが、やはり屋台は外せない。
金魚すくいにヨーヨー釣り、射的などのアトラクション系も楽しげであるが、二人が真っ先に向かったのは食べ物の屋台であった。
「悪いな、桃子。付き合って貰って」
「ううん、良いんだよ。祭りと言ったら屋台だからね」
「そうだよな! いつでも食べられる物もあるけど、祭りで食べるのは一味違うんだよな~」
焼きそばにたこ焼き、イカ焼きや焼きとうもろこしなどを一気に平らげた海人は満足げに息を吐き、隣に座る桃子に礼を言った。
食欲に突き動かされるまま屋台の品々を食した海人とは違い、桃子はイチゴのシロップと練乳が掛かったかき氷だけを手にしており、それもまだ食べきれていなかった。
「桃子。もしかして具合が悪いのか?」
「え? そんな事はないけど……」
「そうか……。食が進んでいないようだから、もしかしてって思ってさ」
「あ! コレはほら、食べていると頭がキーンってなっちゃうでしょう?」
「ああ成程……! それかぁ……。わかるわかる」
急いで食べれば頭痛に襲われるが、このままのペースだと溶けて水になってしまう。
そもそもかき氷のサイズが一人で食べるには大きく、完食は難しそうであった。
先に全部食べ終わってしまった海人に合わせようとしたのか。
桃子は食べるペースを早めようとするが、すぐさま頭痛に襲われてしまい、手を止めざるを得なかった。
心配するような顔で、急がなくてもいいからと言う海人の優しさを嬉しく思う桃子であったが、彼女は一つ閃いて海人に問い掛けた。
「そうだ! 海人君、まだ何か食べられる?」
「そうだな……。実はまだ気になるのがあって――――」
「甘い物とかは大丈夫?」
「ああ。チョコバナナとかも良いよな」
「……そう。私としては、コレを食べるのを手伝ってくれると嬉しいんだけどなぁ~」
「え!?」
海人は甘い物が苦手でもなく、かき氷が嫌いな訳ではない。
寧ろ桃子と同じように急いで食べて頭を痛めた事が多々あるくらいだ。
彼が桃子に食べるのを手伝って欲しいと言われて戸惑ったのは、スプーンが一つしかないからである。
「いや……、その……」
「さっきタコ焼きを分けてくれたでしょう。それのお返しも兼ねて、ね」
「それはそうだけど……」
「それじゃ、口を空けて。はい、あーん」
「え、いや、あ……――――」
すっかりと桃子のペースに乗せられてしまった海人。
彼は早く食べないとスプーンから零れ落ちて浴衣を汚してしまうかもしれないなどと理由を見つけ、躊躇いつつも口を開く。
あと少し、もう少しで桃子の持つスプーンは海人の口に届きそうであったが、それは寸での所で止められてしまった。
「も、モモちゃん……!? そこで何を――――」
大きな驚き声を上げて海人達だけでなく周りを驚かせたのは、海人達と同じ高校に通う生徒、赤星亮平であった。
彼は桃子と幼馴染らしく、幼い頃から好意を寄せており、そのせいでトラブルに巻き込まれもしたのだが、いまだに桃子の事を想いつづけているようだ。
想い人が海人と一緒に居る場面を、しかも恋人同士のように食べさせてあげる場面を見かけた彼が黙って見過ごせる筈もなく、鬼気迫る顔で迫って来た。
「おいお前! 竜堂と言ったか! テメェどういうつもりで……って、何をしやがる、颯太!!」
「悪いな、竜堂。コイツが邪魔をしたようで」
眼光を鋭くして詰め寄って来た亮平の首根っこを掴んで止めたのは、亮平と同じ陸上部で海人と同じクラスの伊井田颯太であった。
彼も桃子と亮平と幼い頃からの付き合いなのだが、彼は亮平と違って落ち着いており、良識的なようで友人の暴走を止めて詫びを入れた。
「いや、まぁ少し驚いただけだからなんてことは無いけど。二人はどうしたんだ?」
「俺達は部活の帰りだよ。他の連中もほら、あっちに居る」
颯太と亮平は制服を着ており、肩から部活用の鞄をさげている。
そして颯太の言う通り、彼の背後には祭りを楽しむ陸上部の面々の姿があった。
海人達はその説明で納得をしたようだが、亮平はこの状況を受け入れられそうもなく、再び声を上げて喚き出した。
「も、モモちゃん。モモちゃんも部活メンバーで遊びに来ているだけだよね。まさかコイツとだなんて――――」
「そのまさかだよ。私と海人君はデート中。という訳だから邪魔しないでね」
笑顔で容赦なく無慈悲な言葉を投げかける桃子。
想い人から突きつけられた事実によって突き刺された亮平は足元から崩れ落ちるが、彼はいつまでも落ち込んだままではいられないようだ。
すぐさま顔を上げて彼が敵と見定める者、海人へと勝負を挑んできた。
「いや、勝負って……。何で俺が――――」
「諦めてくれ、竜堂。亮平はこうなったら止められない」
「えぇ……」
颯太は同情しているようだが間に入って止めようとしない。
勝負にこだわる亮平の扱いに慣れているとはいえ、最終的には勝負を受けるより他無い。
日常的に勝負を挑まれている身としては同じような目に遭う者を見てみたいという気持ちもあるのだろう。
一方桃子はというと、自分を取り合って争う二人というシチュエーションに酔っているらしく、無邪気に海人を応援していた。
「桃子。本当に良いのか?」
「うん! 面白そうだし、海人君頑張って!」
「はぁ……。分かったよ」
本日は桃子との約束を果たす為であって、彼女の言葉は絶対で。
彼女の期待の眼差しから逃れられる筈もなく、亮平の執念を上手く逸らせる筈もなく。
海人は溜息を吐きつつ亮平の勝負を受けて立った。
亮平が桃子を賭けて海人に挑んだ勝負は金魚すくいであった。
ルールは単純明快。和紙が貼られた掬う道具、ポイを用いて破れて使えなくなるまでどれだけ金魚を掬えるかという勝負である。
海人は多くの運動部から入部を迫られるくらいの運動神経であって、その事は周知の事実らしく、亮平もその事を知っていたようだ。
運動馬鹿な海人は繊細な動きは出来ないだろうと亮平は考えて金魚すくいで勝負を挑んだようだが、彼の目論見は見事に外れてしまった。
「な……、何でそんなに……!? テメェ、何かイカサマをしやがったな!!」
勝負を終えてみると勝敗は明白で。
亮平の持つ椀には五匹の金魚が優雅に泳いでいるが、海人の椀の金魚は10匹を超えており、所狭しと泳ぎにくそうにしていた。
「いや、俺は別にイカサマなんて……。ただ、水の流れと金魚の動きが読めたからか、こんな事に……」
「凄~いっ! さすが海人君だね!!」
これも日々の修行によってなせる業なのか。
とにもかくにも海人は勝負に勝利した訳だが、挑んできた者がこの結果に納得する筈はなく、亮平はもう一度勝負を仕掛けてきた。
「それじゃ、次の勝負で白黒ハッキリと――――」
「ハイハイ。そこまでだ、亮平。勝負はついたんだから、これ以上は――――」
「いいや、これじゃ納得できない。俺はまだ負けてなど……って、うおっ!? おい颯太!! テメェ、何をしやがる!?」
「竜堂、聖沢。コイツの事は俺達に任せてくれ」
亮平の思い通りにさせておけば、彼が勝つまで勝負を挑み続けることになるだろう。
これではキリが無いという事で颯太は亮平を抑え込み、陸上部部員と協力して強制的にこの場から退場させた。
祭りの喧騒は変わらず続いているのだが、亮平達が去った後は静かなように感じられて、海人は小さく溜息を吐いた。
「なんか、嵐が去った後のようだな……」
「そうだね。でも楽しかったよ、海人君の意外な特技が見られたし」
「金魚すくいは特技って言って良いのか? 年に一度か……、あまり見せられる物じゃないが……」
複雑な表情をしている海人に対し、花が咲いたように微笑みかける桃子。
邪魔者が去った所で二人きりになり、再び祭りを楽しもうという事で歩き出すが、二人きりの時間は程なくして終わりを告げた。
「も、桃子嬢……っ!? ここで一体何を……っ、その男は……っ!!?」
海人と桃子の前に立ちはだかった男。
その者の姿を見るなり、桃子は笑顔を引きつらせて固まった。




