1.ある夏の日に見た楽園
曇り空ばかりが続く日々を経て、次に訪れたのは茹だるような暑さで。
降り注ぐ陽に照り付けられ、アスファルトからの照り返しにじわじわと体力を奪われて。
冷房で冷え切った室内と外との温度や湿度差に誰もが顔をしかめる季節が訪れても、ただ一人、この男だけは気候など全く気にならないようであった。
「よし! これで終わりだ!」
襲い掛かってきた敵を軽く捻り倒したのは蒼い鎧を纏う者で、彼は襲撃者を操る装具を破壊して一息ついた。
「皆、怪我は無いか?」
蒼い鎧は一瞬にして粒子と化して、身に纏っていた者が姿を現す。
黒髪に蒼い双眸の男子学生、竜堂海人は一緒に戦っていた仲間達へと声を掛けるが、返答は芳しいものではなかった。
「どうしたんだ……!? まさか、怪我でもしたのか!?」
弱々しい返しを負傷のせいだと思い込んだ海人は皆の身を案じるが、彼の心配は要らぬお世話であった。
海人の空気の読めなさに苛立ち始めたのか、顔色を窺ってくる海人に対し、猿渡は唾を飛ばしながらがなり立てた。
「いい加減にしやがれ、海人! 暑苦しいだろうが!!」
「お、おう。……悪かった。でも、それくらい叫べるなら大丈夫そうだな」
「大丈夫なワケあるか! なんだってこうも暑い時に毎日毎日……」
猿渡の言う通り、海人達ヒーロー研究部はここ数日間襲撃者に遭遇することが多くなり、戦うのが日課となりつつあった。
破壊された鎧が修復されて海人が全力を出せるようになってか、部員達の連携が上手くいっているからか。
敵と戦うのに苦戦はしないのだが、共に戦う仲間達は別の意味で苦戦を強いられていた。
鎧を纏う海人とは違い、他のヒーロー研究部員達は素性を隠すためにフード付きのケープを羽織っており、それはこの炎天下では厳しい黒色であった。
羽織っていたケープを剥ぎ取り吠える猿渡は平然としている海人に詰め寄るが、そこに待ったをかける者が現れた。
「猿渡君、暑さでイライラするのも分かるけど、海人に当たっても仕方がないでしょう」
「う、占部! 頼むからこっちには来るなよ」
「な、何よそれ! 人を虫みたいに邪険に扱って……っ」
「いやだって、お前の使う魔法は熱いし」
「それは仕方がないでしょう!?」
暑さで気が立っているせいか、些細な事で口喧嘩に発展してしまった。
猿渡と真帆の言い争いはヒートアップして、ますます暑さを感じさせるようであって、アレイシヤ以外は距離を取り避難する。
アレイシヤが一人仲裁の為に頑張る中、海人はというと桃子に掴まり、犬飼が差している日傘の下へと引き寄せられた。
「お、おい……、桃子。こんなにくっ付いて暑くは無いのか?」
「海人君となら平気だよ~……って思っていたけど、さすがにこの暑さはね~……。そうだ! 海人君。これからお茶しよっか? それとも~……、私の部屋で涼んでく?」
炎天下の中でも熱烈なアピールを忘れない桃子。
そんな彼女の猛烈なアタックから海人は逃れようとするが、がっちりと組まれた腕は簡単に振りほどけそうにない。
彼に出来る抵抗と言えば話を逸らす事だけであった。
「そ、そういえば! 犬飼は平気なのか?」
「ああ、俺は何とか……。それよりも……」
「あー……、そうだな。向こうの方がヤバそうだな」
恰幅の良い犬飼は他の者よりも体力があるようで、多少暑さに参っているようだが、耐えられない程でもないらしい。
問題なのは三人組の残りの一人、雉岡で、とことんインドアな彼にこの環境は酷なのだろう。
干からび萎れた草木のような姿の彼は一言も発さず立っていた。
「お、おい、大丈夫なのか?」
「ハハハ……。平気ですとも、このくらい……」
アレイシヤの前だからか。雉岡は情けない所を見せたくないようで、笑みを浮かべて平気だと言い張る。
心配は無用だという彼は己の有様をこれ以上見られたくはないのか、彼もまた話を逸らそうとした。
「そ、それよりも竜堂氏。竜堂氏は鎧などを纏っていて何ともないのですか?」
「あ、ああ。この鎧は重さも感じないし、暑さも全く……。アーシャの話では装具ってものはそういう物らしいけど、この鎧は水の力を宿しているから、特に炎とか熱さに強いようだ」
海人の説明に対し羨まし気な、妬ましげな視線を送る雉岡。
彼は杖を振るわずとも闇を背負っているようで、海人はどうにか彼を元気付けようと考えを巡らせ、ある事を思いついた。
「桃子、少しいいか?」
「えぇ~……、仕方ないなぁ。少しだけだよ。この後絶対に付き合ってよね!」
どうにかこうにか言いくるめて桃子から解放された海人は、少しばかり皆と離れて再び鎧を纏う。
何を始めるのだと言いたげな皆の前で、海人は右手を天に伸ばして力を込めた。
「これは……っ、天の恵み? いや、雨……なのですか?」
「なにこれ!? すっごく気持ちがイイ~!!」
「確か……、ミストシャワーってやつだと思う」
日差しと高い湿度に参っていた者達に降り注いだのは細かな水の粒子、霧で、それらは空間の熱を奪い涼しさを感じさせた。
ガイラルドに師事している海人は格闘術だけでなく水の力を操る術も教わっており、この様な芸当まで出来るようになっていたのである。
ミストシャワーは枯れていた者に潤いを与え、いがみ合っていた者達の頭を冷やす。
心地よさまで感じた桃子は飛び跳ね、笑顔で海人に抱き着いた。
「海人君すごーーい! こんな事出来るなんてさっすが~、海人君だね!」
「わ! も、桃子……っ! 今は――――」
「へ……? ――――って、きゃ~~!? 何これ!?」
水を自在に操れると言っても、海人はまだまだ修行中の身で。
霧を放出し続けるのは集中力が要るようで、桃子のハグという名の体当たりを食らった海人はコントロールを失い暴発させてしまう。
細かな粒子は滴に。霧は雨となり容赦なく勢いよく降り注いだ。
「すまない……っ! 皆、大丈夫か!?」
海人は慌てて力の放出を止めたが時は既に遅く、皆は通り雨に降られたように水浸しになっていた。
流石にこれはマズいと、海人は恐る恐る皆の顔色を窺う。
怒られるのも致し方ないと覚悟していたが、皆の反応は意外なものであった。
「も~、海人君ってば~。やりすぎだよ~! 」
「カ、カイトさん……っ! これはもしかして、私が直したせいで制御が上手くいかなかったのでは……っ」
「違うわよ、アーシャちゃん。全く……。海人は調子に乗るとこれなんだから……」
「でもでも、これはこれで涼しくなって良いんじゃない?」
「まぁ……、こうも暑ければ悪くないかもだけど」
「そ、そうですね……! 風が心地よく感じます……」
真帆の説教が始まると海人は予想していた訳だが、彼女は珍しく桃子の言葉に同意し、桃子やアレイシヤと共に笑っていた。
彼女達は濡れたスカートを絞り、吹き付ける風に対して心地よさそうに目を細めており、海人を咎めはしない。
それ程までに暑さは人を変えるのか。
こうして熱さから解放された者達は穏やかな笑顔を見せている。
女子の反応も海人を驚かせていたが、男性陣である猿渡達三人組の反応もまた意外なものであった。
「こ、これは……っ! ここが楽園であったのですね……!!」
「お、おう……。この光景、しっかりと目に焼き付けとかないとな!」
「い、いや……さすがにマズいだろう。こんな姿……――――」
濡れ鼠になったというのに、その点に関しては全く意に介していない様子の三人組。
彼らは目を見開けるだけ見開き、目の前の光景を凝視している。
一体何をそこまでと思い海人は彼らの目線を追うと、答えはすぐに分かった。
とある欲にまみれた男達の熱き眼差しの先。
そこには水に濡れて衣服が張り付き、下着の色が分かるまで透けて見えている少女達の姿が在った。
「お、お前達、何を見て――――」
「そうよ、貴方達。一体どういうつもりでこっちを見ていたのかしら?」
海人が窘めるよりも先に真帆が邪な視線に気が付いたようで、彼女はニッコリと笑みを浮かべながら近づいてくる。
無論、その笑顔は友好的なものでなく、相手を追い詰めるようなものであって。
猿渡達三人組は涼しさを通り越して背中に悪寒を感じているようで、カタカタと震え上がっていた。
「い、いや、別に俺達は占部の事を見ていた訳じゃないぜ」
「ふーん……。ま、そうよね。私みたいな体型より、桃子の方が見ごたえあるものねぇ」
「そ、そうだ、そうなんだよ! あのボディに目がいかないのは男としてどうかと思うぜ!」
「そっかそっか……。そうよね~……、私の貧相な身体だと見るに堪えないものね~……」
「……!? い、いや、何もそこまでは言っていな――――」
どうにか怒りを鎮めようとした猿渡のひと言は余計なひと言だったようだ。
真帆は笑顔のまま装具を取り出し、杖の先端に炎を宿した。
「あー……、占部サン。その杖で一体何をしようとお考えで?」
「濡れたままだと風邪を引くでしょう? だから乾かしてあげようと思ってね」
「それはどうも……って、近いっ! 近いからっっ! そんなに近いと焼けるから……っ!!」
「大丈夫よ。いざという時は桃子に頼れば良いんだから」
「いざって時って!!?」
杖を手にして迫る真帆に追い詰められる猿渡。
彼は助けを求めて仲間に視線を送るが、皆目を合わせようとしない。
暑さという地獄から解放され、水を浴びて清涼感を得られたと同時に楽園を垣間見た猿渡は、再び地獄へと落ちる事となってしまった。
沸き立つ入道雲に蝉の音が響く夏の日の午後
公園では水を被った学生達のはしゃぐ声が聞こえてくる。
気の滅入るような暑さの中でそのように元気な姿を見せられるのは若さ故になのだろう。
「フン……。いい気なものだな」
小さなビルの屋上から学生達の様子を眺めていた男は忌々しげに呟く。
男の姿は全身が黒い外套に包まれており、フードを目深に被っているだけではなく白い仮面も着けていて表情は窺えない。
見るからに暑そうな格好であるが、男は暑さから気が立っているようでもない。
彼は思う所があって楽しげにしている学生達、海人らヒーロー研究部の者達に対して舌打ちをしたのだが、彼に近づく黒衣の女性、レヂディーノは彼の態度を窘めた。
「グラヴィスト。彼らを咎める理由は無いわ」
「……ですが、装具をあのように扱うなど、奴らには危機感という物が足りてないかと」
自分達が涼むために水の力を操り、仲間内で追いかけ回すのに装具を振るう姿を見ていれば一言言いたくなるのも無理な話ではない。
生真面目なグラヴィストはこれでも十分耐えているのだが、その努力は報われないようだ。
「彼らのお蔭で日中は助かっているのだから、これくらいは大目に見ましょう」
「……あの程度の敵など、私ならば造作もありません」
「そうね……。けど、労力は抑えるに越したことは無いでしょう?」
「……」
実際の所、日中に現れる敵はほぼ海人達が倒しており、レヂディーノ達の出番は無くなっている。
海人達よりも動ける範囲に制限があり、力を行使し続けるのには問題があるレヂディーノにとっては良い事であるのだが、それは陽が沈むまでの話であった。
少ないとはいえ、夜間に現れる敵を人知れず倒すのはレヂディーノ達であって、グラヴィストは何も知らないでいる海人達が許せないようだ。
「奴らは何も知らずにのうのうと……」
「それは元より覚悟していた事でしょう」
「そう……、ですが……っ!」
「それよりも、いつまでもこのままという訳にはいかないわ。根本的な問題をどうにかしなくてはいけないわね」
「……はい。それは仰る通りです」
守るべき者達を優しく見守っていた瞳は、強い決意の光を宿したものへと変わる。
レヂディーノは改めて己の在り方を確認するが、共に居るグラヴィストは腑に落ちていないようだ。
彼は外套を翻して立ち去るレヂディーノの後を追うが、立ち止まって振り返り鋭い視線を向けて舌打ちをした。




