1.与えられた罰
ヴァルトハインによる誘拐、脅迫。そして決闘に続き、無差別な攻撃を受けてから一夜明けての朝。
梅雨の時期にしては晴れやかであって、空気も澄んでいて。
気持ちの良い朝なのだが、これから出掛けようとしている者達の表情は晴れやかではない。
「本当に大丈夫なのか? 海人」
そう問い掛けたのは海人の祖父である重蔵で、彼は昨晩ボロボロになって帰宅した孫の身を案じているようだ。
心配された海人はというと、昨日の出来事が嘘であったかのようにピンピンとしており、見た目では問題なさそうである。
「この通り、平気だよ。俺の事なら大丈夫だから、気にせず二人は楽しんできてくれよ」
「そうは言うが……」
「俺の事よりも、アウグストさんはどうなんですか?」
海人が話を振ったアウグストも、昨晩はヴァルトハインと相対したうちの一人である。
彼はガイラルド程の大立ち回りはしてないものの、真帆を助け出したりするなどの活躍を見せた。
そのお蔭で皆が無事に帰路につく事が叶ったのだが、この一件に関わったが為に彼の就寝時間が短くなってしまったのだ。
「なぁに、大したことは無いさ。ワシは今でも一晩や二晩、眠れぬ夜が続いても構わんぞ」
朝っぱらから喧しいくらいに、ガハハと大きな声で笑うアウグスト。
彼の顔色を見るからに健康そのものであって、心配など必要ないようだ。
海人は気兼ねせず二人を見送る所であるが、アウグストも重蔵と同じく気掛かりがあるようで、自分が留守にしても良いのかと気にしていた。
「それよりもだ。こんな時にワシが居なくても良いのか? 奴の事だ。次はどんな卑怯な手を使うか――――」
アウグストの懸念。それはヴァルトハインの事であった。
昨晩の戦いの中で両手を負傷したヴァルトハインは不利であると判断したのか、皆の前から姿を消した。
武器がまともに握れない状態とはいえ、ヴァルトハインには影を操る力があり、卑劣な手段を取りもする。
そのような者を野放しにしておいて良いのか。あの場に居た者ならば誰もがそう思うだろうが、ガイラルドは首を横に振った。
「奴の目的からすれば、危険は少ないだろう。属性との相性もあって、奴に治癒の術は行使出来ない上に効きづらい。暫くは鳴りを潜めると思われる」
そう告げたガイラルドだが、彼は単独でヴァルトハインの行方を探すつもりでもあるようで、全て自分に任せてくれればよいと言い切った。
「……まぁワシは潜伏している者を捜索とかいった神経を使うのは苦手だからな。お主に任せるぞ、ガイラルドよ」
納得したアウグストは深く頷きガイラルドへ目配せを。
最後にもう一度、アウグストはくれぐれも気を付けるようにと海人達に言い残し、大きな荷物を手にして出かけて行った。
「さてと。俺達も飯を食って学校に行くか」
「は、はい。そう、ですね」
昨晩闘ったばかりでそれほど時間が経ってなくても、ヴァルトハインのような危険な人物がどこかに潜んでいるか分からない状況であっても、海人達が学生であることは変わらず、学業を疎かにしてはならない。
今日くらいは体調不良を理由に休んでも良いのではと重蔵は気を遣っていたが、当人である海人は大丈夫だと言い張った。
実際の所彼の疲労は一晩寝れば回復し、尽きかけていた精神力もアレイシヤに分けて貰う事で問題なかった。
ヴァルトハインを退けられた切っ掛けを作った事により、ガイラルドに褒められたことが嬉しかったようで、海人は敗北しかけたが気持ちは沈んではいないようだ。
「……真帆。……大丈夫なのか?」
寧ろ海人は朝から暗い顔をしている真帆が気になるようで、朝食を終えた後に後片付けを手伝いながら尋ねてみた。
「大丈夫って、何が?」
「いや、その……。元気がなさそうだからさ」
「そ、そんな事はないわよ」
皿と泡まみれのスポンジを手にしたままピタリと止まった真帆は、取り繕うようにして笑って見せる。
その笑顔はぎこちないものであって、鈍感な海人でも気が付くくらいであって。
彼が疑いの眼差しを向けていると、サッと視線を逸らすあたり、指摘した事は間違っていないようだ。
「もしかして、昨日の事をまだ気にしているのか?」
「……っ!」
人質として拘束されていた真帆は解放された後、何もかもが自分のせいであったと皆に謝罪した。
確かに夜間に一人きりで外出したのは不用心であったかもしれないが、それは理由あっての事で、遊び歩いていた訳でもない。
圧倒的に悪いのはヴァルトハインだろうと、皆は口を揃えて言いもしたが、真帆はまだ自分を許せないようだ。
「私、いつも海人に遅刻はしないようにとか、野菜も食べないといけないとか、色々言っているわよね」
「あ、ああ……」
「それなのにこんな事になって……。申し訳なくて……」
誰かに口を出すような権利はなかったと、これまでの行いまで反省している真帆。
小言が減るのは楽に感じるだろうが、真帆の言う事は何時も間違っておらず、理不尽ではない。
度々受け流してしまう海人でもその辺りは理解しているようで、彼は弱気になっている真帆の言葉を否定した。
「真帆が言っていることは何時も正しいだろう? だったら何も問題はないと思うんだけどな」
「それは……、ほら、説得力に欠けるじゃない? 考えても見て。いい加減な人間から注意を受けても、素直には受け入れられないでしょう?」
「ま、まぁ……そう、かもだけど。でも真帆は真面目だし、いい加減でもないだろう。今回はその、たまたまこうなっただけだ」
「で、でも……」
真面目さゆえに自分の犯した過ちが許せないようで、どんな小さなミスさえも気にしてしまう。
そんな真帆をどう立ち直らせるか。
何時もの彼女らしくあって欲しいと考えている海人は、一つ提案してみた。
「そこまで反省しているっていうのなら、罰を受けるっていうのはどうだ?」
「え……!? ば、罰……って」
罰と聞いて驚く真帆。
そこまでは普通の反応だとして問題はない。だが彼女は驚いた後に何故か頬を赤らめ、ごにょごにょと言葉にならない呟きを漏らしている。
どうやらあらぬ妄想を繰り広げているようだが、その内容を口にする訳もいかず、押し黙っていた。
「真帆? 一体何を想像して……」
「べ、別に! なんでもないわ。……それより、海人の言う罰っていうのは何かしら?」
「ああ、それはだな――――」
真帆がスポンジで洗った食器を海人がすすぎ、その後は食器乾燥機に。
全ての食器を入れ終わった後にスイッチを押す。
洗い物を終えた海人は濡れた手を拭いて一息つき、隣に立っている真帆に向き直ると真面目な顔で言った。
「取り敢えず、今日提出の課題を写させて下さい」
「…………え?」
「それが罰って言う事で」
「…………」
真剣な表情で何を言いだすのかと、構えていた真帆はその内容に肩を落とす。
元々そのつもりで、その為に夜中に買い物に出掛けた訳で、宿題を海人に写させてあげるのは特別な事でもない。
何故そんなどうでも良い事を要求してくるのかと真帆が問うと、海人はバツが悪そうに後ろ頭を掻きながら理由を明かす。
「いやほら、いつも写させて貰っているけど、その度に注意してくるだろう? 写してばかりじゃ自分の為にならないってさ」
「それは……、そうでしょう?」
「わ、分かっています。でもだから、今日はその小言を無しの方向で……」
顔の前で手を合わせて、頼み込むポーズを取る海人。
それはあまりにも軽すぎる罰であって、けれどもそれは海人が真帆を想っての事であって。
彼の意図に気が付いた真帆は小さな溜息を吐いて仕方がないと言い、今日だけよと言って了承した。
「ありがとう! 流石、真帆様様だな」
「もう、調子が良いんだから……。でも本当にこんな事で良いの?」
「こんな事、じゃないさ。真帆にはいつも美味しいご飯を作って貰えて、掃除とかの家の事とかも手を借りて、世話になりまくっているからな」
「それは……。私が好きでやっている事だから、海人が気にすることは無いわよ」
「好きで……? そんなに家事が好きなのか?」
「……ま、まぁね」
家事が苦では無いというのは本当であって、けれどもそれは誰の為にであるのかが重要であって。
そのような事を真帆が素直に口に出来る筈もなく、適当に誤魔化すしかない。
やはり海人は鈍感であって、そういった彼女の想いには気が付いていないようで、話は妙な方向へと転がる。
「でもそんなに罰が軽いって言うのなら、これらもずっと、課題を写させて貰えるっていうのは――――」
「却下よ。また試験の時に苦労したいのかしら?」
「で、ですよねー……」
期待から一転、肩を落としている海人。
それでも何時もの真帆らしい切り返しが嬉しいようで、彼は笑みを浮かべている。
彼につられるようにして真帆も微笑んでおり、傍から見れば良い雰囲気であるのだが、そこへ困り顔の者が現れて恐る恐る声を掛けてきた。
「あ、あの~……」
「わ! ア、アーシャちゃん。どうかしたの?」
「お、お二人とも……、そろそろお時間が……っ」
「「え!?」」
同時に驚き声を上げる海人と真帆。
アレイシヤに指摘された通り、時計の針は何時も家を出ている時間を過ぎていた。
慌てつつも急いで支度をしたからか、道中で困っている人を見かけなかったからか。
三人はギリギリのところで教室に滑り込み、何とか遅刻を免れた。
いつも通りの退屈な授業が始まり、どうにかそれを乗り越えて。
羽を伸ばせる昼休憩を挟み、また睡魔と格闘する授業へ。
昨晩の出来事が嘘であったかのように、海人の日常は過ぎて行き、あっという間に放課後に。
掃除当番を終わらせて集まったヒーロー研究部の皆は町内パトロールへと繰り出そうと、校門へと向かっていた。
「それにしてもよう。みんな無事であったからいいけど、次にそのヴァル何とかと遭遇したらどうすりゃいいんだ?」
そう不安を漏らしたのは猿渡で、雉岡や犬飼も同意するよう頷いていた。
彼らが昨晩、あの場に駆けつけたのはヴァルトハインが去った後であったが、海人はボロボロに、ガイラルドが負傷したのを目の当たりにしており、一体何が起きたのかも知っている。
そのせいで不安に思うのは当然であって、けれどもその必要は無いと、海人は今朝方ガイラルドが言っていた通りにヴァルトハインの現状を説明してみた。
「そうですか……。あの方がそう言うのなら、問題はなさそうですね」
「ま、まあ、次に姿を現した時は、俺達が占部や海人の分までやり返してやるぜ!」
「ほ、本気か……、猿渡……」
「おい犬飼。なぁにビビってやがる。昨日何も出来なかった分、俺達も活躍しねぇと、だろう?」
「私は遠慮しておきます」
「なぁにぃ!? 雉岡。仲間がやられたっていうのに、やり返さないのか!? お前は漢じゃねぇのかよ!」
「敵の力量を推し量らず、無暗に突っ込むのは馬鹿のする事ですよ」
「……って、雉岡が言っているが。どうなんだ、海人」
「お、おう……。それについては返す言葉がありません……」
雉岡の主張に思い当たる所がある海人は言葉がグサリと刺さるようで、肩を落として反省をする。
凹ませるつもりは無かったと。雉岡はフォローするものの、海人が無鉄砲であるのは事実であって、彼は訂正の必要が無いと言って雉岡の言葉を肝に銘じていた。
「――――……さてと。気合を入れてみたものの、大したことは無かったな」
パトロールに出て約二時間後。
海人達はそろそろ学校に戻ろうと、公園から学校を目指して歩いていた。
本日のパトロール中にあった事といえば、子どもが転んで怪我をした際に手当てをしてあげた事と、子ども達が遊んでいたバトミントンの羽が樹に引っかかったのを取ってあげたくらいである。
実に平和な放課後であって、本来は喜ぶべきなのだが、気合を入れていた猿渡は肩透かしを食らったように感じてどこか不満げだ。
「猿渡、油断はするなよ。ヴァルトハインだけでなく、この間の、人を操る装具の件もあるんだ。常に気を引き締めて――――……ん?」
海人が猿渡に注意を促していると、遠くの方からこちらへと足早に近づいてくる男が一人、視界に入る。
他校の学生服を身に纏ったやせ型の男。
それだけならばすれ違う者の一人として気にも留めないのだが、その者の視線は忙しなく動いて定まっておらず、肩を上下させて吐く息も荒い。
傍から見ると興奮した様子であって、海人は警戒心を強めていると、男子学生は海人達の傍まで来てピタリと足を止めた。
「や、やぁ……、ひ、久しぶり……だね」
得体の知れない男子学生は誰かの知り合いのようで、親しく声を掛けてくる。
それならばと海人は警戒心を解きかけるが、海人達の中の誰もが男に返事を返さないでいて、誰が知り合いなのかと顔を見合わせあっていた。
「ボ、ボクの事、まさか忘れた訳じゃないよね? 聖沢さん……っ」
男子学生は焦っているのか、額に汗を浮かべながら桃子に問い掛ける。
どうやら桃子の知り合いのようだが、当人は全く憶えていないのか、首を傾げつつ問いかけた。
「あの~……、すみません。どちら様でしょうか?」
恐る恐る、申し訳無いといった風に桃子は尋ねてみたものの、相手へのダメージは大きかったようだ。
男は目を見開いた後に涙を浮かべ、肩を震わせながら素性を明かした。
「ボ、ボクは……、中学で……、同じクラスで……、二学期に隣の席だった……」
「そ、そうなんだ~……、ええっと……」
「本当に……、憶えていないだ……。ボクはずっと、ずっと君の事を考えていたのにぃ……、いつも君だけを見ていたのにぃ……っ」
クラスメイトに顔すら憶えられていなかったというのは精神的にショックだろう。
ましてや相手が想いを寄せている者となると、その衝撃は相当なものである。
桃子の悪女っぷりは昔からのようで、海人達は男子学生に同情するものの、一方で彼の出方に気を張る。
「で、でも、ボ、ボクは大丈夫だよ。これからはずっと、一緒に居れば……」
「え……? ちょっと待って。一緒にって――――」
「ボクと付き合おう? ボクなら君の事をよく知っているし、他の奴よりも絶対幸せにできるよ?」
自信満々に言い切った男子学生。
桃子の事を良く知っているというのはどういう意味なのか、どうやって調べたのか。
そもそもいつも見ていたとはいつの事なのか。
その想いは重たいものであって、背筋に悪寒が走るようで。
桃子は怯えたように震えながら海人の腕に掴まり、迷惑だと言って断った。
「は……? なんだよ、その男は……っ」
「ごめんなさい。私今、彼と付き合っているの」
「「はぁ……!?」」
突然の発言に声を上げた海人は、男子学生と声を被らせてしまう。
ここは話を合わせた方が良いのかも知れないが、相手は厄介そうであって、逆効果になるかもしれない。
そう皆が危惧した通り、男子学生は怒りを露わにしだした。
「ボ、ボクは知っているんだぞ! そいつとは付き合っていないって!」
「うぐっ……! で、でも、今好きな人は海人君だし!」
「で、でもでも、振られてもいるんだよね?」
「な……っ?! 何でそこまで――――」
「しかもそいつは、色んな女の子に手を出しているって! ゲス男だって!」
「はぁ!? なんで俺が――――」
そんな事はない筈だと、海人は周りに同意を求めるが、真帆や猿渡達は白い目を向け、アレイシヤは困ったように目線を逸らした。
これでは自分が嫌っている父親と一緒ではないかと、一瞬浮かんだ顔に苦い顔をした海人。
彼は名誉を挽回しようと男子学生の言い分を訂正する。
「か、勘違いしているようだけど、俺は女の子に手を出した事なんて一度も――――」
「五月蠅いうるさいウルサイ……っ!! お前さえ居なければ――――」
そう叫んだ男は海人に飛びかかってきた。
海人よりも小柄で、身体つきも細身であって。
敵う訳がないと、海人なら数分と掛からず抑え込めるだろうと皆は考えており、海人自身もそう思っていたが、状況は一変する。
男子学生は燃えるような赤い光を纏い、獣のような唸り声を上げて襲い掛かってきたのだった。
「これは――――」
それは体育祭の時に見た光景に酷似しており、咄嗟に海人は魔導装具を纏って身を守ろうとする。
しかし彼は大事な事を忘れていたのだった。
「あ、しまっ……――――」
海人の装具はヴァルトハインによって破壊されており、その力は現在失われている。
その事を失念していた海人の身は大きく飛んだ。




