9.起死回生の一手
禍々しい光を帯びた紫色の刀身のナイフ型魔導装具。
それは斬りつけたものを腐敗させる力を、魔神キノトグリスの力を宿しており、防御力に優れた水神龍の鎧すらも破壊した。
如何なるものをも腐食の力で蝕む刃に素手で触れるとどうなるのか。
肉は裂け、骨は崩れ、傷口は縫合手術も受け付けない有様に。
手首から先が腐り落ちるだけでなく、傷口から徐々に蝕まれ、身体は腐敗していくだろう。
「そんな……っ、まさか……――――」
倒れた海人に代わり、ヴァルトハインの勝負を受けて立ったガイラルド。
彼はヴァルトハインの持つ武器の力を知らなかったのか。迫りくる刃を素手で掴み、寸での所で防いだ。
鋭い刃は掌を傷付け、真っ赤な血が流れ出ている。
赤い滴が滴り落ちるだけでも見るに堪えない光景だが、海人はただの切り傷では済まないと分かり、ガイラルドの名を叫んだ。
「ガイラルド……っ!!」
「――――貴様は相も変わらず人を欺き、陥れ、掌で踊らせているようだな」
「……!?」
刃を止めた右手が腐り落ちる事を想像して顔色を青ざめさせていた海人だが、ガイラルドは苦悶の表情を浮かべる事も無く、冷ややかな言葉を口にする。
それ所かナイフを握りしめたままである彼は、空いている手でヴァルトハインの腕を掴んで軽々と投げ飛ばした。
「…………フンッ!!」
「この……っ、スカシ野郎がぁッ!!」
身軽なヴァルトハインは曲芸のように浮かび上がった身体をくねらせて地面へと降り立つ。
一見すると彼は無傷のようだが、ガイラルドに投げ飛ばされる前にナイフを握っていた左手を捻ったようだ。
彼の左手からナイフは離れ、左手は新たな武器を手には出来ないようである。
「…………チッ! 勝負は勝てば良いんだよ、勝てば!」
自由の利かない左手に、ガイラルドの言葉に舌打ちをするヴァルトハイン。
彼はどれだけ非難されようとも自分の考えを曲げようとはせず、戦い方を変える気はないようだ。
「戦だってそうだろうが……っ! どれだけえげつない事をしようが勝った方が正義で、どれだけ正々堂々と戦っても負けた方が悪だ……っ!!」
「貴様のような外道が正義を語るか……」
「ハッ! ……オッサン。テメェだってそうだろう? この世界に降り立ったのは何の為にだ? 魔導装具なんてモンを使っている時点で卑怯もクソもねぇだろうが」
勝つ為ならばどんな手段も厭わないと吠えるヴァルトハインは、新たな武器を手にしてガイラルドに攻撃を仕掛ける。
傷ついた右手を封じ、左手と両足で応戦するガイラルド。
ヴァルトハインは武器を持たず負傷した者を相手に容赦なく刃を振るうが、新たな傷は一つも付けられず、掠り傷すら負わせられないでいる。
「どうした? やはり貴様は口先だけの小物で終わるのか?」
不利な状況にも拘らず、ガイラルドは圧倒的な力を見せつけた。
素早さも、武器の扱いも人並み外れたヴァルトハインだが、ガイラルドにとってはまだまだのようである。
形勢は逆転。攻めていた筈のヴァルトハインが防御に徹し、守りに入っていた筈のガイラルドが攻撃側に転じる。
不規則なナイフ捌きを掻い潜り、下段から下顎を狙っての突き上げ。
軽く浮き上がった無防備な身体に叩き込まれる連撃。
最後は薙ぎ払う様な蹴りによってヴァルトハインの身体は軽く飛ばされて地面を無様に転がる。
「……ぐぅ……ッ!? …………ク、クソがァァァ!!!」
完膚なきまでに叩きのめされたように見えるヴァルトハインだが、まだ立ち上がる力は残されているようだ。
彼は思い通りにいかない怒りからか、周りに当り散らすようにして叫ぶ。
余裕を失い、頭に血が上りきってしまったヴァルトハインは宣言通りに卑劣な手段を取った。
「……やっ!? 何を――――……あぐっ……っ!」
小さな悲鳴に続いて苦しみから洩れる呻き声。
ヴァルトハインの次なる攻撃は魔導装具によるもので、真っ先に狙われたのは拘束されて自由の利かない真帆であった。
勝負に水を差すような真似を防ぐ名目で、椅子に座らされて拘束された真帆の周りには黒い影が纏わりついていたが、その影はヴァルトハインの命じるままに蠢き、真帆の身体を持ち上げて首を絞めた。
「嬢ちゃん……っ! このクソ餓鬼が……っ!!!」
人質に手を出されて怒りを露わにしたのは海人やガイラルドだけでない。
これまで勝負の行く末を見守っていたアウグストは真帆を助けようと踏み出すが、今度は彼を目がけてナイフが行く手を阻むようにして向かってきた。
「ぬお……っ!? 小さい嬢ちゃん達、無事か!?」
「は、はい……っ、私達は何とか……――」
「ぜ、全然大丈夫じゃないわよっっ!! きゃーーーー!! 何よコレ?!」
アウグストに向かってナイフが飛ぶのと同時に、アレイシヤと桃子の元へもナイフが放たれる。
迫りくる刃を避けたアウグストは、転がっていた廃材の鉄パイプを拾い上げて飛び交うナイフを叩き落として難を逃れ、アレイシヤは杖型の魔導装具で障壁を張り、自身と桃子の身を守る。
どうにか攻撃を防げたが、それは一時凌ぎに過ぎない。
弾かれたナイフは再び黒い光を帯びて向かってきていた。
「アハハ! 踊れ踊れ!! アンタ達にはそれがお似合いだよ」
「ヴァルトハイン……っ、貴様は…………っ!!」
最早これは勝負と言えない。
狂人の戯れを目の前にして、傷を負っても眉一つ動かさなかったガイラルドが眉間に深い皺を刻み、怒りを露わにしている。
これまでは同じ君主に仕える騎士として多少手心を加えてもいたようだが、凶行を目の当たりにしてその必要は無かったと悟ったようだ。
前口上なしでガイラルドから攻撃を仕掛けようとして踏み出すが、彼はそれ以上身動きを取れなくなった。
「良いのか、オッサン。この女がどうなっても」
「…………っ!!」
ガイラルドの行く手を阻んだのは宙に浮かぶ椅子に拘束された真帆であった。
彼女の身体はヴァルトハインが操る影によって締め付けられ、操り人形のように扱われている。
肉の盾と化した彼女を前にして、ガイラルドはなす術もなかった。
「まさか第一の騎士団長サマが敵である筈のゴミ屑異世界人の為にそこまでするなんてなぁ……」
「……」
「あれだけ偉そうにしていた奴が……、ククッ……! 無様だね~」
手も足も出ないガイラルドの姿を嘲笑うヴァルトハイン。
彼は無抵抗な者を笑い飛ばすだけでなく、投げナイフを使って自身の優位さを確かめる。
放たれたナイフはガイラルドの肩や頬を掠め、浅い切り傷からは薄っすらと血が滲み出す。
だが、ガイラルドは微動だにせず、ヴァルトハインに冷ややかな目を向けた。
「貴様は随分とこちら側の人々を軽んじているようだな」
「ハァ……? 当たり前だろうがッ! 戦う力なんて有りもしない、装具もまともに使えないゴミ屑共に何を言って――――」
卑劣な手段を用いたが、かねてから狙っていた宿敵を下した。
何もかもが思うがままになったと、勝利に酔いしれていたヴァルトハイン。
そのような彼の姿を前にして、ガイラルドは笑わずにはいられなかったようで、僅かにだが口元を緩めた。
「おいオッサン。テメェ何を笑っていやが――――……なっ!?」
ガイラルドは真帆という人質を盾にされて身動きが取れずにいた。
アウグストとアレイシヤと桃子は飛び交う無数のナイフを防ぐのに手一杯であった。
誰も自分の邪魔はしないと、傲り高ぶっていたヴァルトハインは思わぬ者から攻撃を食らう。
「な、にぃ……っ?!」
放たれたのは蒼色の二筋の光。
一つは高笑いをしていたヴァルトハインの左手の甲を貫き、もう一つは真帆を拘束していた黒い影の源に。椅子に刺さった魔導装具のナイフを破壊した。
左手を捻り、右手を負傷し、両手に武器が握れなくなったヴァルトハイン。
彼は忌々しそうに表情を歪めて、離れた所で倒れたままの者を睨み付けて叫ぶ。
「テメェェェ……っ!! この死にぞこないがぁぁぁッ!!!」
ヴァルトハインの不意を突き、彼への攻撃と装具を破壊して人質の解放をした者。
それは身に纏っていた全身鎧を篭手の部分だけ残し、横たわったまま手を伸ばす海人であった。
「よくやった坊主! 次はお主の番だぞ、ガイラルド」
「貴公に言われずとも分かっている」
装具が破壊されたことにより、真帆の拘束は解けて宙に浮いていた椅子も元通りに。
急に浮力を失い、真帆は落下して床に身体を打ち付けかねない所だったが、駆け寄ったアウグストによって抱き留められて難を逃れた。
アウグストは真帆を助けてホッと息を吐く間もなく、手にしていた鉄パイプをガイラルドへと投げて寄越す。
魔導装具に比べれば鉄パイプなど武器として頼りないどころではないが、素手で戦うよりも立ち回りやすいのだろう。
ガイラルドは瞬く間にヴァルトハインを追い詰め、勝負は決した。
両手を潰され、武器を握れなくなったヴァルトハイン。
魔導装具の力。影を操る事はまだ続けられそうであったが、装具を使えるのは無限にではない。
引き際を心得ているヴァルトハインは影を拡散させて煙幕のようにして身を隠し、海人達の前から姿を消した。
「海人君……っ!! は、早く回復しなくちゃ……っ!」
脅威が去り、真っ先に声を上げたのは桃子で、彼女は倒れている海人の元へと駆け寄るが、海人は礼だけを言って治療を断る。
「俺よりも先に……、ガイラルドさんの傷を看て欲しい」
「え、で、でも……」
「……頼む」
海人から頼まれた桃子は嫌とは言えないようで、更にはアレイシヤからも海人は怪我よりも精神力を使い果たしているので肉体の回復は後回しで良いと言われ、桃子は戸惑いつつも応じた。
「カイトさん、今から私の精神力を分けます。これで少しは楽になると思いますので……」
「アーシャも、ありがとう。それから、面倒を掛けてごめん……」
「いいえ、このくらい。なんてことはないですよ」
アレイシヤが用いた装具により、海人は自力で立ち上がれるまでに回復した。
けれどもまだ歩行には難があるようで、アレイシヤに支えられて立っている。
ゆっくりとした歩みで彼は真帆の無事を確かめ、アウグストに礼を述べ、最後にガイラルドと向かい合う。
「…………嘘を、吐いたな」
「…………はい。…………すみません……でした」
嘘を吐き、一人で飛び出していった結果がこの様で。
合わせる顔が無いと思っている海人は視線を落としながら非を認める。
どれだけ詰られても仕方がない。
突き放されて、もう二度と稽古をつけてくれなくても仕方ないと、海人は覚悟をしていたが、ガイラルドの反応は違っていた。
「奴の手を貫いた一撃。鋭く、狙いも定かであったな」
「……え、あ……、それは……」
「…………あの状態で、良くやった」
「……!」
思いがけない称賛の言葉。
それにより沈んでいた海人の表情は、間抜けな面へと変わる。
彼が呆然としているのは稽古をつけてくれる者から褒められる事など今までなかったからであって、どう受け止めて良いか分からずにいるようだ。
「カイトさん、……良かったですね」
「よ、良かったっていうのは……」
「稽古での弛まぬ努力が身になっているという事ですよ」
「……そう、なのか……?」
打ちのめされもしたが、着実に力がついていると。
アレイシヤに言われてようやく悟った海人。
嬉しさから口元が綻ぶが、慢心は出来ない。
一つ間違えば大事に、それ以上の悲惨な結果を招いたかもしれない。
「皆まで言わずとも、何を省みるかは心得ているな」
「はい……!」
ガイラルドの問いに海人は迷うことなく頷く。
そして彼は今日の出来事を受けた痛みと共に記憶へ深く刻み、自身の至らなさを受け入れて、また一歩成長した。




