3.解放の儀式
暗い室内を照らすのは蝋燭に灯された炎。
床に広げた紙に描かれているのは円と線。そして海人と真帆には解読できない文字で形成された魔法陣。
その中心部にはつい先ほど復元を終えたアンクレット型の装具が置かれ、アレイシヤは向かい合うようにして立っている。
一呼吸。深く息を吸ってゆっくりと吐いたアレイシヤは瞳を閉じ、手にした銀の槌を構えて呪文を紡ぐ。
すると魔法陣を取り囲むようにして置かれていた蝋燭の炎が揺らめき、オレンジ色から緑色へと変化した。
「こ、これは……」
「海人。ここは静かにしていないと――」
「あ、ああ……。悪かった」
思わず声を上げて身を乗り出しかけた海人だが、隣に座っている真帆から小声で窘められ、大人しく座り直す。
集中しているアレイシヤの気を乱してしまったかと海人は慌てるが、彼の声は届いていなかったようで、アレイシヤは呪文を紡ぎ続けていた。
緑色の炎に呼応するようにして描かれた魔法陣にも同じ色の光が走り、中央に置かれた装具へと光は収束する。
緑の光に包まれた装具は宙に浮かび、装具に填められていた緑色の石には亀裂が。
石は粉々に砕け、それと同時に中から小さな獣が姿を現した。
「あれは……、鳥……? いや、四本足で……、でも羽が生えて……」
驚く海人の前でその獣、鷲のような頭部と翼を持ち、獅子のような下半身を持つ獣は翼をはためかせ、アレイシヤにじゃれつくようにして中空を駆け廻る。
アレイシヤの説明によると、獣はグリフォンの幼体であって、風を操る力を持っているそうだ。
グリフォンは実体を持たぬ魂だけの存在なのか、その姿は向こう側が透けて見えた。
「さぁ、貴方の在るべき世界へと還りなさい……」
檻から解放してくれた恩義を感じているようで、グリフォンはアレイシヤにすり寄り名残惜しそうにしている。
暫しの間、小さなグリフォンはアレイシヤの傍から離れなかったが、彷徨える魂を導くようにして現れた光の柱を前に、小さく鳴いて飛び込んで行った。
封じ込められていた精霊獣が解き放たれたからか。
光の柱が消えた後、銀色のアンクレットは力を失い魔法陣の上に落ちた。
「……これで精霊獣は、精霊界へと戻れました」
「そうか……。解放されたようで良かったな……」
「……本当に良かったのでしょうか」
「……? どういう事だ?」
囚われていた精霊獣を解放したにもかかわらず、アレイシヤは浮かない顔をしており、海人と真帆は疑問を抱く。
海人が何故かと問い掛けると、アレイシヤは悔しそうな表情でグリフォンの行く先を告げた。
「戻れたと言っても、魂だけが精霊界へと戻れただけで、あのグリフォンの子どもはもう自由に空を飛び回ることも出来ません……」
還るべき器である肉体は破壊され、装具の一部として使われている。
行き場を失くした魂は精霊界の中心にある世界樹に取り込まれ、新たな命として生まれ変わるそうだが、幼い命を非道な手段で殺めた事実は変わらない。
己が犯した罪ではない筈なのだが、アレイシヤは亡くした命を悼むだけでなく、自責の念に駆られているようであった。
「でも、アーシャのお蔭でグリフォンの子は解放されたんだろう?」
「カイトさん……。で、ですが……、本当に意味で救えたわけでは……」
「あんなに嬉しそうに飛び回っていたじゃないか」
「そうね。海人の言う通り、私からもあの子は喜んでいたように見えたわ」
「マホさんも……、そう思われたのですか」
不安そうなアレイシヤに対して真帆は深く頷き、出来る限りの事は出来たのだと、アレイシヤの頑張りを称える。
二人の言葉で肩の荷が下りたのか。
アレイシヤは強張っていた表情をいつも通りの柔らかなものへと変え、大きく息を吐き出した。
「ア、アーシャ!?」
「あ……、そ、その、すみません……」
装具の件は一先ず片付いたかと思われたが、封じ込められた精霊獣の解放には相当な負担が掛かったようだ。
緊張の糸が解けたせいもあってか、アレイシヤは一歩踏み出した所で倒れかかり、咄嗟に動いた海人に抱き留められる。
「謝る事なんてないさ。……お疲れ様。今日はゆっくり休んだ方が良いぞ」
「で、でも、まだこの装具を作り出した者の特定が――」
「ここの所夜遅くまで頑張っていただろう? 少しは休まないと――」
「アーシャちゃん、海人の言う通りよ。適度に休息を挟まないと、作業の効率も悪くなる筈だわ」
「は、はい……。そう……、ですね……」
このまま作業を続けさせれば倒れかねないと。そう判断した海人と真帆は結託してアレイシヤを休ませようとする。
「……とは言っても、この部屋では無理そうね」
真帆が呆れた顔で指摘した通り、装具の復元と精霊獣解放の儀式を行った場所はアレイシヤが私室として使用している客間であって、今は様々な物が足の踏み場が無い程に散乱しており、布団を敷けるようなスペースは空いていない。
竜堂家はかなり広く部屋数も多いが、現在はガイラルドとアウグストがそれぞれ私室として使用している為、空き部屋が無い。
明日からはまた作業に戻る事を考えると、片付けてしまうのも良くないようで、端に追いやって寝る場所を確保してもアレイシヤはゆっくりと休めないだろうと、目を離せば作業に戻りかねないので、この部屋で休ませるというのは無しになった。
「となれば、一つしかないわね」
「ああ、俺の部屋ならテーブルを端に置けば……」
「え……っ!?」
「……。……海人、貴方それ本気で言っているの?」
「何か問題でもあるのか?」
海人の大胆な提案に頬を赤らめてあたふたとしているアレイシヤ。
彼女をそうさせてしまった当人はというと、何がいけないのかさっぱり分かっていないようで、小首を傾げている。
盛大な溜息を吐いた真帆はどうすれば良いのかと困惑しているアレイシヤの肩を抱き、海人に侮蔑の眼差しを向けながら提案をした。
「アーシャちゃんは私の部屋で休んで貰います」
「え!?」
「そ、そんな急に良いのかよ?」
「そ、そうです……! 夜遅くにいきなり押し掛けるなど、ご迷惑では――――」
アレイシヤの心配を払拭するためにか。
真帆は携帯電話を取り出して二言三言交わした後に笑顔で頷く。
どうやら占部家の了解が取れたらしく、アレイシヤは占部家に泊まる事となった。
「真帆、本当に良いのか?」
「良いに決まっているでしょう。そ・れ・に、誰かさんと一緒の部屋に寝るより何百倍もマシってものでしょう?」
「……どうしてそこまで言われなきゃいけないんだよ。俺の部屋は結構片付いているし、そこまで狭いわけでもないし……」
「ちなみに海人の部屋を掃除して綺麗にしているのは私ね」
「うぐ……っ」
「それから、海人は前科もちでしょう?」
「はぁ?! 前科って――」
「もう忘れたの? 寝惚けてアーシャちゃんに抱き着いたでしょう!?」
「あ……」
抱き着かれた当人であるアレイシヤは気にしていないと言っているが、そのような真似を何度もさせる訳にはいかないと、真帆は息巻く。
真帆の勢いに気圧されてか、己の行いを反省したのか。
それ以上海人が口を開くことは無く、真帆とアレイシヤは肩を落とした海人を残して占部家へと向かった。
占部家に泊まる事となったアレイシヤは真帆と共にお風呂へ。
真帆は湯船で眠りかけたアレイシヤをどうにかこうにか起こし、二人揃って歯磨きも済ませた後に寝床へ直行する。
初めてのお泊りとあって、女の子同士なら色々な話に花を咲かせるところだが、今回はアレイシヤをゆっくりと休ませるのが目的であるからして、二人は早々に就寝の挨拶を済ませて眠りに就こうとした。
「それじゃ、お休みなさい」
「は、はい……。お休みなさい……」
明かりを消して暗くなった室内。
真帆にとってはいつもより就寝時間が早いようだが、アレイシヤに合わせて彼女も眠りに就こうとする。
これでアレイシヤもゆっくり休息を取れるだろうと、そう思っていた真帆だが、彼女はある事を思い出してハッとし、勢いよく上半身を起こした。
「……マ、マホさん? どうかされましたか?」
「あ……、いや……。な、何でもないのよ」
真帆の様子に何事かと思ったようでアレイシヤも身を起こして問い掛けてくる。
彼女には心配をかけまいと、真帆は取り繕おうとするものの、彼女が気づいた事にはこの部屋にある物が必要なようで、観念して正直に話した。
「……数学の課題、やっていなかったなぁ……って」
「あ……っ! わ、私も……です」
学業においては優秀な真帆らしからぬミス。
明日、授業が始まる前に誰かに写させてもらうという手もあるが、真帆はプライドが許さないのだろう。
彼女と同じくアレイシヤも課題を終わらせていないようだが、そこは私に任せてと言い、真帆は教科書やノートが入っている通学鞄を手にして居間へと降りた。
「――――私が写させてもらうなんてあり得ないし、どちらかと言うと写させてあげる立場なんだから」
誰かに写させて貰うとなると、小馬鹿にしてくる桃子の姿が浮かぶようで、そのような状況は絶対避けたい。
そしてきっと海人も課題を忘れているだろうと、それならば自分が写させてあげなくてはと思っているようで、真帆はコーヒーを飲みつつ課題を進める。
「――――あと1ページ……って、あれ……?」
終わりが見え掛けた所で真帆は手にしていた筆記用具、シャーペンを何度かノックして首を傾げる。
カチカチと音はすれども芯は出ない。つまりは芯を切らしてしまったのだが、ペンケースを覗いた真帆は苦々しい顔をした。
「あぁ……。替えの芯も無い……。そう言えば、今日の授業で海人に残りをあげちゃったんだ……」
予備は私室の机にあるが、引き出しを開けて音を立てずに取り出すのは難しい。
せっかく眠りに就いたアレイシヤを起こしてはいけないと思った真帆は、通学鞄から財布を取り出し携帯電話と一緒にポケットに入れて近所のコンビニへと向かった。
占部家から一番近いコンビニは自転車に乗れば五分とかからない場所にある。
夜遅くであるがそれくらいの距離なら大丈夫だろうと、いざとなれば装具もあるのだからと真帆は危機感を抱くことなく家を出た。
竜堂家はお隣なのだから貸した分を返して貰うという手もあったが、海人もアレイシヤの徹夜に付き合っていたようで、今はぐっすり寝ているだろう。
そう判断した真帆は竜堂家の前を通り過ぎていった。
「――――これであと1ページを終わらせるだけね」
何事もなくコンビニに辿り着き、無事に買い物を終えた真帆。
替え芯と共に購入したのは期間限定のマンゴー味のアイスで、これは課題を頑張る自分へのご褒美である。
真帆はアイスが溶けてしまわないように帰りを急いでいたが、彼女が店先に置いてあった自転車の鍵を外していた所、背後から近づいて来た者達に声を掛けられて足止めを食らってしまった。
「お姉さ~ん。一人でお買い物?」
「…………お姉さん?」
見た目から素行の悪さが見て取れる三人組の男。
彼らはナンパをするつもりなのか、買い物を終えた真帆に声を掛けてきたのだが、真帆は男の声のかけ方が気に食わなかったようだ。
三人組は大学生くらいであって、彼らよりも年若い自分が何故お姉さん呼ばわりされなければならないのかと、真帆は文句をつけたい所であったが、こういった手合いは相手にしない方が良いだろうと冷静に判断し、無視を決め込み自転車に乗って漕ぎ出そうとした。
「まぁまぁちょっと待ってよ!」
「少しくらいいいだろう?」
「な……っ! は、放してください!」
男達の一人は行く先を阻むように立ち塞がり、もう一人は自転車の荷台に手を掛ける。
三人目は値踏みをするようにしてつま先から顔までをじっくりと眺めた後に、嫌がる真帆をしつこく誘う。
「あの……、私、急いでいるので……」
「えぇ~、いいじゃん。お家何処? 何なら俺達が送って行ってあげるよ」
「いえ、結構です。家が近くですし、自転車もありますし……」
「じゃ、自転車乗せちゃえば良いんじゃね?」
男が指差したのは駐車スペースに停められた大きいワゴン車であった。
確かに自転車が余裕で積み込めるほどの大きさではあるが、その車に乗ったら最後、何をされるかは容易に想像でき、最悪の結果になるだろうと分かる。
「……か、買い忘れがあったので、失礼します」
「あ、ちょっと待ってよ――」
店内に入りさえすればどうにかなると、後で海人にでも連絡を入れて迎えに来てもらえばよいと判断した真帆は、自転車籠の中の買い物袋を手にして店内へと駆けこもうとする。
行く先を遮られてしまうかと不安が過ったが、男達は全く動き出さない。
これで諦めてくれたのかと、真帆はホッと胸を撫で下ろしていたが、背後から聞こえた呻き声に思わず振り返ってしまった。
「な……っ!?」
そこに立っていたのは上下共に黒い衣服を纏った一人の人で、病弱そうな白い肌に中性的な顔立ちから、性別は分かりかねた。
その者の足元にはつい先程真帆をしつこく誘ってきた三人組の男達が横たわっており、彼らは腹を押さえながら呻き声を上げている。
「あ、貴方は――――」
黒尽くめの者が誰であるのか。
真帆が思い出して声を上げる前に、その者はニヤリと笑い手を伸ばしてきた。




