1.円卓を囲んで
六月も半ば過ぎ。
長雨は洗濯物が乾かないという不便さだけでなく、ジトジトとした湿気を纏わりつかせ、不快感を覚えさせている。
ジメジメとした気候に気が滅入る所であるが、その一方で夜には雨が止み、今度は肌寒さを感じるくらいに冷え込むなど、天候に翻弄される日々は続く。
もうすぐ夏だというのに掛け布団が手放せないような夜。
一人の少女は頬に当たる冷たい風で目を覚ました。
「――――……っ、どこ……なの? ここは――――」
長い黒髪を一纏めにし、普段は眼鏡を掛けた少女。
占部真帆はゆっくりと身体を起こそうとして、そこで自身の置かれている状況にハッとした。
「な、何よコレ――――」
起き抜けでかすんだ目を擦ろうにも手は伸ばせず、横たわった身体を起こそうにも簡単には起こせない。
それは両手を後ろに拘束されているからであって、両足首も同様にロープで縛られていた。
「どうして……、こんな事に……っ」
いくら身を捩ってもロープは解けそうにない。
暫くもがいてみたが、体力を無駄に浪費するばかりだと気付き、真帆は拘束を解くのを諦める。
次に彼女がとった行動はここが何処であるのかを確認する事であった。
「ここは……、何処なのよ……」
真帆が身を横たえていた場所は革張りのソファーの上で、年季が入っているのか、内部のスプリングがくたびれているようで寝心地は良くなく、破れた箇所からは黄ばんだウレタンが覗いている。
周辺にあるのはテーブルに椅子、ライトスタンドと、ある程度生活に必要な家具が揃っているようだが、そのどれもが古びていて、リサイクルショップで揃えたと言うよりも、廃品からくすねてきたように思われた。
「……へくちゅん! ……うう、……寒っ」
長い間掃除がされていないようで空気は埃っぽく、更に付け加えれば室内は無駄に広いために室温が低く、おまけに窓は一部が割れているようで、風が吹き込んできている。
遠くを見つめていた真帆はそこで視界がはっきりとしない事に気が付き、自身が眼鏡を掛けていないのだと知った。
「あ、あれ……っ、眼鏡……、何処に……っ」
「それってコレの事か?」
「そ、そう! それは私の――――って、貴方は……っ!?」
ソファーの背もたれの後ろ側にでも隠れていたのか。
突然姿を現した黒尽くめの男は真帆の眼鏡を手にし、口元に弧を描いている。
彼は一体何を考えているのか。真帆が返却を要求する前に眼鏡を持ち主に、身動きが出来ない彼女にただ返すだけでなく、丁寧な事に眼鏡を掛けさせた。
男の行動を訝しげに思う真帆であったが、眼鏡を掛けた事によりハッキリとした彼の姿に驚愕した。
「あ……、貴方は……――――」
中性的な顔立ちに病的なまでの白い肌。
弱々しそうな見た目をしているが、彼は騎士であって、副団長を務めるほどの腕前を持っていた。
「……ヴァルトハイン!?」
「へぇ……。俺様の事を憶えていたのか」
「あ、当たり前でしょう……っ。あんな事をした人を簡単に忘れられる訳ないじゃない……!」
彼は以前、アレイシヤの身の回りの物を揃えるために出掛けた先であるショッピングモールで騒動を起こしており、その一件は真帆が力を得る切っ掛けにもなった。
人が多く行き交う場所で暴れ、それを楽しんでいる辺り、ヴァルトハインは他の侵略者達とは違っているようで、アレイシヤから聞かされた話も良い印象を与えないものばかりであった。
ケタケタと笑うヴァルトハインとは対照的に、真帆はゴクリと喉を鳴らし、これから己の身に起こるであろう事柄を想像して身を震わせた。
真帆がヴァルトハインによって拘束された時より遡る事二時間程前。
彼女はいつも通り竜堂家にて晩御飯を用意し、後片付けを済ませた後に居間で一息ついていた。
同じ卓を囲んで食後のお茶を飲んでいるのは真帆と海人の祖父である重蔵と、居候のガイラルドとアウグストである。
女子高生一人と老人二人と初老の男という組み合わせは妙であるが、それは竜堂家の日常風景となりつつあって、違和感を覚えていた真帆も今ではすっかりと馴染んでいるようだ。
「嬢ちゃん。坊主とちっこい嬢ちゃんはまだ部屋に引きこもっているのか?」
茶をずずっとすすってから問い掛けてきたのはアウグストで、彼は海人とアレイシヤの様子を気に掛けているようだ。
アウグストの言う通り、何時もならば海人とアレイシヤもこの場に居る筈なのだが、二人は訳あってここ数日アレイシヤの私室に入り浸っている。
「もう少しで復元できるそうですから、そろそろかと……」
「そうか……。ワシらは武器を扱うばかりで武器の造りに関してはサッパリだからなぁ……。門外漢は大人しくしておいて、今はちっこい嬢ちゃんに任せるしかないか」
アウグストは力になれない事が申し訳ないといった様子であったが、ガイラルドは致し方ない事だと言いつつ、アウグストの発言を訂正した。
「畑違いと言えば、あの娘もそうだろう。時間が掛かるのは致し方あるまい」
アレイシヤが取り掛かっているのは破壊された装具の復元であって、それは赤星亮平が身に着けていた物であった。
力を得る代わりに徐々に自我を蝕まれていくその装具は、海人達が身に着けている魔導装具とは似て非なるものであって、アレイシヤも存在は知っていたようだが触れるのは初めてだそうだ。
少しでも手がかりを得る為にアレイシヤは復元作業を続けているが、彼女が知る製法とは違う点があるようで、作業は難航しているのであった。
「後でまたお茶でも持って行って様子を見てきますね」
「おお、それじゃワシも覗いてみようか――――」
「アウグスト。貴公はやらねばならん事があるだろう?」
「やらねばならん事……。はて、何の事だ?」
「……支度は済んだのか?」
「ああ、それならば問題ないぞ。なぁ、ジューゾー殿よ」
アウグストはニカっと笑みを浮かべており、彼に同意を求められた重蔵は深く頷く。
ガイラルドの言う支度とは旅行の準備の事で、明日から二泊三日、アウグストと重蔵は温泉旅行に出かける予定となっている。
二人が何故旅行に行く事となったのか。
それは真帆が買い物の際に福引で旅行券を引き当てたからであって、券の期限は短く、尚且つ平日限定とあって真帆達には使いようが無いからで、さらに言えばその時の真帆の買い物が竜堂家の食料品という事で、最終的に重蔵の手に渡ったのである。
真帆は日頃お世話になっているからと言って重蔵に券を譲ったのだが、重蔵は自分達の方が世話を掛けているばかりだと言って、いまだに申し訳ない気持ちでいるようだ。
「しかし本当に良かったのか?」
「良いんですよ、お爺さん。券を無駄にするのもなんですし。それよりも……」
そこで真帆はチラリとアウグストを見てから重蔵へと目配せをする。
旅行券は二名一組で、真っ先に名乗りを上げたのがアウグストで。
ガイラルドはハナから行く気が無いようなので、共に行く者はすぐに決まった。
誰と行くかで揉めなくて済んだのだが、体育祭まで乗り込んでくるアウグストと一緒というのは重蔵に負担が掛かるのではと、真帆は心配しているようであった。
真帆が不安に思っている事に気が付いたのか、アウグストはドンと熱い胸板を叩いて言った。
「嬢ちゃん、心配ならいらんぞ」
「え……?」
「ジューゾー殿の事ならワシに任せてくれ」
「は、はぁ……」
ガハハと笑うアウグストにどう切り返せばよいのかと困り果てていた真帆。
彼女を助けたのは寡黙なガイラルドで、彼は旅行前から調子に乗っているアウグストをひと睨みして窘めた。
「アウグスト。気掛かりなのは貴公の方だ」
「ム? 何を言っておる。お主と違ってワシはこちらの世界に馴染んでおるぞ」
アウグストの言う通り、ガイラルドは家に居る事が多く、海人の修行に付き合ったり、己の身体を鍛えるばかりである。
一方アウグストは家に居る事が少なく、重蔵と共に出掛けて地域の行事に参加するなど、すっかりこの町の住人と化していた。
真帆達にとってはガイラルドのように家で大人しくしておいてくれた方が安堵できるのだが、奔放なアウグストに対して言い聞かせたり家に縛りつけるような真似はおいそれと出来ない。
相手は目上の者であって、騎士団の団長であって、封じられているが強大な力を持っていて。様々な理由から強く言い出せないどころか、それとなく伝えるのも難しかった。
「……貴公は。……己の立場というものを今一度考えるべきだな」
「そのような事を言っているが、実のところお主も温泉に行きたかったのではないのか?」
「……。貴公と言葉を交わすのは異世界人と言葉を交わすよりも困難だという事がよく分かった」
アウグストが騒動を起こしていないのはガイラルドのお蔭であって、現にこうして窘めてくれているが、それも相当に苦労しているようだ。
真帆は心の中でガイラルドに感謝と労りを、先の事は重蔵が任せてくれと合図をしていたので、旅行の件は彼に託すこととした。
「ガイラルドよ。前々から言おうと思っていたのだが。お主、そう肩肘張ってばかりで疲れはせんのか?」
「貴公こそ、その出鱈目な生き方を恥じたりはしないのか?」
いつものアウグストならばガイラルドの小言を聞き流すのだが、今日に限っては引っかかるようで、二人は口論を続けている。
これはしばらく続くだろうと、そう察した重蔵は不毛な争いに巻き込まれぬようにと、真帆に海人達へお茶を運ぶようにと頼んで席を外させた。
気遣ってくれた重蔵に礼を述べた真帆は台所へ。
お茶と手に取りやすいお菓子を盆に乗せて、アレイシヤが私室としている部屋へと向かった。
竜堂家の母屋の端の方にある客間は現在アレイシヤが私室として使っている部屋であって、そこでアレイシヤは装具の復元作業を行っていた。
細やかな作業であって、神経を使うからか。
室内から音が漏れることは無く、シンと静まり返っている。
お茶を差し入れに来た真帆は邪魔をしては良くないと感じたようで、中々部屋に立ち入れず、お盆を手にしたまま襖の前で佇んでいた。
どう声を掛けるか、どのタイミングが良いのかを窺っていた真帆だが、彼女が声を掛けるより先に目前で襖が開かれた。
急に部屋から出てきて真帆を驚かせたのは海人で、彼も少しばかり驚いているようだ。
「……! 真帆。来ていたのか?」
「あ、うん……。今来たところよ。そろそろ休憩を挟んだらどうかなって……」
「ああ、ありがとう。でも丁度良かったよ」
「丁度良かった、って?」
「一先ず復元が終わったって。だから呼びに行こうと思っていたんだ」
どうやら良いタイミングで部屋を訪れたようで、海人は真帆が持っていたお盆を受け取ると、彼女を室内に招き入れた。
いつもは埃一つなく、綺麗に使われているアレイシヤの私室。
それが今では本や紙が方々に散らばり、テーブルの上にも工具と思しき物が散乱している。
真帆は足元に気を付けてアレイシヤの傍へと近づき、腰を下ろしてお疲れ様と声を掛けた。
「お、お待たせしてすみません……」
「待たせただなんて、そんな事ないわよ。こちらこそ、何も手伝えなくてごめんなさい」
「い、いいえ。マホさんにはいつも美味しいご飯を作って頂いていますので……。寧ろ私がお役に立てるのはこのくらいしか……」
畏まってお互い頭を下げ合う真帆とアレイシヤ。
これではいつまでたっても先に進まないと、海人はコホンとワザとらしく咳をして間に入り、話を先へと進めさせた。
「と、取り敢えず、元の形には戻せました」
「それで、これからどうするんだ?」
「この先は……、誰が作り出したのかを解析したい所ですが、先に精霊を解放したいと、檻を破壊したいと思います」
数日かけてようやく完成させたものを破壊するとはどういう事なのかと、真帆と海人は驚きつつ疑問を抱く。
アレイシヤは二人の問いに答えるよう、装具がどういった造りなのかを説明した。




