12.追って追われて、その果てで
ザアザアと音を立てて振り続ける雨。
飛沫により視界は霞み、はけきれなかった水により地面はぬかるみ、運動場は最悪のコンディションであった。
豪雨によって体育祭は中止となり、生徒達や教師達は体育館へと避難しており、運動場には生徒や教師の姿が無かった。
今そこに居るのは蒼い鎧を纏った海人と、自我を失い獣のようになってしまった亮平の二人だけである。
「……っ。ちょこまかと――――」
亮平の正気を取り戻すには彼を大人しくさせる必要があるのだが、そう簡単にはいかない。
野生の勘というものだろうか。
先程までは首筋に噛付こうとするなど、亮平は果敢に攻めてきていた。
それが一転。今度は海人が捕まえようとしてにじり寄ると、亮平は危機を察知したのか、飛び退いて距離をとるのであった。
「――――迷子犬を捕まえた事は何度かあったけど、ここまで大きいのは無かったしなぁ……」
これまでに海人は人助けで逃げたペットを見つけて捕獲したことが何度かある。
だが、捕まえたペットの中で一番大きかったのはゴールデンレトリバーであって、亮平の方が大きく、そもそも彼は海人よりも少しばかり背が高い位であって、体格差は不利であった。
それに付け加え、ペット探しの際は餌やお気に入りのおもちゃで釣るなど、誘き寄せる手段を持ち合わせていたが、今はそういったものを用意できないどころか、亮平が何に食いつくか分からない。
「追い込もうにもこう広くっちゃあ無理、か……」
運動場は広く、遮蔽物も無いに等しい。
各クラスの応援席である場所にはテントが建てられていたが、それは逆に海人の行く先を阻むものに。
勢い余って柱にぶつかり、屋根が落ちてくるなどして邪魔にしかならなかった。
「……っ。身体能力が向上しただけじゃなくて、疲労も感じないのか……?」
追いかけっこが始まって10分が過ぎた頃。
全力を出していた海人には疲労の色が見え始め、足を滑らせて倒れ込むなど、動きが鈍ってきていた。
その一方、亮平は全く疲れを感じさせぬ動きであって、海人が弱っているのも見計らって反撃を仕掛けてくるぐらいに余裕があるようだ。
「カ、カイトさん……っ!!」
ぬかるんだ地面に足元を取られ、派手に倒れ込む海人。
部活棟の屋根の上から見守っていたアレイシヤは声を上げて駆け寄ろうと、屋根から降りようとするが、海人に来るなと叫ばれて踏み止まる。
「で、ですが……っ」
「大丈夫だ……!! このくらい、なんてことは無い……っ」
泥まみれであった鎧は激しく打ち付ける雨によって洗い流される。
鎧の輝きは失われていないようだが、立ち姿は身に纏う者の具合を物語っていて、満身創痍という事が見て取れた。
何時もの海人ならばまだ倒れるような時間ではなく、動きにキレがあっておかしくはない。
ここまで追い詰められているのは午前中から数々の競技に選手として出場したからであって、体力バカである海人でも疲労が蓄積されていたからであった。
「回復を……っ! でもここからでは――――」
アレイシヤは回復の魔術を使おうとするものの、距離が離れていて発動できない。
ここは傍に行くしかないと、アレイシヤは覚悟して屋根から降りようとするが、海人は首を横に振った。
「私なら大丈夫です! 少しくらい怪我をしても、回復すれば――――」
「駄目だ……っ!! どんなに小さくても、傷つけさせない!!」
「カイトさん……」
優しさか、男のプライドか。
とにかく海人は自分一人でどうにかして見せると言い、這いつくばっている所から立ち上がり敵と対峙する。
それは無謀に見える行動であって、諌めるのが正しいとも思われるが、アレイシヤは海人の言葉を信じて頷く。
彼女の想いが届いたのか、海人の負けたくはないという意地が勝ったのか。
この場に駆けつける者達が。
昇降口には回復の術を使える桃子の姿が見えた。
「海人くーーんっ!! 助けに来たよーーーーっ!」
駆け寄ってくる桃子は今の亮平がどのような状態か分かっておらず、そもそも彼女には海人の事しか目に入っていないようである。
彼女が無防備であるといち早く気が付いたのは亮平であって、彼は瞬時にターゲットを切り替えた。
「来るな……っ、桃子……っ!!」
「え……?」
海人に制止を呼びかけられ、目を見開き驚く桃子。
彼女は途中で歩みを止めはしたが、迫りくる危機を前にして対処できる余裕はなかった。
煩いくらいの雨音と、雨が窓を打ち付ける音と、時折ゴロゴロという雷鳴が聞こえる長い廊下。
分厚い雲に覆われて陽が差さないのと、まだ照明が点いていないせいで校内は薄暗く、不気味な雰囲気である。
生徒や教師の姿が見当たらない無人の校内を進むのは桃子と真帆と犬飼で、三名は担任を言いくるめ、教師達の目から逃れ、戦う海人とアレイシヤの元へと向かっていた。
「よーし。この先もオッケーよ! 急ぎましょう!」
途中で誰かに見つかると皆が避難している体育館に戻されてしまう。
桃子達はそうならない為に曲がり角の度に止まり、安全を確認してから進む。
今の所は順調で、他の生徒や教師と遭遇することは無かったが、最後の曲がり角で足止めを食らわずにはいられなかった。
「あ……っ、アナタ達……っ!!」
昇降口付近に居たのは養護教諭のルイーザで、彼女はぐったりとしている颯太を支えていた。
どうやら彼女一人で颯太をここまで運んだようだが、男子生徒一人を運ぶのは騎士団長であった彼女にとっても大変であったようで、表情には疲労の色が見えた。
「わ……っ!! で、出たわね、厚化粧おばさん!」
「だ、誰が厚化粧のおばさんですって……っ!?」
ルイーザが事あるごとに海人へちょっかいをかけるからか。
桃子はルイーザの事を快く思っていないらしく、それを隠す事無く暴言と態度で示している。
対してルイーザは疲れているせいか、大人の余裕はなくなり、桃子の言葉に目くじらを立てていた。
このままでは下らない諍いになってしまうと考えた真帆は、二人の間に入って現状を思い起こさせた。
「ちょっと桃子、それに先生も。今はそれ所じゃないでしょう」
「は……っ! そうだった!」
「フン……。それもそうね」
意外にも真帆の言葉をすんなりと受け入れた両者。
これで無駄な時間を取られなくて済むと思われたが、ルイーザが次に取った行動で桃子達はまたもや歩みを止められてしまった。
「それじゃ、私達はこれで――――」
「ちょっと、お待ちなさい!」
「何ですかぁ? 私達、急いでいるんですけど?」
面倒くさそうに返事をした桃子の態度にルイーザは苛立っているようで、目元が痙攣を起こしている。
これ以上桃子に対応を任せる訳にはいかないと、真帆が前に出てルイーザに話の続きを促した。
「誰でもいいから手を貸しなさい」
「それは――――」
「無理よ! 命に別状はないんでしょう? 海人君は今も戦っているんだから――――」
「フフ。アナタ達が行った所で大した役には立たないんじゃないかしら?」
「な……っ!!」
これまで棘のある態度を取ってきたせいか、ルイーザは容赦ない現実を言葉にして浴びせる。
そんな事はないと否定すればよいのだが、桃子は思い当たる節があるらしく、直ぐには言い返すことが出来ず、口を結んで押し黙る。
喚いていた桃子がようやく黙った所でルイーザは再度協力を仰ぐが、桃子がこのまま素直に従う筈もなかった。
「……っ、…………てる」
「なぁに? 聞こえませんわよ」
「そんなの……っ、言われなくても分かっているから!」
瞳を潤ませてキッと睨み付ける桃子。
彼女は理解してもらう必要などないと突っぱね、この場から走り去る。
自棄になっているようであって、何を仕出かすか分からないと感じた真帆は慌てつつもルイーザに一礼をして桃子の後を追いかけた。
「――――全く。そういう所がダメだって分からないのかしらね」
遠ざかる背中を見つめながらルイーザは深い溜息を吐く。
大人としては先行きを考えない子どもを諭さなくてはならないのだが、ルイーザにそこまでの義理は無い。
そもそも今の彼女は手が塞がっている状況であって、追いかける余裕はなかった。
桃子達は放っておくしかないと決め込んだ彼女は、一人残されていた犬飼に笑顔で問い掛けた。
「ちょっとアナタ。何処に行く気なのかしら?」
「……! 俺も、皆の所に……」
出遅れていた犬飼は桃子達の後を追いかけようとするも、ルイーザに捕まってしまう。
ルイーザは気を失った颯太を支えたままであって、走って逃げれば逃れられるのだが、押しに弱い犬飼には出来ないようだ。
「手を貸してくれるかしら?」
「……は、はい」
手を貸すというよりも、全てを押し付けるように。
犬飼は一人で颯太を背負い、保健室まで運ぶこととなる。
体が大きく、腕力がある彼にとっては何という事も無いのだが、海人や桃子達の事が気になるようで、彼はそわそわとした様子で昇降口を見ていた。
「よそ見していないで、早いところ保健室に行くわよ」
「わ、分かりました……」
「あの子達なら心配いらないわ。多分何とかなるでしょう」
「何とかって……」
「それより。アナタ、良い身体つきをしているわね」
「……!?」
「さぁ、早く行きましょう。この子を運んでくれたらたっぷりとお礼してあげるわ」
「……っ!!?」
仲間が戦っている最中に鼻を伸ばしている場合ではないと、犬飼は自分に言い聞かせて背筋を伸ばすが、色香を漂わせるルイーザの前では固い決意も簡単に揺らぐのであった。
ルイーザに無力だと指摘され、自暴自棄になっていたせいか。
桃子は慎重さを欠いたまま海人達の元へと駆けつけ、危機的状況に見舞われた。
彼女に迫りくるのは自我を失った亮平で、彼は獰猛な獣のような姿で桃子に襲い掛かった。
「きゃ……っ!!」
飛びかかってきた亮平に驚き、短く悲鳴を上げた桃子はドサッと音を立てて尻餅をつく。
後方に倒れたおかげで難を逃れはしたが、桃子がすぐに動けないのを良い事に、亮平は間髪入れず再び飛びかかろうとした。
「は、離れなさい……っ、この……っ!!
茫然としていた桃子とは違い、彼女の後を追いかけてきた真帆はすぐさま武器を手にして立ち向かう。
真帆の場合は目の前の光景に驚きもしたが、桃子を助けなければという気持ちが勝ったようだ。
彼女が手にした杖の先端には炎が灯されており、これまでの戦いでは杖を振るい炎の弾として遠距離攻撃を仕掛けていた。
だが今回は敵が目の前であって、その敵とは同級生である。
弾は放たず杖に炎を宿したまま、真帆は追い払うようにして振り回す。
一見すると無謀な行動にも思えたが、獣が炎を苦手とする習性が当てはまったようで、亮平はサッと飛び退いた。
「これでどうだ……っ!!」
獣が降り立った場所。そこを目がけて飛んできたのは円形の水の塊で、獣はその身を水に包まれて中空でもがいている。
それは水で出来た檻のようであって、獣は完全に身動きを封じられていた。
「海人……っ!」
「二人共、無事か……!?」
駆け寄ってきたのは海人で、彼は真帆達が無事なのを確認できてホッと胸を撫で下ろす。
水の術を行使して亮平を捕らえたのは海人のようで、彼は身に纏っていた蒼い鎧をほぼ脱ぎ去り、篭手のみを残していた。
「ええ、助かったわ。海人も怪我はない?」
「ああ、大丈夫だ」
「それにしても驚いたわ。海人、何時からそんな魔術が使えるようになっていたの?」
水を操る術はガイラルドの指導による賜物であったが、ここまでできたのは絶えず降り注いでいた雨と、敵を怯ませた真帆のお蔭だそうだ。
「おかげで助かったよ。それから、囮にするような形になって悪かった」
「ううん、いいの。役に立てたのなら良かったわ」
これにて一件落着。かと思われたが、このままでは終われない。
海人は水球の檻を維持しなくてはならない為、ここを離れる訳にはいかない。
彼はアレイシヤをここに連れてきて欲しいと真帆に頼み、彼女はそれを了承して部活棟に向かった。
残された海人は亮平を逃さぬよう意識を集中させていたが、へたり込んだままの桃子に気が付き声を掛ける。
「桃子、大丈夫なのか?」
「うん……。平気、だから」
「そう、なのか? 怪我をしたなら遠慮せずに言ってくれ」
「ううん……。大丈夫だよ。」
「……そうか。……怖い思いをさせて悪かったな」
「……っ」
俯いて小さく肩を揺らす桃子。
それ程までに怖かったのかと、海人は桃子を気遣うも、彼女は涙を溢しながら首を横に振った。
「こんな時にも海人君は優しいんだから……」
そう小さく呟いた桃子は自分の力で立ち上がり、笑みを浮かべた。




