7.波乱巻き起こるお昼休み
青空の下、開催された藍ヶ浜高校の体育祭。
運動場では軽快なリズムの音楽と熱の入った実況アナウンスが響き渡り、多くの声援が飛び交っている。
学ランを纏って勇ましく漢気溢れるパフォーマンスもあれば、チア衣装でカラフルなポンポンを手に踊る女子達など、出場者だけでなく応援にも力が入っているようだ。
競技が熱戦を繰り広げているせいか、普段運動とは縁遠い者達からも自然に声が上がり、会場は大いに盛り上がっていた。
声援が常に鳴り止まない状態ではあるが、最も会場を湧かせているのは生徒会の二人、玲緒奈と剣崎であった。
「「せーの、剣崎センパーイ!!」」
「「うおぉぉぉ!! フレー、フレー、キジョウ!」」
二人ともに容姿が整っているという理由もあるが、二人は他を圧倒する身のこなしであって、颯爽と勝利を得る姿は見惚れるところである。
黄色い声や野太い声が絶え間なく上がるのも無理はない。
運動神経だけで言えば海人もかなりの活躍を見せているのだが、彼に送られる声援はクラスの者達ばかりであった。
「海人く~ん! がんばれ~~っ!!」
「カ、カイトさーん! ファイトですっ!!」
海人達のクラスの控え席で声を上げているのは、桃子とアレイシヤであった。
桃子はゆったりとしている筈の体操着がカバーできない程に体のラインを主張させており、逆にアレイシヤは大きすぎる体操着で上着の袖が余ってしまって萌え袖になっている。
そんな二人の少女から応援されるのは男として喜ぶべきところなのだが、その二人から声援を送られるという事は同時に他の男共からの嫉妬を煽る結果となっていた。
「……なんか寒気がするが、……気のせいか?」
ぞくっと身震いをする海人だが、深くは考え込まず目の前の勝負に集中するようすぐに気持ちを切り替える。
海人は他クラスの男子達から負の念を送られているようだが、当人が鈍いせいで今の所は何も影響を及ぼしていないようだ。
「ほらほら、真帆ちゃんもしっかり応援しないと」
「別に、応援なんかしなくても海人なら大丈夫でしょう?」
「なによ~、それ。可愛げがないと嫌われちゃうわよー」
場が盛り上がっていてもその空気に馴染めないのか、はたまた馴染む気すらないのか、いつも通りの者達もいる。
真帆もその一人であって、桃子達と一緒に海人の勇士を眺めてはいるが、声を出して応援はしない。
彼女がそういった性格ではない事は周りも知るところではあるが、ここぞとばかりに桃子はちょっかいを出していた。
桃子が真帆にアレコレと言うのは初めてでもなく、その度に口論となっている。
だが今日に限っては真帆がサラッと流してしまい、口喧嘩に発展することはなかった。
海人がクラスの為に頑張っている中で喧嘩などしていられないと思ったのか、とにかく諍いにならず良かったと周りは胸を撫で下ろすが、空気の読めない猿渡の横やりで事態はいつも通りへと転がる。
「それはアレだ、正妻の余裕ってやつだな。ダンナの事を信じているから余裕な訳で――――」
「は……?」「ハァァァ…っ!?」
猿渡の軽口に対して真帆と桃子は同時に声を上げるが、大声で喚き出したのは桃子一人で、真帆の反論は彼女の勢いに飲まれてしまった。
「誰が正妻ですってぇぇぇっ!? 海人君の正妻は私に決まっているでしょっ! もちろん側室・妾・第二婦人なんてあり得ないから! そこん所よーく憶えておきなさい!!」
猿渡に説教をして、更には周りに自分こそが正妻であると宣言する桃子。
彼女は一度スイッチが入ると止めるのが難しく、冗談だと言って謝る猿渡相手に説教を続ける。
他人事といった風に遠巻きに見ていた雉岡と犬飼もいつの間にか巻き込まれており、何故だか三人で正座して平謝りをしている。
そんな姿を横目で見ていた真帆は溜息を吐き、アレイシヤは桃子の怒りを収めようと慌てふためいていた。
「……ん? どうしたんだ、皆。なんだか盛り上がっているようだけど」
「さぁ? ただ浮かれているんじゃない?」
馬鹿馬鹿しいやり取りを余所に、真帆達の元へ競技を終えた海人が戻ってきた。
彼は真帆からタオルを受け取りつつ、続いてスポーツドリンクが注がれたコップを受け取り、何事かと首を傾げている。
それから暫く経って海人が戻ってきた事に気が付いたのか、桃子は急に説教を止めて海人の活躍を称えようと飛んできた。
「海人く~ん! 見てたよ見てたよ! やっぱり海人君が一番カッコ――――」
手放しで褒めていた桃子だが、彼女の言葉は途中で掻き消される。
それは皆のどよめきであって、その声を上げさせたのは玲緒奈でも剣崎でもなく、無論海人でもなく、もう一人の人物であった。
「すっげぇ……。何だアレ……」
「また新記録出したってマジかよ」
今大会で玲緒奈や剣崎と並んで注目を浴びている者。
彼の名は赤星亮平であった。
「ホント凄いよね~、亮平君。ただ走るだけでなくてハードルも得意だなんて。まぁ、カッコよさで言えば海人君の方が上なんだけどね~」
そう桃子が暢気に感想を述べている通り、亮平は普通に走るだけの競技だけではなく、様々な競技に出場しており、そのいずれも好成績を叩き出している。
海人と同じように亮平は彼のクラスで頼りにされているらしく、出られる限りの競技に出場しているようで、彼の活躍は否応無しに目にする事となっていた。
「……伊井田」
皆は亮平の活躍にただ驚き感嘆しているばかりだが、海人は違った。
亮平とトラブルを抱える颯太は複雑な心境だろうと、海人は気に掛かり颯太の様子を窺うが、視線に気が付いた彼は笑顔を見せた。
「シケた面をしてどうしたんだ?」
「いや……、その……」
「俺の事なら気にしないでくれ。ここまでくると何と言うのか……。あれだけ活躍して、楽しげにしていたら、俺からは何も言えないさ」
「そう……、か……」
きっと当人は素直に受け取ってはくれないだろうと前置きをして、颯太は亮平の活躍を称えている。
海人が心配をする必要などなかったように、颯太の表情は見上げた空のように晴れていた。
激戦を繰り広げた午前のプログラムが終了し、昼休憩に突入する。
先程まで己の力を出し切り競い合い、声を枯らして応援していた者達は皆ひと時の休息を。しっかりと身体を動かして空かせた腹を満たす為に昼食をとる。
今日は食堂も休みとあって多くの者は弁当を持参しており、各クラスのテントや中庭でシートを広げて腰を下ろしたり、体育館に続く階段などで弁当を広げていた。
「おー! すげぇな、これ。気合入りまくってんじゃん」
中庭の一画で海人達は昼食を取る事に。
早速真帆が広げた三段重ねの重箱弁当は猿渡達を驚かせた。
「多めに作ったから良かったら皆もどうぞ」
「マジで!? サンキュー!」
「有難く頂戴します」
「ありがとう、占部」
見た目だけでなく味も抜群なのだろう。
真っ先に手を出した猿渡達は美味い美味いと大絶賛している。
沢山のおかずも腹を空かせた男三人にかかればあっという間に平らげかねない。
雉岡と犬飼は遠慮があるようだが、猿渡に至っては何時も美味しいご飯を食べられる海人は遠慮しろと言わんばかりにかき込んでいた。
「おい猿渡。俺の分を残しとけよ」
「海人。勝負の世界は非情であって、情けなんかありはしねぇんだぜ」
「何が勝負だ。お前は自分の分があるだろう?」
「じゃあこれを海人に進呈しよう」
「待て待て、なんでそうなる」
猿渡に全て食べられてたまるかと、海人は手を出そうとするも、彼の手には取り皿も箸もない。
手を洗いはしたが素手で手を伸ばすのはどうかと思い真帆の顔色を窺うが、彼女はアレイシヤと鞄の底を覗いていた。
「す、すみません……、カイトさん。私がお箸とお皿を入れた筈なのですが……」
「いいえ、アーシャちゃん。私が確認しなかったのが悪いわ」
完璧な弁当は目の前にあるが、それを食すための物が無いらしい。
真帆はすぐに職員室で借りてくると言って腰を上げようとするが、そこで待ったが掛かる。
それはこれまで大人しくしていた……と言うよりも、真帆のお弁当が絶賛されているのをつまらなさそうに見ていた桃子であった。
「せっかくの弁当が食べられないなんて、真帆ちゃんったらドジなんだから~」
「悪かったわね。だから今から箸を借りに――――」
「そーんなお間抜けな真帆ちゃんに代わって、私のお弁当をどうぞ召し上がれ!」
「は? 桃子、貴女何を言って――――」
どうやら桃子も弁当を多めに作ったらしく、それはサンドウィッチらしい。
これなら手で食べられるだろうと、得意げになって桃子は海人に勧めるが、そこでもまた問題が起きた。
「あ……れ? ちゃんと鞄に入れた筈なんだけど――――」
鞄の中を念入りに調べるという先程にも見たばかりの光景を桃子は繰り広げる。
尋ねるまでもなく桃子もやらかしてしまったのだと分かり、先程詰られた真帆は言い返してやりたいと思いもするが、肩を落として涙ぐむ桃子を哀れに思いそっとしておいた。
「だったら、桃子も一緒にどうだ?」
「海人君優しい~! それじゃ、お言葉に甘えて――――」
「待ちなさい。箸がないと食べられないのだけれど――――」
「真帆ちゃんヨロシクー!」
「桃子、貴女ねぇ……」
海人に優しい言葉を掛けられ、桃子はすっかりと機嫌を良くして調子に乗り、真帆を小間使いにしようとする。
腹が立つところであるが自身の失態だと認めた真帆は立ち上がり、ひとり職員室へ向かおうとするが、そこで大きな壁のようなものにぶつかりかけた。
「な……っ、何で此処に――――」
「よう、嬢ちゃん。忘れ物を届けに来たが、どうやら間に合ったようだな」
海人達の元へと現れた二人組の男。
それはアウグストとガイラルドであった。
アウグストは台所に残っていた紙皿と割りばしを見つけ、ガイラルドを説得して届けに来たらしい。
真帆とアレイシヤは素直に感謝の言葉を述べるが、ガイラルドは頭を抱えて真実を明かした。
「あ奴に礼など述べずとも良い。失せ物など端から無かったのだからな」
「それはどういう……。まさか――――」
「そのまさかだ。あ奴の手癖が悪いとは、今更ながら知るところとなった」
「……」
ガイラルドの話によると、紙皿や箸は確かに鞄に仕舞われていたらしく、隙を見てアウグストが抜き取ったそうだ。
つまりは体育祭を見学する口実を作る為の工作であったのだ。
アレイシヤは困ったように笑うだけであったが、自分の落ち度だと思い込んでいた真帆は呆れるどころか怒りを覚えているのだろう。
流石に一言言わなければ気が済まないと真帆は思ったようだが、ガイラルドの隣に居た筈のアウグストの姿は忽然と消えている。
アウグストは大柄であって、目立つ容姿であるから慌てずともすぐに見つかるだろうが、目で探すよりも前に耳で居場所が分かる。
ガハハという豪快な笑い声は真帆の背後から聞こえてきた。
「なんだ? 祭りというのに酒の一つも用意しとらんのか?」
持参してきたのか、アウグストはつまみを広げ、缶ビールを手にして海人達に絡んでいる。
やはりこうなってしまったかと、ガイラルドは眉間に皺を寄せて溜息を吐いていた。
「……済まぬ。直ぐにあ奴を連れ帰る」
「どうかお願いします」
ここはガイラルドに任せた方が良いだろうと判断を下し、真帆は怒りを収めて成り行きを見守る。
アウグストさえ居なくなれば元通り平和な昼休憩に戻ると期待していたが、ここで新たな厄介事が起きるとは予測できなかった。
「お待たせした、桃子嬢。桃子嬢の為、我がここに馳せ参じたぞ!」
突如として現れ、決めポーズで佇んでいるのは全身黒ずくめの男であった。
桃子はその者の姿を目にした瞬間、心底嫌そうに顔を歪めて叫んだ。
「な、何で貴方が此処に……っ!?」
彼の名は遠藤といい、桃子の家に住み込みで働いている謎多き男である。
遠藤の手には桃子が作ったと思われる弁当箱が握られており、彼もまたアウグストと同様に忘れ物を届けに来たようだ。
「ま、一応礼は言っておくわ。ありがとう。それじゃ、さようなら」
弁当を受け取った桃子は用済みだと言わんばかりに軽くあしらう。
笑顔一つ見せず心の籠っていない礼を述べ、かなり冷たい態度で接したのだが、遠藤は全く気に掛けていないようで、彼は高笑いをして桃子の隣に無理やり腰を下ろした。
「ちょ、ちょっと、何をしているのよ!」
「まぁ良いではないか、良いではないか」
「良くないわよっ!! ……って、あれ、なんだかお弁当が妙に軽い気が――――」
「ウム。ここに辿り着くまでに道に迷ってな。中を見てみるとひとり分以上あると分かり、これは桃子嬢が我の為にこしらえたものだと気が付いて、有難く頂戴したまでだ」
美味であったと遠藤は褒め称えるが、それは桃子の望まぬ結果である。
当然として桃子は烈火の如く怒り狂い、和やかな昼休憩は消え失せてしまった。




