6.失われたモノ
怒りに任せて振るわれた亮平の拳は、狙いを定めた先に届くことは無かった。
咄嗟に二人の間に割り入り、亮平の腕を掴んで止めたのは傍観者であった海人である。
「おい、暴力は止めておけ」
「その声……、まさかテメェは今朝の……っ!
邪魔者の登場に驚く亮平だが、その者が海人だと分かった途端に険しい表情を、盛大に舌打ちをして掴まれた腕を振りほどこうとした。
「また邪魔をしに来たのか!? テメェには関係ないだろうが!!」
「関係なくはない。伊井田は俺のクラスメイトだ。それに、暴力が振るわれるのを黙って見過ごせはしないからな」
「チッ……!」
正論で返されて反論できなくなったからか、亮平は大きく舌打ちをした後に思い切り腕を振り払い、海人の手を跳ね除ける。
新記録を叩き出して注目の的になりかけた亮平だが、彼の横暴な態度は目に余るようで、周りの視線は非難するようなものへと変わっていた。
亮平は空気がガラリと変わっている事に気が付いたようで、周りをひと睨みした後に立ち去って行った。
「――――また、助けられたな」
「……伊井田」
亮平の背中が見えなくなり、根掘り葉掘り詮索する野次馬を陸上部の部員達が追い払った後、颯太は海人に礼を言った。
内輪揉めに巻き込んでしまったと詫びる彼だが、海人は首を横に振って颯太を気遣った。
「それよりもお前は大丈夫なのか?」
「俺なら平気さ。竜堂が止めてくれたからかすり傷一つもないだろう?」
「いや、怪我とかじゃなくて……、その……」
「……」
亮平の前では気丈に振る舞っていたようだが、やはり彼に負けた事は引っかかるのだろう。
スッキリとしない複雑な表情であった颯太を海人は気遣うが、どう声を掛けてよいものか悩み、言葉尻は途切れていく。
明確に伝えた訳ではないが、海人の想いは伝わったようで、颯太は一息ついてから心情を吐露した。
「……ホント、驚いたよ。急に戻って来たかと思えばいきなり勝負を挑んできて。しかもあんなに速く走れるようになっていただなんてな」
「手を抜いた訳じゃないんだよな?」
「ああ。本気を出したさ。……本気であの様だ。亮平が怒るのも無理はないよな」
相手を軽んじていたと、自身の努力が足りなかったと、全て自分が至らなかったせいであると、颯太の表情は悔しさを滲ませていた。
ひとしきり後悔を口にした彼は続けて海人に再度詫びを、また巻き込んでしまったと謝罪するが、海人は構わないと首を横に振る。
颯太は全て自分に責があると言うが、海人はどうにも納得がいかないようであった。
腕を組んで考え込む海人に颯太は首を傾げた。
「どうしたんだ、竜堂」
「いや、今朝方会った時と随分違うなと思ってさ……。あれだけの力があるのなら、突っかかってきた理由が分からないんだ」
「皆の前で実力を披露する為に機会を窺っていたんじゃないのか?」
「そう……、なのか」
まだ引っ掛かりを覚えているが、悩んでいても糸口は見えない。
やがて颯太は陸上部の先輩に呼ばれて部活へと戻り、海人の元へはヒーロー研究部の皆が近づいて来た。
海人よりも遅れてこの場へと辿り着いた皆は、颯太と亮平の勝負の途中から見ていたらしく、完全には状況を把握していないようだ。
桃子は何があったのかと海人に問い掛けた。
「海人君、一体何があったの? さっきのって、同じクラスの颯太君だよね」
「そ、そうみたいだな……」
やはり陸上部部員達は部内のいざこざを知られたくはないのだろう。
何があったのかと問い掛けてきた野次馬を相手に説明はせず、どうにか誤魔化していた。
それならば海人も口外するべきでないだろうと思い至った訳で、彼は桃子の問いにも答えられずにいた。
「んー? 海人君。どうして目線を逸らすのかな?」
「い、いや、別にやましい事なんかないんだぞ」
「本当に? なんだか怪しい~」
疑惑の眼差しから逃れようとする海人だが、彼は馬鹿正直であって、隠し事は苦手である。
顔を逸らすなどして必死に隠し通そうとするも、桃子は簡単に引き下がらない。
猿渡達も何かあったのなら相談だろうと、隠し事は水臭いと気遣うが、海人は沈黙を貫いた。
口を割らない海人に何かを感じ取ったのか、真帆は海人の意志を汲んで話を変えようとしており、アレイシヤも同調するが、そこで桃子が意外な事を口にしだした。
「さっき勝負していたのって、颯太君と亮平君だよね。あの二人がまた何かしたの?」
「え? 『また』って……。桃子、知っていたのか?」
「知っているも何も、颯太君と亮平君とは幼稚園からの付き合いだし、小中高と一緒だったのよ。二人の仲の悪さなら海人君よりも知っているわ」
「そ、そうなのか……」
聞くところによると、桃子は幼稚園の頃から颯太と亮平が勝負する姿を幾度となく見ており、別段驚く事でもないらしい。
「いつもなら颯太君が勝っていたし、今日みたいに亮平君が勝つなんて珍しい事だけれど、もしかしてここに集まっていた皆はそれで驚いていたの?」
「ま、まぁ、そんな所かな……」
「ふーん……。そっか。それにしてもあの二人、飽きもせずによくやるわね」
今の颯太と亮平の間にはピリッと張りつめた空気が漂っており、仲はこじれてしまい複雑な関係である。
桃子にしてみれば二人の関係も仲が良い程喧嘩をするといった風であり、アッサリと話を終わらせてしまった。
「そんな事より海人君。部活はどうするの?」
「そんな事って……」
「私としては部活よりも放課後デートを――――」
「よし! 早速パトロールに向かおうか」
「むむぅ~! 今ワザと話を逸らしたでしょう」
颯太の様子や亮平の事が気に掛かる海人だが、彼らの為に出来る事は思いつかない。
部活動の為に校外へと向かう海人は後ろ髪を引かれる思いで振り返った。
グラウンドでは陸上部が部活動を再開させており、一見すると何もなかったように思える。
けれども遠目でも分かるように颯太だけは先程の勝負を引きずっているようで、その表情には影が差していた。
朝は早くからトレーニング。登校途中で人助け。
授業中は居眠りで怒られ、昼休憩はガッツリと昼食を取り、また授業へ。
放課後は部活動で校外を巡り人助けを、そして時折体育祭の練習を。
休日はガイラルドに稽古をつけてもらうなどして、海人の日常は慌ただしく過ぎて行った。
「ここのところ雨続きだったからどうなるかと思っていたけど、見事に晴れたな」
連日雨が続いていたのが嘘だったかのように、空には雲一つない。
昨晩には雨が止んでいたお蔭で地面の状態も悪くはなく、まさに絶好の体育祭日和である。
今日は体力を温存するようにと真帆に言いつけられた海人は、いつもより遅く起きてきて窓の外を確認していた。
天候の確認をした後は着替えて洗面所へ。
支度を整えた後に居間へ向かおうとするが、良い匂いにつられて台所へと立ち寄る。
そこにはエプロン姿のアレイシヤと真帆が居て、朝食の準備とは別の支度もしていた。
「あ、カイトさん。おはようございます」
「おはよう、アーシャ。それと真帆も」
「それとって何よ。なんだかついでみたいに……」
「そ、そんなつもりじゃないよ。それよりも、凄いなこれは」
「海人ってば、話を逸らすのが上手くなっているんじゃない?」
「だからそんな事ないって。本当に凄いと思っているから。昼食が今から楽しみだ」
「そ、そう……。って、つまみ食いは駄目よ」
テーブルに広げられているのは重箱で、その中には彩よくいろんな種類のおかずが詰め込まれている。
思わず手を伸ばしたくなるような出来栄えであって、ベタ褒めしていた海人は実際に手に取ろうとするものの、寸での所で真帆に止められてしまった。
少し拗ねた様子の海人を哀れに思ったのか、アレイシヤは重箱に詰めきれなかったおかずが乗せられた皿を差し出す。
海人は喜び深く感謝して拝借しようとするが、それも真帆に止められてしまった。
どうやら多めに作ったおかずは重蔵達の昼食になるようだ。
「す、すみません、カイトさん……」
「いや、アーシャが謝る事はないよ」
「そうよ、アーシャちゃん。つまみ食いしようとした海人が悪いんだし」
「だから悪かったって……。何にせよ、楽しみは昼食に取っておくという事で」
「そうね。さ、これで準備も終わったし、朝御飯にしましょう」
弁当の準備が済んだ所で皆は揃って居間で朝食をとる。
今日は体育祭という事で、祭りという言葉と身体能力で競い合うという内容説明にアウグストはかなり興味を示していた。
彼は自分も参加したいと言い出し、生徒しか参加できない旨を伝えると観戦だけでもと言い出す始末で、海人達は困り果てる。
一応保護者や学校関係者は会場に入れるが、高校になれば親が観に来るのは珍しい。
特にアウグストはこちらの世界の衣服を纏っていても目立つ姿であって、立っているだけでも注目されてしまう。
厄介事を避ける為に断るしかないのだが、アウグストは人懐っこい笑みを浮かべて期待している様子で、海人達は強く出られずにいた。
互いに目配せをする海人と真帆、そしてオロオロとしていたアレイシヤを助けたのはガイラルドであった。
「アウグスト。少しは己の立場を弁えろ」
「ム……。しかしだな、祭りの最中に坊主達に万が一の事があるかもしれんぞ」
「学び舎にはローランドとルイーザが居る。我々の出る幕でもあるまい」
「あの若造共だけでは頼りにならんだろう? そうは思わないか、坊主」
「それは……」
ガイラルド達四人の力は封印されているが、それはこちらの世界の人間に危害を加えられないだけであって、シュトラルヴェルトからの襲撃者相手には戦える。
ローランドとルイーザに関して力に対する不安はないが、素行には問題があり、その事を思い起こした海人は苦い表情になってしまった。
海人の変化に気が付いたガイラルドは、手にしていた器を置いて問い掛けた。
「もしや、あの者達が何か仕出かしたのか?」
「あ……、いや、別にそこまで大事は起こしていないけど……」
「……そうか。……だが皆まで言わずとも大体は予想がつく」
「い、今の所は問題ないさ」
「フム……。もしも目に余るような振る舞いをするのならば、私が直々に――――」
そう言ってガイラルドは目を光らせるが、その申し出も海人は丁重に断った。
結局アウグストはガイラルドに窘められて渋々のようであるが納得し、海人達にエールを送って見送った。
澄み切った青空の下、藍ヶ浜高校の体育祭が開催された。
開会式は開会宣言から始まり、国旗と校旗が掲げられて校歌斉唱を。
歌唱が終わりシンと静まり返った所で校長の挨拶が始まる。
生徒達にとっては苦痛である長い話を経て来賓の紹介と挨拶に。
続く長話にテンションはダダ下がりになってダレてくるところだが、選手宣誓の為に前に出た男女に皆は息を呑んだ。
演台に立つのは生徒会長である姫条玲緒奈と、副会長である剣崎悠馬であった。
スタイルと美貌からか、同じ学校指定のジャージを身に纏っているとは思えないようで、凛としたその姿に誰もが目を奪われた。
二人による選手宣誓は、先程まで気だるげにしていた生徒の気持ちを正す程である。
宣誓によって空気が変わった所で開会式は終わり、続いて準備運動の為のラジオ体操が始まった。
身体を解す体操が終わった所で生徒達は一旦退場する。
そして第一種目と次の種目に出場する者は再び入場門へと向かい、他の者は各クラスに割り当てられた場所へと戻る。
海人は自分のクラスの応援席に戻る途中、自然と玲緒奈の姿を目で追いかけていた。
「どうしたんだ海人、ぼーっとして。まさか会長の姿に見惚れていたのか? 今日はレアなポニテ姿だからグッとくるのも分かるぜ」
「あ、いや、そう言う訳じゃ――――」
長く美しい髪を一括りにしてうなじを露わにしている姿は、猿渡の言う通りに人目を惹く。
けれども海人は見惚れていた訳ではなく、玲緒奈の姿を見て安堵していたのであった。
「この間、保健室で会っただろう。体調が悪かったのはあの時だけだったみたいだから良かったなって思っていたんだ」
「お前……。お人好しは良いんだが、まさかその歳で枯れているんじゃ――――」
「フム……。竜堂氏が枯れてしまうのも致し方ありませんね」
「ん? 雉岡、お前は何を言って――――」
「猿渡氏も現状を嘆かわしいと思わないのですか!? この光景を……っ」
雉岡は女子達が集まっている方を目線で示し、ガックリと肩を落とす。
それだけで猿渡は大体を察したようだが、海人と犬飼は意味が分からず首を傾げていた。
理解していない二人の為に雉岡は拳を握って熱く語る。
その内容は実に下らないものであった。
「何故この世からブルマが消滅したのですか!? あれ程素晴らしいものが何故!? 青少年の楽しみを奪ったのは何処のどいつですかぁ!!」
その叫びは一部の男子達から支持を受け、多くの女子達から侮蔑の眼差しを向けられる。
熱く語る雉岡はその場に放置し、海人達は自分のクラスの応援席へと戻った。




