2.まともな稽古に涙して
譲司とマルリースがシュトラルヴェルトへと旅立ったその日。
見送った後の海人は暫しの間自室で感傷に浸り、何時もの朝食の時間になると何事もなかったかのように気持ちを切り替えた。
気遣っての事なのか、今朝は真帆が朝食を作りに来ておらず、海人とアレイシヤと重蔵の三人はマルリースが作り置いてくれていた朝食を食した。
常にやかましい者が居ないからか、食卓は酷く静かに感じられる。
世界の危機が訪れようとも、世界と別の世界との衝突が起きようとしても海人は蚊帳の外に居て、これまで通りの日常を過ごすことになる。
その事に悔しさと寂しさを覚える所だが、己の力量をしっかりと見極め、そして何が足らないのかを自覚した彼は、自分に出来る限りの事を、今は学生としての本分を全うするために登校の支度を整えるのであった。
「待たせて悪かったな、アーシャ」
「いえ、私も先程支度が終わった所です」
「それじゃ、爺ちゃん。行ってくるよ」
「行ってまいります」
「ああ、気を付けてな」
支度が済み、海人とアレイシヤは登校しようと玄関の戸を開けようとした所、来客を知らせるチャイムが鳴り響いた。
真帆ならば合鍵を持っているのでチャイムは鳴らさない。
このような朝早くから誰だろうと、来客が誰か思い当たらない海人は首を傾げつつ戸を開いた。
「――――……お前達は……っ!?」
戸を開いた先に佇んでいた者達。
一人は茶髪に白髪が混じり始めている老齢の男。
彼は皺が多く刻まれているが大柄で逞しい身体つきをしており、隻眼で厳つい顔つきであるが人懐っこい笑みを讃えている。
もう一人は先の男よりも多少若く、それでも同じような逞しさであって、何よりの差は威圧感を放つ険しい表情を全く崩さないところである。
その者達はこの場に居る筈もない者達であって、海人は身構えて敵意を向けた。
「ガイラルド……っ、アウグストも……っ!?」
「よう! 坊主、元気そうだな」
「……」
海人達の前に現れたのはつい先日の事、下校していた海人達の前に立ちはだかり襲撃を仕掛けてきた四人組の内の二人、つまりは敵であった者達である。
譲司が居なくなった隙を見計らって再び襲撃を仕掛けてきたかと思った海人は、アレイシヤと重蔵を守るよう前に進み出て敵と対峙するが、どうにも様子がおかしいようであった。
ガイラルドとアウグストは鎧を纏っておらず、ガイラルドは上半身にYシャツとジャケットを、綿のパンツを履きトリルビーハットを被っており、その姿は容貌の険しさと相まって洋画に出てくるマフィアのようであった。
一方でアウグストは鮮やかな色のアロハシャツにひざ下丈の短パンという姿で、まるでどこかのリゾートから帰国したかのようである。
二人の姿も訝しげに思う所だが、彼らの言動にも海人は疑問を抱く事となった。
「んん? 何だ? 話は通っておらんのか?」
「何の事だっ!? お前達は一体何を――――」
「――――すべてはあの男に因るものだろう」
「あの男……って、まさか――――」
ガイラルドは険しい表情を崩さないが、敵愾心を感じられない。
それどころかどうやらこの件に関しては海人の父である譲司が関わっていると気付かされ、海人は警戒心を解いて二人から詳しい話を聞き出した。
聞くところによるとガイラルドとアウグストはマルリースによって戦う力を封じられ、竜堂家に居候するように譲司から命じられたようだ。
譲司から全く何一つ聞かされていなかった海人は当然のように腹を立て、マルリースから渡されていた通信機を使って連絡を試みる。
暫しの空白を挟み、応答したのはマルリースであった。
「――――あら、カイト。早速連絡をしてくるなんて、どうかしたのかしら?」
「母さん、あのクソ親父は何をしているんだ!」
「ジョージなら……、今ちょっと手が離せないの、ごめんね」
マルリースの背後では何やら爆発音や怒号が響いている。
既に戦場に突入したかと思い慌てる海人だが、驚くことにまだ向こうの世界には旅立っておらず、その為の下準備を行っているそうだ。
暴れまわっている譲司は応答できないようで、直接文句を言えずに苛立つところでもあるが、海人はどうにか怒りを抑え込んで現状を尋ねた。
「あらやだ。ジョージったら、説明をしていなかったのね。俺からちゃんと説明をするって言っていたのに……」
大方の予想通り、譲司による伝達ミスであった。
伝え忘れていた譲司に代わり、マルリースが事情を明かす。
彼女の話によると、敵である彼らをそのまま連れて行くにはリスクが高く、と言ってこちらには拘束して拘留する場所もなく、それならば留守を任せようと、本人達には既に抵抗の意志はなく、マルリースの封印具によって海人達に危害を加えることは無いからという事で居候を決めたそうだ。
「それじゃ、カイト。その人たちの事もよろしくね」
「よろしくって――――……、切れた……」
マルリースは何でもないかのようにさらりと言ってのけて海人に後を託したが、そう簡単には受けいれられはしない。
かつての敵二人に疑いの眼差しを向ける海人だが、アウグストはガハハと笑いながら馴れ馴れしく肩を組んできた。
「坊主が留守の間はこの家をしっかりと守ってやるぞ」
「……力は封印されているんじゃないのか?」
「これは服従の証でな、特定の者へ危害を加えないようにできているんだ」
「それじゃ、俺達以外の人間には――――」
「安心しろ。恐ろしい事に、この世界の人間すべてが対象になっている」
アウグストはそう言ってのけるが、海人はどうにも信じられない。
まだ疑る海人に対し、アウグストはそれならばと殴り掛かるポーズを取って見せる。
彼の拳は真っ直ぐに、海人の顔面を目がけて進むが、寸での所でピタリと止まった。
それは加減をしたり、アウグストの意志によって止められたわけではない。
現に拳は突き進もうとしており、それでも見えない力に抑え込まれているようで小刻みに震えてそれ以上前には進まなかった。
その身を以って納得した海人だが、ガイラルドはこの状況に納得はしていないようで、閉ざしていた口を開いた。
「貴公が気を許せぬと言うのならば、ここから立ち去ろう」
「いや、そこまでは言っていないが……。ここから立ち去るって、行く当てはあるのか?」
「……。この身一つで如何なる地でもどうとでもなる」
「…………」
シュトラルヴェルトではどうか分からないが、こちらの世界で無戸籍無職の人間が生活するのは楽ではない。
どうにかなると言うガイラルドの姿を見た海人はこちらの世界に来たばかりの頃のアレイシヤを思い出し、乾いた笑い声を上げて肩を落とした。
結局の所、ガイラルドとアウグストは竜堂家に身を寄せる事となった。
最初の内は互いにぎこちない様子だったものの、三日と過ぎれば何とやら。
共通の敵(譲司)もいたせいか、打ち解けるのにさほど時間は掛からなかった。
「――――何とか形にはなっているな」
「ああ。少しずつだが、このままを維持する時間が増えているようだ」
離れの道場で海人はガイラルドに稽古をつけて貰っている。
ガイラルドの教えは効率的な身体の鍛え方から始まり、立ち回りを教える為の組み手に、魔導装具の扱い方までと多岐に渡っていた。
今は海人が持つ魔導装具の全身鎧の形状から一部だけの装備へと変換する技を、篭手のみに力を注ぎ、攻撃力を高める方法を教わっている。
この形状ならば精神的負担が軽くなり、水を自在に操れるのだが、それはまだ海人には早過ぎる様だ。
「……攻撃手段として用いるにはまだ早いようだな」
「……」
篭手から放たれた水は蛇口の栓を捻って出てきた水道水のようであって、それも少しだけ緩めたくらいに頼りない勢いであった。
海人はこの結果に落ち込むものの、ガイラルドは気にする必要などないと言い、どうすれば力が安定するかを丁寧に説明している。
遡る事三日前の晩。海人は晩御飯時の食卓で父への不満を、まともに稽古に付き合わない事を溢した所、意外な事にガイラルドは自分が稽古に付き合うと言った。
常に険しい表情でいて、何人をも寄せ付けないような彼であるが、アウグストの話によると、騎士団に居た頃から面倒見はよく、部下の指導に熱心であったらしい。
「それもあの古狸によって騎士団が再編されてからは見なくなってしまったがな」
「アウグスト。余計な情報を明かすな」
「余計ってのは古狸の事か? お主とてあの者を良くは思っておらんかっただろうに」
「……」
無言は肯定と取れるようで、アウグストがニヤリと笑う一方で、ガイラルドは眉間の皺を更に深くしている。
常に相手を畏怖させるようなオーラを纏うガイラルドと上手くいくのかと海人は不安であったが、彼の教え方はアウグストの言葉通りであって、ただ厳しいだけではなく相手の成長を心から望むようであって、その熱意は海人に伝わっていた。
「……貴公は嬉々として修業に励むのだな」
「きき?」
「カ、カイトさん、嬉々としては喜んでという意味ですよ」
「あ、ああ、その事か……」
傍で心配そうに見守っていたアレイシヤは、ガイラルドの言葉を海人にも分かるよう説明する。
ガイラルドは時折海人にとって聞き慣れない言葉を使う為、アレイシヤが傍に居るのは助かるようだ。
海人は学の無さを露わにした訳だが、ガイラルドは全く意に介したようでもなく、問い掛けの答えを待っていた。
「……楽しいさ。こうしてまともな稽古がつけて貰えるんだからな」
「…………そうか」
いつ何時も険しい表情を崩さないままのガイラルドであったが、これまでまともな稽古をつけて貰えず、今は心の底からこの稽古を喜んでいる海人の姿に同情したのだろう。
彼は一瞬だけ口元を緩め、そしてまたいつものように口をへの字に結んで稽古を再開させた。
稽古を終わらせた海人は汗を流しに風呂場へ。
風呂から出る頃には食卓に晩御飯が並べられており、外出をしていた重蔵とアウグストも席に着いていた。
小柄な重蔵と大柄なアウグストは体格こそ違えど、歳が近いせいか打ち解けるのも早かった。
二人は縁側で将棋を指す仲までになったのだが、今日は商店街近くの将棋クラブに足を運んだそうだ。
「いやぁ~、恐れ入った。この世界では庶民の中にも知将と呼ぶに相応しい者がゴロゴロと転がっているのだな!」
将棋クラブに通う老人達に随分と可愛がられたようだが、アウグストは相手の腕前を素直に褒め称え、張合いがあると大いに喜んでいた。
上機嫌な彼は今日も酒を煽り、晩御飯前に出来上がってしまっている。
「――――……全く、海人も海人よね。この光景をすんなりと受け入れているなんて」
そう溢したのは真帆で、彼女は食卓を囲む面々に未だ慣れていないようであった。
彼女が戸惑うのも無理はない。ガイラルドとアウグストは異世界からの侵略者であって、数日前に刃を交えた相手であった。
それが今では同じ釜の飯を食べる関係に。
ガイラルドは黙々と食しているがアウグストは酒に酔い、重蔵と共に飲み比べをする勢いでいるなど、すっかりと馴染んでいる。
「いやぁ~、嬢ちゃんの作る飯は美味いなぁ」
「……そ、それはどうも……。お口に合うようで何よりです」
「坊主もこんなに良くできた嬢ちゃんが居るなら将来安泰だな」
「ん? 将来って? 何の事だ?」
「な、何を言って――――」
赤ら顔でガハハと笑うアウグストと、彼に負けない位に頬を赤くした真帆。
間に挟まれている海人は状況が分かっていないようで首を傾げている。
数日前の静かな朝食時と違い、今は賑やかすぎるくらいであって、そんな光景を前にしてひと時ではあるが、海人とアレイシヤは抱いていた不安を忘れることが出来た。
祝宴のような賑やかな晩から一夜明けての早朝。
海人は日課である朝のトレーニングの一つ、ランニングを行っていた。
今朝は昨日の悪天候が嘘だったかのように雲は消え去り、昇り始めた朝日は遮るものが無く、陽の光を徐々に広げていった。
実に気持ちのいい朝で、雨雲と共に陰鬱な気持ちも去って行くようで、海人は下を向くことなくランニングを続ける。
「――――……ん? あれは――――」
何時ものコースを走っていた海人は見慣れない光景に足を止めた。
海人が立ち止まった場所は公園で、そこには海人が通う高校の指定ジャージを纏った男子生徒が走る姿が見えた。
朝練の前に走って登校しているのかと思われたが、彼は鞄を肩にかけてはいない。
それならば自主練だろうと思いついたが、その者の顔を見た海人は首を傾げた。
「伊井田……? 何でこんな所で――――」
公園で一人、練習に励むのは陸上部のエース、伊井田颯太であった。
陸上部所属である彼が何故学校ではなく公園で、たった一人で練習に励むのか。
不思議に思った海人は挨拶ついでに尋ねてみようと近づくが、海人が声を掛ける前に別の者が颯太に声を掛けた。
「へぇ……。朝っぱらから頑張っているんだな、颯太」
「…………亮平」
颯太に声を掛けたのは彼と同い年くらいの男であった。
下の名前を呼び合っており、仲が良いのかと思われたが、二人の間にはピリッと張りつめた空気が漂っていた。




