8.拳に乗せた想い
海人が譲司とのわだかまりを解かぬまま迎えた夜。
もしかすると明日の朝、目覚めた時に譲司の姿はなくなっているかもしれないが、海人は歩み寄ろうとはしなかった。
晩御飯と風呂を早々に済ませ、珍しい事に学校の課題も全て終わらせ、後は寝るだけであって、他にやるべきことが見つからない海人は布団に潜り込む。
「眠れるわけはないよな……」
床に就いてどのくらい経ったのかと枕元に置いてある携帯で確認するが、それほど時間は経っておらず、溜息がこぼれる。
目を瞑れば浮かぶのは譲司の顔であって、目を開いていても脳裏には苛立たしいニヤけた面が過り、簡単には寝付けない。
今更起き上がって何かをしようという気すら起きない海人は布団の中で無為な時間を過ごすが、暫くして自室に近づく人の気配に気が付き息を呑む。
小さな足音から察するに、譲司ではない。
譲司だとすれば相手が寝ていても気を遣わず足音を立てて近づくからだ。
それならばアレイシヤかと思われたが、彼女ならば声を掛け、了承を得てから入室する。
今、海人の部屋を訪れた人物は襖の前で歩みは止めたものの、声を掛けずにそっと音を立てぬよう襖を開いた。
重蔵もこっそり忍び込むような真似はしないだろうと、そうなれば消去法でマルリースしかいないと、きっと洗濯物か何かを運びに来たのだと海人は決め込み、気付かないふりをした。
「…………っ」
海人の部屋を訪れた者は小さく息を呑み、そしてそのまま居座る。
届け物にしては妙に長い時間が過ぎ、マルリースではないのかと疑い始めた海人は薄目を開け、誰が来たのかを確認しようとした。
「……!?」
ゆっくりと歩み寄るその者は仰向けに寝ている海人の身体を跨ぐと、膝を折って体重を掛けぬよう馬乗りの体勢を取った。
海人は驚きのあまり身を動かす余裕もなく、相手の出方を窺うしか出来ないでいる。
いつもならば月明かりが窓の障子を通して室内は薄暗く、真っ暗闇で何も見えないという事はないのだが、今日は月に雲がかかっているのだろう。
暗い室内で目を細めた状態ではその者が誰であるのかはハッキリと分からない。
ただ、首元に押し当てられたひんやりとした感触は何であるか瞬時に判断できた。
「狸寝入りというものですか? 本当に眠っていれば楽になれたのに……」
その声は海人にとって聞き覚えのある声であったが、聞き間違いであって欲しいと願う様な相手であった。
「どう……して……、こんな事を……」
月を覆い隠していた雲が消え、室内に柔らかい明かりを落とす。
それと同時に暗闇で隠されていた容姿が浮かび上がる。
海人の部屋を訪れ、床に就いていた海人に馬乗りになってナイフを首筋に突きつけたのは、銀髪の幼い容姿の少女であった。
「アーシャ……」
「……」
海人が逃れられないようにする為か、アレイシヤは腰を下ろして体重をかけ、左手で肩を抑え込み、右手で握ったナイフを首筋に宛がう。
その行動も本人であるか疑わしく思える所だが、それ以上に見下ろす彼女の瞳が酷く冷たいものであって、海人は現実を受け入れられずにいた。
「はは……、冗談……にしてはやりすぎだぞ? 一体何が何だか……。もしかして操られて――――」
「冗談ではありません。それから、操られてもいませんよ」
乾いた笑い声を上げて状況を否定する海人とは違い、アレイシヤは淡々と告げる。
助けを求めにやってきた身だからか、敵となる世界の者だからか、いつもオドオドと相手の顔色を窺うようであった姿は見る影もない。
これが彼女の本性であったのかと思い知らされた海人であったが、現実を否定したくて問いかける。
「何が目的……、なんだ……?」
何かの冗談であるとしたい所だが、アレイシヤは本気のようである。
恐れや迷いがあるならば瞳は揺らぎ、言葉が濁される。
冷酷な物言いと表情は真剣みを帯びており、これは彼女の意志による行動であると示していた。
ナイフを握る手が震えていない事から、躊躇いすらもないのだろうと分かる。
殺すつもりでいるのだと、受け入れがたい事実を前にした海人はどうにか思いとどまらせようと、彼女の真意を問い質した。
「ずっとこの時を待っていたのです……」
「この時……?」
「私の本当の目的は……――――」
薄く笑うアレイシヤ。その表情は既に本懐を遂げたようであって、余裕を見せているようでもあった。
「まさか……っ」
「ええ。カイトさんが察している通り、先に始末させて頂きました」
「……っ!!」
戦う事を、戦争が起こる事を、侵略行為を誰もが望んでいる訳ではない。
侵攻を目論む組織の中でも平穏を望み、平和を願う者も一人や二人は居る筈だ。
アレイシヤはかつて世界を救った英雄の故郷を侵略するなど許せないと、戦争を止めようと自らの故郷を裏切ったようだが、それは全てまやかしであったようだ。
彼女の目的はこれまで現れた敵達と同じであって、彼女が狙っていたのはかつて世界を救った英雄である譲司の命であった。
「そんな……っ、嘘……だろ? 嘘だと言ってくれ、アーシャ……っ」
海人は後頭部を殴られたかのような衝撃を受け、事実を拒むように瞳を彷徨わせている。
そんな筈はないと、全て出鱈目だと言い張りたいが、海人はある物を目にして言葉を失う。
それはアレイシヤが身に着けている衣服であって、そこには所々赤いシミが広がっていた。
「今までのは全部……、全部嘘だったのか?」
「……そうなりますね。カイトさんのお蔭で随分と助かりました」
「……クッ!!」
アレイシヤは煽り立てるような物言いであったが、海人は彼女に掴みかかる事も無く、奥歯を噛みしめる事しか出来ずにいた。
相手は小さな体格の少女であって、今の体勢を崩して抑え込み武器を取り上げてしまえばいい。
魔導装具の鎧を纏えば相手の体格など問題ではない。
けれども海人が無抵抗であるのは首筋にナイフが宛がわれているからで、そのナイフもまた魔導装具であるから迂闊に行動できないのであった。
それ以外にも原因が、今でも彼はアレイシヤの事を信じているのだろう。
どうにか考えを改めて欲しいと、譲司達は今すぐ手当てを施せば取り返しはつくと説得を試みるが、海人の想いは届かないようだ。
「私の目的は果たせました。後はシュトラルヴェルトからの軍勢を待つだけ……」
「……」
「標的は元英雄とその妻である鍛冶師の二名。予定外で重蔵様も手にかけてしまいましたが、抵抗されたのでは致し方ないですよね」
「……っ!?」
「カイトさんも標的ではありませんが、一人だけ残されてもお辛いでしょう? ここまで上手く事を運べたのはカイトさんのお蔭でもありますし、直ぐに後を追わせて差し上げますね」
譲司だけでなく、マルリースや重蔵も手にかけたと言うアレイシヤ。
後を追わせるとは譲司達と同様に命を奪うという意味であって、彼女は海人に死の宣告をした。
アレイシヤの手にしたナイフは魔導装具であって、非力な彼女でも簡単に頸動脈まで届くだろう。
死を意識させられても、海人はまだ諦めきれないようで、命乞いをしたり自棄になって暴れ出さなかった。
抵抗しても無駄だと諦めた様子でもない海人を不審に思ったアレイシヤは、冷たい眼差しのまま問いかけた。
「……怖くはないのですか?」
「正直なところ、よく分からない。現実味がなさ過ぎてな」
「……この世界が平和過ぎたのです。向こう側ではさして珍しい事でもありませんよ」
「そうか……」
出会ってほんのひと月の間であったが、アレイシヤは大切な仲間であると海人は思っていた。
彼女から魔導装具を託されて敵と戦い、これからも共に戦えると、彼女の為に戦うと誓ってもいた。
けれどもそれは海人の一方的な思いであって、アレイシヤとは相容れなかったようだ。
海人の真っ直ぐな気持ちをあざ笑うかのように、アレイシヤは口端を緩めて言った。
「抵抗もされないのですね」
「俺はまだ……、アーシャの事を信じているから。本当はこんな事をしたくてしている訳じゃないって」
「……」
「なぁ、アーシャ……」
「カイトさんは考え方が甘すぎるのです。だから誰も守れない……」
「……っ」
アレイシヤの言葉は痛みを感じるくらい深く突き刺さる。
彼女の言う事は尤もであって、自分の甘さは重々承知していた筈だが、改めて突きつけられ、動揺は隠せないようだ。
海人は悔しそうに拳を握り締めるが、ここまで追い詰められてもその拳を振りかざそうとはしなかった。
どこまでもお人好しである海人に呆れ果てたのか、アレイシヤは小さな溜息を吐いた。
「……それでは、さようなら。カイトさん――――」
冷酷に別れを告げたアレイシヤは、手にしたナイフ型の魔導装具に力を込める。
すると辺りは光に包まれ、海人の視界は白く塗りつぶされた。
暗殺者だと正体を明かしたアレイシヤによって命を絶たれた海人。
一瞬の出来事であったからか、彼は痛みを感じないまま短い生涯の終わりを迎えた――――と思われたが、どうやら様子がおかしいようだ。
「…………全く痛くない、と言うか意識がある。これは一体――――」
恐る恐る閉じていた目を開いた海人。
彼はそこで驚くべき光景を目の当たりにする。
「ア、アーシャ……?」
眩い光に視界を奪われる前と同じように、アレイシヤは仰向けになった海人に跨り馬乗りの状態であった。
先程と違う所と言えば彼女の姿であって、手に魔導装具は握られておらず、表情は今にも泣きだしそうな位に瞳を潤ませていた。
「カイトさん……っ、ご、ごめんなさい……っ。わ、私は――――」
混乱しているのか、アレイシヤはあたふたと慌てつつ涙を浮かべて謝る。
その姿はまるで洗脳が解けたようであって、海人はホッと胸を撫で下ろしかけるが、今はそれどころの話ではないと気が付き勢いよく起き上がる。
海人が急に身を起こしたからか、跨っていたアレイシヤはバランスを崩してよろめく。
倒れかかったのは海人の胸元にであって、海人は咄嗟にアレイシヤの両肩を掴んで支えた。
「か、重ね重ねすみません……っ」
「それよりも……っ! 親父と母さんが……っ!!」
一刻も早く譲司達の安否を確認しようとする海人だが、彼の膝の上に居るアレイシヤは首を横に振る。
それは手遅れであるという意味かと思われたが、どうやらそうでもないらしい。
状況を飲み込めずにいた海人であったが、何が起きているのか自分の目で確かめたいと、アレイシヤを膝の上から降ろして部屋を飛び出そうとした。
「……なっ!!? どうして――――」
部屋の明かりを灯し、慌てて襖を開けた海人は呆然と立ち尽くす。
彼がそうなるのも無理はない。
無事であるかを確認するために急いでいた海人だが、その相手である譲司が目の前に立っており、驚かずにはいられなかった。
「親父……っ、無事だったのか……っ!! そうだ、母さんと爺ちゃんは――――」
「海人……、お前はなぁ……」
「は……?」
やれやれといった風に肩を落として憐れみの目を向けてくる譲司。
振り向けば涙ながらに謝罪を繰り返すアレイシヤ。
二人の様子から何があったのかを察した海人は、足元から崩れて膝をついて愕然とした。
翌朝。朝と言ってもまだ陽が昇りきっていない早朝に、海人は玄関で腕を組み、そっぽを向いていた。
不貞腐れた様子の海人に対し、その原因を作った譲司はというと暢気そうなもので、昨晩マルリースと重蔵に締め上げられたのもかかわらず、反省する気はゼロのようであった。
「おいおい、せっかくの見送りに何て顔をしているんだ」
「誰のせいだと思っていやがる……っ」
海人が機嫌を損ねている理由。それは昨晩のひと騒動に他ならない。
アレイシヤが暗殺者であって、譲司達を手にかけて……というのは全て演技であって、譲司が海人に仕掛けた罠であった。
譲司は試練を与えたのだと言い張ったが、内容が内容だけに海人は納得がいかず、当然として食って掛かる。
「どういうつもりだ!? 何故こんな真似を――――」
「お前の覚悟を試そうとしただけだ」
「覚悟って……」
最後までアレイシヤの事を信じ、手を出さなかった海人。
譲司は信じる気持ちも大事な事であると言うが、それでは共に戦えないと言い切った。
「お前、相手がアーシャちゃんじゃなくても女や子どもなら手加減するだろう?」
「それは……。いや、敵として立ちはだかるなら――――」
「敵が皆、敵だと名乗る訳ねぇだろう?」
「……っ」
「ただの花売りだと思っていたら、籠に武器を隠していたりなんてのは当たり前だ。爆弾を仕込んだ縫いぐるみを手にして駆け寄る子どもなんてのも珍しくはない。後者はこっちの世界でもある話だ」
「……それは――――」
「向こうの世界だと外見と年齢が合致しない場合が多々ある。お前みたいな奴はすぐに騙されて死んじまうさ」
譲司の課した試練の答えのひとつは、アレイシヤを信じないで反撃に出る事であった。
「……仲間だと思っていた奴に裏切られるなんてのもあるんだ。だからいざという時の覚悟が出来ていない奴を連れてはいけねぇよ」
過去に何かあったのだろう。
その時の譲司の表情は珍しく物憂げであって、自分と同じ思いを息子にはさせたくはないといった気持ちが滲んでいた。
「――――それから海人。お前は普段から自分の言う事が矛盾しているのに気が付かないのか?」
「な、何の事だ……。俺は矛盾している事なんて……」
「やっぱり気が付いてねぇか……」
もう一つの答え。それは反撃に出た際に全力を尽くす事。今の海人なら魔導装具を纏う事である。
海人はこれまで譲司に本気で戦うよう願っていたが、彼自身も持てる全ての力は出し切ってはいなかった。
世界の全てが敵であるような場に立つのならば、卑怯な手段でも何でも使わなければならないと譲司は言い、それは今の海人には無理だろうとも指摘した。
父の想いに気付き、自分に足りなかったものが力だけでないと思い知らされた海人。
まだ腑に落ちない点もあるようだが、海人はようやく自分が立つべき場所に気付けたようだ。
「カイト。アーシャちゃんの事を頼んだわよ」
「ああ、任せてくれ。母さんも、親父が無茶をしないよう見張っておいてくれ」
「ええ、私に任せなさい!」
マルリースも譲司と共にシュトラルヴェルトへ向かい、アレイシヤは竜堂家に残る事となった。
それぞれが別れの挨拶を済ませた後に、譲司は大きな荷物を背負い、もう一度海人へと向き直り拳を突き出した。
それは子どもの頃、譲司と海人が約束を交わす際に行っていた合図である。
海人は色々と譲司に対して思う所はあるようだが、今は迷いを振り切り、想いを乗せた拳を突き出す。
「俺からもひとつ。海人、こっちの世界の事は頼んだぞ」
「……ああ。親父こそ、勝手にくたばるなよ」
「俺を誰だと思っている? そう簡単にくたばったりしねぇよ」
最後まで憎まれ口を叩き合う二人。
相変わらずの仲のようにも思えるが、二人の間にはこれまでとは違った空気が流れており、それは海人にとって居心地が悪いわけではないようであった。




