4.稽古と呼ぶにはおこがましいもの
雲一つない晴れた空に昇り始める朝日。
多くの人々はまだ目覚める前であって、小鳥のさえずりだけが響く頃。
竜堂家の広い敷地内の端にある道場では、朝早くから稽古が行われようとしていた。
「カイトさん……」
相対するのは海人と譲司で、彼らから離れて見守るのはアレイシヤである。
海人は構えを取り、気迫に満ちた面構えであるが、一方で譲司はやる気を感じさせない腑抜けた面であった。
「どーした? 海人。かかってこないのなら、俺はもうひと眠りするぞ」
「……五月蠅い、黙れ」
譲司は欠伸交じりで挑発めいた事を言い、海人は見事に乗せられたようで眉間に皺を寄せて怒鳴る。
それでも直ぐに飛びかからない所を見ると、海人の頭には完全に血が上りきってはいないようだ。
じりじりと距離を詰めていく海人だが、踏み込むタイミングをなかなか見定められないでいる。
それ程までに近づき難い相手なのかというと疑問が残る所で、アレイシヤには譲司が気怠そうに佇んでいるようにしか見えなかった。
中々踏み込んでこない海人に対して譲司は何を思ったのか、ポンと手を叩いて提案をする。
「おお、そうだ。素手でなくとも武器を使っていいんだぜ。竹刀ならその辺にあるだろう?」
「武器なんか要らない……!」
「そうか? それじゃ、防具代わりに魔導装具でも……」
「要らないと言っているだろうが!!」
聞く限りでは相手を気遣っているように思われるが、戦いにおいて相手に譲歩するのは軽んじている事に他ならない。
舐め腐った態度は流石に我慢ならなかったのだろう。
譲司によって焚き付けられた海人は愚直な程に真っ直ぐ向かって行った。
「このクソ親父が……っ!!」
怒りに任せて殴りかかった海人。
彼の拳は決して遅いわけでもなく、寧ろアレイシヤにとっては速く感じる程であったが、譲司は完全に見切っているようで、易々とかわした。
勢いだけに思われた海人も初手は避けられてしまうと想定していたのか、迷いなく続けて拳を振るう。
「凄い……。でも……――――」
目の前で繰り広げられる光景にアレイシヤは息を呑む。
それは演武のようであって、見ている者に感嘆の溜息を漏らさせるくらい完成された物であった。
けれどもそれを演じる者。海人は本気で相手を力でねじ伏せようとしており、死角に入り込んで足元を狙うなど手段を選ばない。
相対する者である譲司は飄々とした態度で、全ての攻撃を掠りもさせずに避け切っていた。
「威勢だけは良いようだが、まだまだだな」
「減らず口を……っ!!」
かわされ続けて手応えはゼロ。それに対して疲労は徐々に蓄積される。
焦りと苛立ちからか、段々と海人の攻撃は精彩を欠き、大きな隙を作り出す。
それでも譲司は自ら手を出すことは無く、その態度も海人を苛立たせた。
「避けてばっかりの奴が……っ。偉そうな口を利くな……っ!」
「はぁ? 反撃しても良いって言うのならしない訳でもねぇが、それだと一撃で終わるぞ」
「……っ!! 舐めやがって……!!」
海人の攻撃はより一層激しくなるが、譲司は涼しい顔のまま全ての攻撃をかわす。
ここまで続けると海人は相手の動きに慣れそうなものなのだが、譲司には一切通用しないようである。
それは昨日の戦いでガイラルドと対峙した時と同じようであったが、ガイラルドは信念をもって剣を振るっており、譲司とは全く違った。
譲司は欠伸をしたり背を伸ばしたり、時折アレイシヤに笑顔で手を振るなど、真面目さはかけらもなかった。
「どうした? もうギブアップか?」
「五月蠅い……っ。まだこれからだ……っ!」
すっかりと息は上がり、海人は肩を上下させているが、負けを認めない。
疲労の色を見せる海人とは対照的に、攻撃を避け続けていたとはいえ、それなりに動いていただろうと思われる譲司だが、彼の息は全く乱れていない。
このまま海人が力尽きるまで続くかと思われたが、不毛な戦いを終わらせる者が現れた。
「ジョージ、カイト、ちょっと早いけど、ご飯の支度が出来たわよ……って、アーシャちゃん。アナタもここに居たのね」
「マ、マルリース様……っ!!」
道場の扉を開いて入ってきたのはエプロン姿のマルリースであった。
彼女はこの状況、海人と譲司が稽古を行っているのを知っていたのか、特に驚く様子もなく、朝御飯が冷めるからという理由で中断させようとしている。
譲司はマルリースが来たことに気が付き、彼女へと手を振って返事をしているが、海人は気が付いていないようで攻撃を止めようとしない。
今は完全に頭に血が上っているからか、周りの声が届かない程に集中しているからか。
海人の様子に呆れ返ったマルリースは、溜息を吐きつつ彼の傍へと近づいて止めようとするも、それは譲司によって制された。
「おい海人。飯の時間だってさ」
「まだ……っ、終われない!」
「飯の後でも相手をしてやるぞ」
「いいや。ここで決着を……、つける……っ!!」
「そうか……。そこまで言うのなら仕方がないな」
ここは息子の意志を汲んで引き続き相手をするのかと思われたが、譲司はそこまで甘くないようだ。
彼はニッと口角を上げると一歩踏み込んで海人の手を掴み、背負い投げて床へと叩きつけた。
鮮やかな動作にアレイシヤは目を奪われていたが、小さく呻き声を上げた後に動かなくなった海人の様子に気付き、彼の名を叫びながら傍へと駆け寄った。
「カ、カイトさん……っ!!」
疲労がピークに達していたのか、打ち所が悪かったのか、海人は目を閉じたままでいる。
慌てふためくアレイシヤは肩を揺すって無事を確認しようとするが、譲司は冷静に心配など必要でないと言い切った。
「こりゃ伸びているだけだ。そこまで心配することは無いさ」
「そう……なのですか?」
「ああ。手加減はしたつもりだし、それにしてもこの光景は何度目になるんだかな……」
海人が譲司に勝負を挑み、なす術もなく倒されるのは今回に限った事ではなく、これまで幾度と知れない位にあったそうだ。
やれやれと肩を竦めさせた譲司は、軽々と海人の身体を抱え上げる。
散々な扱いをしてきたように思えるが、やはり彼は父親なのだろう。
譲司は気絶した海人を抱え、海人の自室まで運ぶ。
「……ったく。こいつは毎度毎度手間を掛けさせやがって」
面倒くさそうに愚痴は溢しているが、その表情は柔らかく、温かみを感じさせるものであった。
海人が譲司に勝負を挑み、何時ものように返り討ちにあってから時計の長針がひと回りする頃。
海人は自室に敷かれた布団の中で目覚め、勢いよく身を起こして叫んだ。
「このクソ親父が……っ!! ――――って、あれ? ここは……」
自分の部屋に戻っている事に気が付いた海人は、一瞬で勝負に負けたのだと悟る。
彼はふざけた態度であった譲司の姿を思い起こして苛立ったが、すぐ傍で見守っていてくれたであろう者が居て我に返った。
「アーシャ……」
「カイトさん……! 気が付かれたようで良かったです……っ」
ホッと胸を撫で下ろしているアレイシヤは少しばかり涙ぐんでいるようで、また彼女に心配を掛けさせてしまったと海人は気付き、頭を下げて反省した。
「そんな……っ。頭を上げて下さい。私が勝手に心配をしていただけですし、こうして無事なら良かったと思います」
彼女の前で醜態を晒してしまったにもかかわらず、彼女は呆れたり小馬鹿にしたりなどしない。
アレイシヤはただただ海人の身を案じ、無事だと分かって喜んでいたが、まだ不安が残るようで具合を尋ねてきた。
「あの……、どこか痛むところはありませんか?」
「ああ、何処も痛くはないよ」
「良かった……! 本当に良かった……」
平気であると示す為、海人は立ち上がって四肢を動かしてみる。
するとアレイシヤは安堵の溜息を漏らしたのち、柔らかい笑みを浮かべた。
こうしてどこにも怪我がなく無事なのも譲司が手加減したからである。
その事に海人は苛立ちを覚える所であったが、喜び笑みを浮かべるアレイシヤの前では不思議とイラつきが消えていった。
「あ! 朝御飯を温め直すので、私は先に居間へと向かいます。カイトさんは身支度を整えてから来てくださいね」
「あ、ああ……。そう言えば、今日も学校だったな」
時計を見れば七時過ぎ。
八時半までに教室の席に着いていないといけないとなると、のんびりとはしていられない。
アレイシヤが海人の私室から出て行くのを見送った後、海人は制服へと着替えて居間へと向かった。
「……あれ? 爺ちゃんとアーシャだけなのか」
居間で譲司と顔を合わせる事に気が重くなっていた海人であったが、そこに譲司とマルリースの姿は無かった。
偶々席を外しているだけかとも思われたが、重蔵から二人揃って出掛けたと伝えられる。
「こんな朝早くからどこに行ったんだ?」
「昨日の後片付けだと言っておったが……」
「昨日の……?」
昨日あった事といえばガイラルド達と戦った事で、海人は気を失っていた為ガイラルド達がどうなったかを知らない。
昨晩聞く機会が無かった訳でもないが、それも海人が腹を立てて部屋を飛び出した事によって駄目になった。
またしても何も知らせずに行動している両親に海人は思う所があったようだが、自分の行いに因る所もあると思い返し、愚痴は朝御飯と共に飲み込んだ。
「アーシャ。アーシャはガイラルド達がどうなったかを知っているのか?」
「えっと……、詳しくは知りませんが、ジョージ様が任せて欲しいと仰っていました」
アレイシヤも海人と同じようにガイラルド達と戦った際に気を失っており、その後どうなったのかは譲司によって聞かされたらしい。
と言っても詳細は伏せられていて、アレイシヤもガイラルド達の現状は分からないようだ。
色々と気になる所ではあるが、海人達は学生であって、学校に行かなくてはならない。
浮かび上がる疑問を押し込めて黙々と朝食を済ませ、海人はアレイシヤと共に登校した。
せめぎ合うようにビルが建ち並び、絶えず喧騒が止まない商業区から離れた場所にある閑静な住宅街。
そこは比較的大きな家屋が並び、立派な門や広い庭があるようで裕福さが一目で見て取れる。
所謂高級住宅街という場所で一際大きな屋敷の門が開かれ、一台の黒塗りの車が敷地内に入って玄関前で停まる。
車から降りてきたのはこの屋敷の住人としては似つかわしくない中年の男と、もう一人は男の連れとしては違和感のある銀髪の女性であった。
「相変わらずでっけぇなぁ~」
「ジョージ。いくら見知った仲とは言え、恥ずかしい真似は――――」
「お待ちしておりました。譲司様、マルリース様」
広い玄関で譲司とマルリースを出迎えたのは、黒衣に身を包み白い仮面を着けた女性と思しき者であった。
軽く挨拶を交わした譲司とマルリースは、黒衣の女性の案内によって屋敷内に足を踏み入れる。
広く長い廊下に数多くの部屋。彼らはどの部屋の前でも歩みを止めず歩き続け、その道すがら譲司は黒衣の女性へ詫びを入れた。
「奴らの事、全部任せてしまって悪かったな」
「いえ。これも私の務めですので……。それよりも昨日は醜態を晒し、お手を煩わせたようで――――」
「その件については君が気にする事じゃないさ。それに、礼を言いたいのはこっちだ」
畏まる必要などないと譲司は言い、彼はマルリースと共に礼を述べる。
「私達が不在の間、貴女達がカイトを守っていてくれたそうね」
「それは……、当然の事をしたまでです」
「いや、そうでもないぞ。バカ息子の世話は手を焼いただろう?」
「そのような事は……」
黒衣の女性は否定するが、譲司達は彼女の労をねぎらう。
彼らの役に立てることが嬉しいのか、はたまた譲司達の気持ちに押されたのか、女性は小さな笑い声を漏らす。
仮面によって表情は窺えないが、微笑んでいることが分かるらしく、譲司は唸り声を上げて惜しんだ。
「それにしても、その仮面と野暮ったい服じゃせっかくの美貌が台無しじゃないのか?」
「これは……、あの者達にもまだ姿を見せる訳にはいかないので」
「そりゃそうだな。でも、今後の如何によっては――――」
「……ええ。心得ています」
黒衣の女性は深く頷き、歩みを進める。
彼女達が行き着いた先、そこは屋敷を出た先にある中庭であった。
真っ赤な薔薇が咲き誇る生垣に囲まれた庭園には、立派な噴水や薔薇のアーチなどがあり、異国を感じさせるような造りである。
美しい景色に目を奪われる所であったが、黒衣の女性は女神の像の前で歩みを止めた。
その女神像は一見何の変哲もない芸術作品のようであったが、裏手に回ると台座があり、黒衣の女性が手を翳して呪文を唱えると、足元が小刻みに揺れて地下への入り口が現れた。
「この先が地下牢か……」
「はい……。その、一旦は客間へと通したのですが……」
「まさか……」
「……部屋を破壊され、逃亡を謀ったのでこうして地下牢に」
「そうか……。悪い事をしたな。もう少し俺が絞めておけばよかった」
「いえ、譲司様は何も悪くはありません。寧ろ私が油断したばかりに――――」
石段を下りた先に続く地下道。
先程まで明るい場所に居たせいか、電気は通っているようだが陽の光は当たらない為、照明だけでは暗く感じる。
じめじめと湿った空気を肌に感じながら進んだ先には、頑丈な扉によって閉ざされた牢屋があり、譲司はその内の一室に立ち入る。
「よう。気分はどうだ? 第一騎士団長サン」
椅子に座り微動だにしなかった男、ガイラルドは譲司に対して鋭い目を向けてきた。




