3.埋められない深い溝
先程まで薄暗かった海人の自室は、照明によって明るく照らされている。
けれどもこの室内に居る二人、海人とアレイシヤの間には、部屋の明るさとは対照的な空気が漂っていた。
室内には時計の針が時を刻む音だけが暫くの間響いていたが、意を決したような表情のアレイシヤが沈黙を破る。
「あの……。もしよろしければこれを――――」
アレイシヤがおずおずと差し出してきたのは、盆の上に乗せられたおにぎりやお茶であった。
苛立ちのせいか、今の今まで空腹を感じないでいた海人だが、目の前に出されると思い起こしたように腹が減ってきたようだ。
海人はアレイシヤに礼を述べ、盆の上のおにぎりに手を伸ばす。
空腹が満たされれば少しは落ち着いたのか、茶を飲んで一息吐いた後、海人は先程の事を謝罪した。
「そんな……っ。カイトさんは何一つ悪くはないんです。……こうなってしまったのは私がちゃんと話をしなかったせいであって――――」
「いや……。アーシャは悪くないさ。大方親父達に口止めでもされていたんだろう?」
「そ、それは……、その……」
「爺ちゃんも知っていたんだな……」
咄嗟に嘘を吐いたり、取り繕って誤魔化したりすることが苦手なアレイシヤ。
彼女はポツリポツリとこれまで海人に知らされていなかった事実を明かした。
「最初は、偶然……だったのです」
海人がアレイシヤと出会い、そして彼の家に招かれたのは偶然によるものであった。
竜堂家にアレイシヤが身を寄せてから一晩経った次の日。
海人と真帆が学校に行き、ひとり残されたアレイシヤは重蔵に出自を問われた。
彼女はこうなった時の言い訳も用意していたが、それは全く必要としなかった。
と言うのも、重蔵はハナからアレイシヤがどこから来たのかを知っていたのである。
「ジュウゾー様は私がシュトラルヴェルトの者であることを見抜いていらっしゃいました」
「親父や母さんの事も知っているなら無理もないな……」
シュトラルヴェルトからこの地へと降り立った事を認めたアレイシヤは続けてその理由を問われるが、それもまた重蔵が想像していた通りだったそうだ。
「カイトさん達には、勇者の子孫を捜していると言いましたが、私が本当にいたのは――――」
「…………あのクソ親父って訳だな」
助けてくれた者が捜していた者の血縁者だと知り、更にはその者との連絡も取れ、使命を果たせると安堵したアレイシヤであったが、取り次いだ重蔵はある条件を付けた。
それはこの話はここだけの話であるという事。そして海人には譲司が戻るまで絶対に明かさないという事であった。
「それはアレか……? 俺が親父の事を嫌っていて、仲が悪いからか?」
「ち、違います……っ! ジュウゾー様もジョージ様も、決してそのような事は一言も――――」
「だったら何で――――」
声を荒げかけた海人はハッとして、言葉を飲み込む。
感情をぶつける相手を間違えてはいけないと踏み止まったが、向き合う相手の表情を見る事も出来ず、目が合わせられない。
それは自身が酷い表情であるのが鏡を見ずとも分かるからで、とても見せられたものではないと恥じているからであった。
頼りにして欲しいと言った手前、海人は自分の弱い所を見せたくなかったようだが、アレイシヤは失望したりなどしない。
俯き頭を抱える海人を前にして、ゆっくりと諭すように話を続ける。
「ジョージ様は自分の口で話がしたいと仰っていました。敵の襲撃があってこのような再会になってしまいましたが、本当は――――」
「話……? その話ってのは、アーシャが来たから話す気になったのか?」
「そ、そうでは無いと……――――」
「いつか話すつもりだった、か?」
「……その辺りは私も聞き及んでいないので――――」
「おかしいだろ……っ!! 17年間も聞かされていなかったんだぞ!? それを今更……っ」
抑えようと思っていても湧き上がる感情は制御できない。
硬く握りしめた拳は畳に叩きつけられるが、それで何かが変わる訳でもない。
寧ろアレイシヤを怯えさせるだけであったようで、海人はまた自己嫌悪に陥る。
「…………悪かった」
「いえ……、良いんです……」
絞り出したかのような声で謝罪した海人。
それからは互いに口を開く事が無くなり、重苦しい沈黙が続く。
静まり返った場で深く呼吸をした海人は、自分がどうするべきか考えを巡らせた。
どうにもならない感情をそのまま言葉にしてしまえば気持ちは多少なりとも楽になるかもしれない。
けれどもそれは八つ当たりであって、憂さを晴らすだけで根本的には解決にならず、目の前に居るアレイシヤを、心配そうな瞳を向けている彼女を傷付けかねない。
ならば彼女にこの部屋から出て行くように言って一人きりになるという手もあるが、不思議と言い出せなかった。
「――――……カイトさん」
「…………アーシャ? どうして――――」
延々と続くように感じられた無音の時間。
それに終わりを告げるよう先に口を開いたのはアレイシヤであったが、彼女は瞳を潤ませ、目尻に涙を浮かべていた。
泣かせてしまう程に驚かせてしまったと、海人は自分がしてしまった事を反省して謝るが、アレイシヤは首を横に振って涙を拭っている。
「ち、違うんです……っ。先程は驚きましたが、これはその事ではなくて――――」
「俺が不甲斐ないから呆れて……とか?」
「それも違います……! 私はただ……」
「……ただ」
「今日の戦いを……、思い出して……」
「……っ」
海人達を完膚なきまでに叩きのめしたガイラルド達。
譲司が駆けつけなければ皆は無事でいられず、今ここにこうして居る事も出来なかっただろう。
彼らとの戦いは海人にとって二重の意味で悔しく思う事であったが、アレイシヤにとっては違うようだ。
「……私はあの時、酷く後悔をしました」
「俺が力不足だったから……。俺に任せておけとか言っておきながら、俺は――――」
「カイトさんは悪くありません……! 今回は相手が悪かったんです。……それに、私が後悔しているのはカイトさんや皆さんを巻き込んでしまった事なのです……!!」
自分と一緒に居なければこうなる事はなかったと、絶望的な光景を目の当たりにしたアレイシヤは己の行いを悔やんだ。
「私が皆さんを頼らなければ、傷つく事も無かった……」
「それはアーシャが気に病む事じゃない。俺も皆も巻き込まれたとは思っていないし、望んでそうした事だから――――」
「でも……っ。それでも私は……悔やんだのです。この一カ月……、たった一カ月一緒に居ただけでも……、皆さんを失いたくはなかった……。私でも、こう思ったのだから……、17年間一緒だった家族なら、もっと強く思う筈です。大切な人を危険な事には巻き込みたくないって……!」
「……っ」
アレイシヤの言葉は海人の心に深く突き刺さったようで、彼は言葉を詰まらせる。
力は及ばずとも、海人は皆を守りたいと願い、敵に立ち向かった。
その気持ちと同じように、海人の両親も海人を守る為に黙っていたのではとアレイシヤに言われ、彼は自分自身を見つめ直した。
きっと前以て異世界の事や母親の出自などを聞かされていても、譲司の口から出たことは信用しなかっただろう。
仮に信じたとしても、誰かの為に在りたいという海人は両親の想いを無下にした可能性もある。
「――――17年間一緒だったって言っても、親父達は家を空けてばかりだったのだけれどな……。だけどそれも、もしかすると……――――」
「はい……。詳しくはお聞きしていませんが、ジョージ様とマルリース様は今の状況を予測していたようで、これまではその為に動いていたそうです」
「そうか……」
全ての事情を明かしていたならば、海人は自分も力になりたいと願い出ただろう。
今回の敵は疎か、これまで敵と対峙した時にもレヂディーノ達の助力があったお蔭で勝てたようなものであって、海人一人の力は微々たるものである。
その程度の力ならば、両親の足枷になっていたに違いない。
「力を持たない者を守るのは当然、だよな……」
己の力不足を痛感し、自嘲気味に笑う海人。
彼の憤りは収まったようだが、今ではすっかりと自信喪失に陥っている。
少しは周りが見えるようになったのか、逆に見えすぎてしまいこれまでの行いを恥じているのか。
肩を落としている海人は深く沈んでおり、そんな彼に対してアレイシヤは慌てつつ頭を下げた。
「ご、ごめんなさい……っ! 差し出がましい事を言ってしまって……。あ、あくまで私が思った事を言ったまでであって、ジョージ様達のお考えは――――」
「それもそうだよな……」
「そ、そうです……。何かきっと、深い事情が――――」
「……何にせよ、話してみないと始まらない」
「カイトさん……!」
己の弱さを、力だけでなく精神的な面での弱さと向き合った海人。
一時は自身を情けなく思い、落ち込みもしたが、彼は塞ぎ込んだままではいない。
海人は座り直して姿勢を正すと、アレイシヤに深く頭を下げた。
「ありがとう、アーシャ」
「え!? そ、そんな……っ、お礼を言われるようなことは何も――――」
「いや、アーシャの言葉で目が覚めた。愚痴も聞いて貰ったし……、おにぎりも美味しかった……」
「これくらい、いつもカイトさん達に良くして頂いている事に比べれば大したことではないですよ」
「いつも……? そんな事は――――」
「いいえ。そもそも、カイトさんがあの時、初めて私がこの地に降り立った時に助けて下さらなければ、こうしてここに居る事も無かったですし、とっくにこちら世界は侵略されていたかもしれません……!」
「そ、そうなのか……?」
「はい! そうです……!」
「そう……、かもしれないな」
無力などではないというアレイシヤの言葉は海人の自信となったようで、彼は迷いを振り切って前を向いた。
波乱の一日が過ぎ、夜が明けて次の日。
朝日が昇り切る前にアレイシヤは目を覚まし、布団から這い出てきた。
時計は何時もの起床時間よりも前を指しており、もう一度寝ても平気なくらいなのだが、胸騒ぎを感じたアレイシヤは布団を畳んで部屋から出る。
「こ、これは――――」
アレイシヤが私室として借りている客間は母屋の端で、離れである今は使われていない道場に近い。
ここに来てひと月。立ち入った事の無い道場に人の気配を感じたアレイシヤは、足音を立てぬよう気を配りながらそこへと近づき、驚く光景を目の当たりにした。
「こ、これはどういうことですか!?」
広い道場の真ん中で距離を取り向かい合っているのは、海人と譲司であった。
「お! アーシャちゃん。おっはよ~う!」
「お、おはようございます……」
「……アーシャ。もしかして、起こしてしまったか?」
「い、いいえ。偶然目が覚めてしまっただけですが……。それよりも……っ、朝早くからお二人は何をなされようとしているのですか……?」
海人の格好は何時もの朝のトレーニングを行う時の動きやすい服装、Tシャツにジャージ姿である。
一方譲司は昨晩見た姿で、頭にはタオルを巻き、上下は甚平といったラフな格好であった。
両者共に朝の格好としてはおかしくはないが、二人の間に漂う空気は只ならぬものであって、アレイシヤは恐る恐る何事かと問い掛けた。
「何って、朝の稽古だよ~」「決闘だ!!」
「……」
へらへらと笑いながら応える譲司とそんな彼を睨み付ける海人。
譲司と海人の間には認識の隔たりがあるようだが、拳を交える事には間違いなかった。
一瞬固まってしまったアレイシヤは、すぐさま間に入って止めようとする。
「カ、カイトさん……っ! 昨日の晩に言っていたじゃないですか! ちゃんと話をするって――――」
「それはまた別だ。親父を倒してから話をする」
「んー? 何の話か知らんが、俺を倒してからっていうと一生その機会は無いぞ」
「……っ!!」
「ジョ、ジョージ様……っ! そのような挑発は――――」
譲司の火に油を注ぐような言動をアレイシヤが諌めようとするも、時は既に遅かった。
海人は残された理性でアレイシヤを下げさせ、そして戦う為の構えを取る。
「どうしてこんな事に……」
こうなってしまえば誰も止められる者は居ない。
アレイシヤは自身の無力さを思い知らされ、ただただ行く末を見守る事しか出来なかった。




